4 おまえ百までわしゃ今死ぬ
「おはようございます」
「おはようございます」
藤井はミミニに頭を下げる。
「段々、生き返るのにも慣れてきました。
なんだかリフレッシュしたみたいで、気分がいいですね」
「それは良かったです」
「ところで、なんでまだ玄関先なんですか」
死んでいる間にベッドに運んでくれればよかったのに。
そう言うと、ミミニは視線を逸らした。
「あの、わたし、ずっと一人暮らしでして」
「はい」
「誰かと一緒に暮らすというのも、
家族以外では初めてなものでして」
「ええ」
「ですのでその、最初はきちんとしておきたいな、と」
「なるほど」
乳母車に収まった藤井を置いて、ミミニは玄関に入る。
彼女は振り返ってきて、耳をぴくぴくと動かしながら頬に手を当てた。
足をルンルンとするように折り、にっこりと微笑む。
「きょ、きょうから、
いっぱい可愛がってくださいぴょん。
ご、ごしゅじんさまっ」
「……」
沈黙が落ちた。
重い、重い沈黙だ。
どうしよう。
反応に困る。
いや可愛いけど。
こほん、とミミニが咳払いをする。
彼女の頬はまさにウサギの目のように真っ赤だ。
慌てて取り繕うように。
「今のも、マニュアルです」
「なんと」
「異世界からやってきた人は、
特に男性はこういったものが大事なのだと、
召還者基準法によって定められています」
「国すごい」
素直に感想を漏らすと、じっと見つめられた。
あまり感情の動きがないミミニだが、
なんだか睨まれているような気がする。
まさか自分にもやれというのだろうか。
違った。
「……なにか、言うことはありませんか」
「えっと」
「……」
「その……」
告げる。
「かわいかった、よ?」
「なんで疑問系なんですか」
冷ややかに指摘された。
「可愛すぎてショック死するかと思った」
「フミヤさんが言うと冗談に聞こえませんね」
「また今度やってください」
「……ええ、まあ。
気が向いたら、いいです……ぴょん」
照れ隠しか、ミミニは少し乱暴にガタガタガタと乳母車を動かして玄関に突っ込んだ。
もちろん藤井は死んだ。
気づいたのだが、生き返った後は大体顔が濡れてしまっている。
なにをされているのと尋ねると、ミミニは「これです」と道具を見せてきた。
霧吹きである。
「えっと」
「復活薬を吹きかけているのです」
「なんだか良い匂いもしますね」
「消臭剤も含まれていますから」
「なんのいじめなの」
ファブリーズを直接かけられているようなものだ。
なんだろう。死臭でも漂っているのだろうか。
泣けてきた。
とりあえず玄関からリビングに運んでもらったようだ。
藤井はソファーの上に寝かされていた。
「でもミミニさん、見てください、ほら」
「おお」
藤井はミミニに手を振ってみせた。
彼女はウサ耳をぴこぴこ揺らしながら手を叩く。
「すごいですね。
すごい成長速度です、フミヤさん」
「いやあ、ははは」
「このままいけば、すぐに光の速さで走れるようになりますね」
「まだ掴まり立ちもできないんだけどそれは」
ミミニは少し興奮しているようだ。
「我が社が救われれば、フミヤさんのこれからも楽になりますよ」
「そういえば俺、魔王を倒したらどうなるんだろう」
「我が社の魔王駆除担当係になります」
「それもう決定なんですか?」
「だったらいいな、ってわたしが勝手に思っているだけです」
「そうですか」
「フミヤさんはいい人そうですので、
よければこれからも一緒に仕事をしていきたいです」
「そ、そうですか」
動揺を隠しながら相づちを打つ。
「お給料も、きっと良くなりますよ」
「それはいいですね」
落ち着こう。
美少女に言われる「いい人」は、いわゆる「どうでもいい人」だ。
あるいは「使い勝手がいい人」なのだ。
決して「恋人にしてもいい人」ではないのだ。
勘違いをしてはならない。
「……えと、考えさせてください」
「はい、ゆっくりと考えてください」
ミミニはささやくように告げると、立ち上がった。
「わたし、なにか飲み物をいれてきますね。
きょうからここはあなたのおうちでもありますので、どうぞくつろいでください」
「はい、お手数おかけします」
ミミニの後ろ姿を見送る。
気づいて、あ、と声をあげた。
彼女のタイトスカートから小さな丸い尻尾が出ている。
「……そうか、尻尾もあるのか」
改めてつぶやく。
すると隣室から顔を出すミミニ。
「なにか言いました?」
「いえいえ」
やはりウサギだけあって、耳が良いようだ。
