5 苺ま死まろ
「おはようございます」
「おはようございま……」
藤井は目を開けた。
どうやら床に寝かされているようだ。
何度か瞬きを繰り返し、つぶやく。
「天使だ」
「え?」
「ウサ耳の天使がいます。
ここは死後の世界でしょうか」
「いえ違います。
わたしのおうちです」
ミミニは水色のパジャマを着ていた。
上はやや大きめで、袖までぶかぶか。
なのに下はショートパンツだ。
細いけれど肉付きの良いぷにぷにとした脚が目の前にあった。
真っ白なふとももが眩しい。
やはり天国だ。
天国は異世界にあったのだ。
「俺、もう死んでもいいです」
「生き返ったばかりですよ?」
「そうか、もう死んでた」
「今死ぬのはちょっと危険ですので」
ミミニは部屋にかかっている時計を見上げる。
どこからどう見てもシカの首の剥製だが、
それの眼球の向いている方向が、それぞれ長針と短針の役割を果たしているらしい。
12時だとアヘ顔になるのだろう。
それはともかく、ミミニがうなずく。
「あ、もうそろそろ大丈夫です。
死んでも平気です」
「いや別に死にたいわけでは」
「今です」
「やめてください」
それよりも。
もっと気になることがあった。
「あの、俺、服脱がされてますよね」
「あ、はい。
ちょっとした重労働でした」
「お手数おかけします」
「納棺師の気分を少し味わえました」
「貴重な経験でしたね。
じゃなくて」
両手を前に添えて、うめく。
「あの、俺、全裸なんですけど」
「はい。
脱がしてほしいという顧客の要望に、
パーフェクトにお応えした結果です」
「やりすぎです」
「なんと」
ミミニは少し体を揺らして驚いた。
ちなみに先ほどから彼女はずっと後ろを向いている。
一度も藤井を見ていない。
「せめて下着は残してほしかった」
「……実はわたしも、ちょっとおかしいな、と思いました」
「ですよね。寒いですし」
「ええ、ええ、すみません。
わたしだめですね。だめだめですね。
社会人失格です。もうおしまいです。
今すぐ担当を変えてもらうように、社長に直訴してきますね」
「いやー裸になれてよかったなー。
俺めっちゃ裸になりたかったんだー。
一人暮らしの女の子の家で裸になるの最高ー」
投げやり気味に叫ぶ。
「あ、ていうか見てください、ミミニさん。
服を脱がせてもらって軽くなったので、
ほら、寝返り打てますよ。
転がって移動ができそうです」
「え、ホントですか?」
「ええ、ほらほら、見てください、ほら、ほら。
楽しい、楽しいですね、自分で移動できるのって。
ほら見てください、しっかりと焼き付けてください」
「いやあの……それは、その、ちょっと……」
相変わらずミミニはこちらを見てくれない。
なぜだろう。
「俺の成長をほら、その目で、
真っ赤なかわいいお目目で、確認を、確認をしてくださいよ」
「えっとぉ……」
ちらり、とこちらを見やるミミニ。
だがすぐにその目を手のひらで隠した。
かわいい。
ちょうかわいい。
さらに突っ込みたくなってしまう。
「ていうかそもそも、脱がせたのはミミニさんでしょう。
なんで今さら恥ずかしがっているんですか」
「いやだって、あれ、死体ですもん。
生ゴミと一緒ですし」
「ひどい」
ていうか、嘆いている場合ではない。
もっと大変な事態が迫ってきた。
「あの、ミミニさん。
この格好、ちょっとお腹が冷えるんだけど」
「はあ。そうでしょうね」
「その言いづらいんですけど……」
「なんですか今さら。
わたしにその汚いものを見せつけようとして、
喜んでいるくせに」
「すみません、ちょっとはしゃいじゃいまして。
今は心より反省しております。
ていうか、その、あの」
藤井はたどたどしく、告げる。
「トイレに、行きたくなってきちゃいました。
紅茶を飲んだので……その、小の方なんですけど」
「あー……」
ミミニは小さく声をあげた。
それから思いついたように。
「少し、我慢できませんか」
「どれくらいだろう」
「二週間ほど」
「たぶんムリです」
「むー」
彼女はうなった。
けれどこれは仕方ないと思う。
生理現象なのだから。
「……フミヤさんがこうなってしまったのは、わたしたちの責任です。
社会人としてわたしは、責任を取る覚悟があります」
「立派です」
「少々お待ちください」
ミミニは足早にどこかに向かう。
しばらく待たされて、彼女は戻ってきた。
どうやら着替えてきたらしい。
「お待たせしましたシュコー」
「えっと」
「わたしに任せてくださいシュコー」
「あの」
ミミニは、放射能濃度が高いところで作業する人みたいな防護服をまとっていた。
「すごい格好、だね」
「似合っていますか?」
「え? う、うーん……
ど、どうでしょうか。
俺はさっきのパジャマのほうが好きですが」
「そうですか……シュコー……」
「落ち込まれても」
自分があの服装を着て似合っていると言われたら困る。
乙女心は複雑だ。
「で、その、どうして着替えてきたんですか?」
「しびんを取ってきました」
「え」
ミミニ(というか防護服の人)は、片手に瓶を掲げる。
ということはまさか。
「あの、もしかして俺、
この格好でトイレをしろっていうことですか」
「他に方法がありますか?」
「うーん」
小さな子供がするように、抱えられてトイレをする?