尻尾がある。
藤井はその言葉を深く胸に刻みつけた。
彼女が出してくれた紅茶は、少しぬるかった。
人肌ぐらいの温度だ。
「熱いと死んでしまうのではないかと思って」
「なるほど」
実に明晰だ。
しっかりしている。
「お嫁さんにしたいタイプだ」
「え?」
「あ、俺なにか言いましたか」
「ええ、まあ」
頬をかくミミニ。
家の中でリラックスしているからか、
先ほどよりも表情が柔らかく見える。
ちなみに紅茶も持ち上げることができなかったので、
ミミニにスポイトで口の中に注いでもらっているのだ。
実に面倒見も良い。
責任感もある。
「お嫁さんにしたいタイプだ」
「あの」
「あ、はい?」
「遠回しにからかっていますか?」
「いえそんな、滅相もない」
「藤井さんは、その、言葉がちょっと軽薄ですよね」
「あれ、心の距離が遠のいた」
「……やっぱり、薬の副作用かな」
「なにそれこわい」
「冗談です。お返しです」
「ホッとしました」
「藤井さん、もう一杯飲みますか?」
「あ、そっちは冗談じゃないんだ」
悲しそうにつぶやくと、
ミミニは慌てて「冗談です、フミヤさん」と付け加えた。
実は優しいようだ。
お嫁さんにしたいが、三度目はあえて心の中にとどめておく。
「それよりミミニさん、俺考えたんだ」
「え、なんですか。せっかちですね。
もう魔王退治に行きたいんですか?」
「まだ自律歩行すらできませんが。
いえね、俺、服が重いんじゃないかな、と」
「どういうことですか?」
「スーツって結構重いんですよ。
全部合わせて1キロ以上あります。
なので、その負荷で動けないんじゃないかなって」
「筋力増強ギブスみたいなものですね」
「違います。
それはちゃんと生きることができる人が身につけるべきです。
なので、その、脱がしてもらないでしょうか」
「あ、はい、わかりました」
ミミニは立ち上がり、しかし立ち止まる。
「あの」
「はいはい?」
「はしたなくはないでしょうか」
「ええ?」
急になにを。
ミミニは軽く耳を撫でる。
「男の人のお洋服を脱がすというのは、その、
なんというか、その、ちょっと抵抗が」
「急にどうしちゃったんですか、ミミニさん」
「いえ、今は職務外なので、
ちょっと照れが出てしまいまして」
「ああ、なるほど」
職務外なら仕方ない。
藤井も仕事なら何時間でも土下座できるが、
それをプライベートでしろと言われると、確かに恥ずかしい。
きっと似たようなものだろう。
「うーん、困った。
本当に重いんですよ」
「どうしましょう。
あ、そうだ」
「なにか良い案が浮かびましたか?」
「納屋からチェーンソーを取ってきて、ですね」
「だめです」
「え、でも結果的にお洋服は脱げますよ」
「職務外で人の体をバラバラにするのが平気な人と、
一緒に暮らしたくはないですから」
「なるほど」
ミミニは納得してくれたようだ。
ここは仕方ない。
「じゃあ、自分で脱いでみよう」
「だ、大丈夫ですか?」
「……応援、してもらってもいいですか?」
「はい、任せてください」
ミミニは胸を叩いた。
それなりにボリュームがあるから、少し揺れる。
元気になってきた。
色んなところが。
「うおおおお!」
「おきがえ、おきがえ、ひとりでー」
「うおおおおおおお!」
「おきがえ、おきがえ、できるかなー」
「うおおおおおおおおおおおお!」
気が抜けるような手拍子と、ミミニの歌声だ。
彼女は歌が下手であった。
それでも、美少女の応援は藤井の力になる。
「俺は、この世界を、救うために!
魔王を、倒すために、やってきたんだ!
こんなところで、スーツひとつ脱げないで、
なにが勇者だ! なにが救世主だあああああ!」
「フミヤさん、熱いです!」
「きええええええええええい!」
ミミニの熱い視線を感じる。
彼女はノリが良かった。
藤井は指先に魂を込める。
今だ。
解き放て。
ここだ!
「しゃあああああおらあああああああああ!」
ぱっ、と光が弾けた。
藤井はソファに深く倒れ込む。
できた。
自分にもできたのだ。
「へへ、ミミニさん……
……俺、やりました……」
「ふ、フミヤさん!」
藤井はぐったりと笑みを浮かべた。
「おれ、スーツのいちばんうえの、
ボタンが……はずせ、ました……」
「フミヤさーーーん!」
藤井は力尽きた。
ミミニの悲痛な叫びが、
部屋の中に、空しくこだましたのであった。
五回目。
死因:振動死(二回目)
六回目。
死因:過労死。