それはなんというか、ちょっと嫌だ。
きっとミミニも嫌だろう。
「それでその格好なんだ」
「はい。すみません、
ちょっとその、生身で処理する勇気が出なくて」
「いや、まあ、仕方ないです」
「そのうち、ちゃんと、できるようになりますから」
「俺もそれまでに自分でトイレにいけるように頑張ります」
「一緒に頑張りましょう」
先ほどまで、あんなに見るのも嫌だと言っていたのに、
ひとたび業務っぽくなればちゃんとこなそうとする。
ミミニはとても素敵な娘さんだ。
「じゃあ、ちょっと足を開いてくださーい」
「うう」
恥ずかしいことこの上ない。
「はずか死しそうだ」
「大丈夫です。
その……わたしもです」
「お手数をおかけします」
「いえいえ、お気になさらず」
冷たい感触が股間に当たった。
思わずひやっとする。
掴まれているのだ。
彼女に。
アレを。
掴まれているのだ!
「あの」
ミミニが冷たい声を投げてきた。
「その」
「あ、はい、なんですか?」
「えっと……」
とても言いづらそうに、言ってきた。
「……その、大きく、なっているんですか」
「え?」
「だから、その……大きく……」
「なんですって?」
「うぅ……」
くじけそうになっているミミニ。
さすがに悪いことをしてしまった。
でもこんなウサ耳の美少女に掴まれているのだ。
それがたとえ素手ではないとしても。
仕方のない話ではないだろうか。
「ちなみにこのスーツは魔法パワードスーツですので、
魔法セラミックも引きちぎるパワーを持っています。
万が一、手が滑ってしまったら大惨事になるかもしれませんね。
別にわたしは良いのですけど」
「ごめんなさいマジでごめんなさい」
一気に縮んでいった。
これが栄枯盛衰か。
「はいじゃあ、しーしーしましょうね、しーしー」
「うう」
我に返るとやはり恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
この年でシモの世話をされるなんて。
死んでしまいそうだ。
そんな感じのアレがアレして。
それから、ミミニが優しく声をかけてきてくれた。
「もうおしまいですか?」
「はい……」
「じゃあふきふきしますね」
「はい…………」
ティッシュで優しく滴を拭われて、
なんだかもう、なんだかもう。
へこんでしまう。
こんな可愛い子に、
なにをさせているのか、自分は。
「……すみません、ミミニさん」
「え、なんですか?」
「なんか、お世話になりっぱなしで」
「いえ、そんな」
ふう、とミミニはパワードスーツの頭を取る。
しびんとヘルメットを抱えて、告げてくる。
「実はその……
フミヤさんがそんな風になってしまったのは、
わたしどもの手違いなのです」
「……と、いいますと?」
「召還陣設置業者の人が、
プラスとマイナスを間違えて設置していまして……
そのために、フミヤさんが極端に体が弱い状態になってしまったのです」
「あ、そうなんですか」
「ええ、業者には断固として抗議しますのでご安心ください。
こちらとしても訴訟も辞さない覚悟です」
「過激ですね……」
「はい。ですからフミヤさんが気にすることはなにもないのです。
招いたのはわたしたちです。
どうぞなんでも言ってください。
できる限り、ご奉仕いたしますので」
「そう、ですか……」
ミミニは額に汗をにじませて、そんなことを言う。
なんとなく、彼女に圧倒されてしまった。
そんな彼女の期待に応えるためにも、
頑張らないといけないな、と藤井は思う。
「がんばります、ミミニさん」
「わたしもがんばりますね」
「いえいえ、俺のほうががんばります。
がんばってちゃんと魔王を倒しますから」
「じゃあわたしはさらに頑張ってサポートします。
任せてください」
「じゃあお願いします」
「任されます」
ミミニはしっかりとうなずいた。
しびんを抱えたまま。
「あの、ところですみません。
お引き留めしてしまって。
どうぞ、早く捨ててきてください」
「え、なにがですか?」
「その、俺のそれです」
「ああ、しびんですね」
首を持ち上げて見やる。
するとそれは、なにやら薄茶色に染まっていた。
芳しい香りまで漂ってくる。
どういうことだろう。
「これは魔法のしびんなのです」
「……つまり?」
「液体はすべて、紅茶に変わってしまうのですよ」
「え」
ちゃぷんちゃぷんとミミニはしびんを揺らす。
藤井は固まった。
「……あの、さっき、紅茶を出してもらいましたよね」
人肌だった。
温かった。
……つまりあれは。
「あ、大丈夫です。
あれはちゃんとした普通の紅茶です。
「あ……そ、そうだったんですか」
「試しに、こちらのほうを飲んでみますか?」
「いえ、すみません、それは捨ててきてください」
「わかりました。
わたしもあんまり飲みたくないです」
「なんでそんなものを作ったんだろう」
「ほんと、なんででしょうね」
ふふっ、とミミニが笑った。
その顔が可愛すぎて、危うく死ぬところだった。
「じゃあ、着替えてきます。
それではまた、フミヤさん」
「はい、ミミニさん」
彼女を見送ってから、藤井は気づく。
「……あれ、なんで俺、
紅茶が普通の紅茶だって聞いて、
ちょっとがっかりしているんだろう」
そんなに変態ではないつもりなのに。
ないつもりだったのに。
この世界に呼び出されて、色々とおかしくなっている気がする。
でも。
一度くらいは飲んでみてもいいかもしれない。
藤井はそんなことを思ってしまった。
気の迷いだと信じたい。
ちなみにその後、
裸でしばらく放置されていたので肌寒くて藤井は死んだ。
七回目。
死因:皆様も夏風邪には注意しましょう。お腹を出して寝ちゃだめですよ。