第1章1話
僕には幼い頃から君には想像できないような壁があった。
その壁はとても高く、すごく厚かった。
飛び越えようとしても越えられず、倒してやろうとぶちあったっても揺るがなかった。そしてその壁は美しく、僕に対して非常に優しくもあった。
しかし僕には何故かその優しさが悔しかったのだ。
僕の人生は、その壁に必死に食らいつきながら、壁の進んで行く道をただ追いかけて行くしかなかった。
その壁は兄の健一だった。
僕はその壁だけを目標に生きてきた。追い越せずとも、絶対に負けまいと思いながら。
高校受験の時もそうだった。健一が僕に言った
「健二、一緒に同じ高校に行こうぜ」
その意味がどういう意味を含んでいたかは知らないが、そういわれた以上、僕はその高校を受験するしかなかった。
じつは、受験の時、担任のおんなの先生に言われていたのだった。
「その高校はあなたには無理。別の高校になさい」しかし僕は突張り、その高校を受験し、何とか合格した。
健一は幼い頃から本が好きだったせいもあり、高校では文芸部に入部し、僕も後を追うように、入部したのだった。文芸部は学校の図書室で活動する、20人程度の本好き、いわば変わり者の集まりだった。読み専門の人間と、数人の小説を書く人間で活動し、書いた文章を学校の校内新聞などに投稿していた。
健一は早速、小説を書き始め、校内新聞に投稿し、採用されて人気を呼んだが、さすがに僕には小説を書く能力はなく、専ら読みが専門になった。
時折りエッセイなるものを書いて、校内新聞に投稿してみたりしたが、相手にもされなかった。
そして健一は、当然の如く女の子にもてた。その女の子の中には僕の手の届かないような「美」も含まれていた。僕は、その「美」をただ、ただ、もがく様に追いかけ、焦った。
だが、僕には高校に入学した頃、既に他のクラスに「憧れの可愛い女の子」がいたのだった。その子の事を、僕は名前も何も知らなかった。ただ高校に入学した頃、廊下をすれ違った時に「可愛い」そう思っただけだった。
僕は越えられないと納得すると、最近、その壁に頼るようになってきていた。勉学に関しても、恥ずかしながら恋愛に関してもだった。健一に彼女のことを話すと、偶然、彼は言ったのだった。
「あの子は俺のクラスの清水恵さんだ。俺のクラスの誰かが彼女のメールアドレス知ってると思う。調べてやる」その時、健一が、薄っすらと笑みを浮かべていたのが気になったが、僕は、さすがに兄は頼りになる、そう思ったのだ。そして僕はあっさりと彼女のメールアドレスを入手した。
すると、なんと次の日に彼女は文芸部に入部してきたのだった。僕は入部し、しばらく孤立して本を読んでいた彼女に思い切って声を掛けてみた。
「本が好きなの?」
「そっ、そっ、そうでも、なっ、ないですけど・・・」彼女が顔を赤らめてそう言った。その様子を見て、僕は思った。「この子、健一から俺の話を聞いている」
「そんなに、緊張しなくてもいいよ」そう言って、僕は精いっぱいの笑顔を見せた。
「いっ、いっ、いや、きっ、きっ、緊張してる、わっ、訳でもないですけど」彼女は何故か俯いた。
僕はその場を離れて、彼女の事を友達の宮部にも頼んだ。宮部は文芸部の一年生部員の中心的存在だった。すると、彼も何となく薄く微笑んだように頷いた。そう言えば、彼も健一と同じクラス、つまり彼女と同じクラスだった。僕はその、二人の薄い微笑みがやや気になった。
取り敢えず僕は彼女と落ち着いて話がしたくて、彼女にメールを送った「今日、部活の終わった時間に、喫茶『ポエム』で待ってます、健二」。ポエムとは学校の近くにある、部活帰りの学生や校内のカップルが寄っていく喫茶店だった。つまりそこで男女が二人きりで会うという事は、校内で公然の中ということなのだった。しばらくすると彼女から、OKの返信が来た。
その日、いつもなら健一と帰る電車通りを、少し早めに部活を切り上げ、僕はポエムへ向かって一人で歩いていた。そして店に着くと、ゆっくりと店のドアを開け、少し広めの店に入り、一番後ろの四人掛けのテーブル席に座り、コーヒーを注文して彼女を待った。今日はまだ他に学生はいなかった。
十分ほど待つとドアのベルが小さく鳴り、ドアが開き、彼女が入ってきた。僕が、彼女に向かって手を挙げると、彼女はすぐに気が付き、僕の座ったテーブルに座り、コーヒーを注文した。
「コッ、コッーヒー」
僕は思わず苦笑してしまった。
「落ち着いて」
「・・・・・・」彼女は俯いて口を閉じた。
「どうしたの?」
すると彼女が顔を赤くし、俯いたまま驚きの事実を僕に告白したのだった。
「きっ、きっ、緊張してる、分けじゃないの。わっ、わっ、私、どっ、どもりなの」
「えっ・・・・」
「わっ、わっ、私、どっ、どもりなの」もう一度彼女が言った時、僕の心の中にあった彼女への憧れが、火が消えて行く様に消えて行くのが自分でも分かった。そして何故か僕の手に届かない様な「美」への憧れが胸一杯に占められてきたのだ。
僕は「まずい」と思った。「こんなところを人に見られたら・・・・」。取り敢えず誘った側のエチケットとしてコーヒー代は出さなければと思い。
「これからも、部活、頑張ろうね・・・」僕はそう言って、立ち上がるとレジで自分と彼女のコーヒー代を支払い、ドアを開け、店を出た。
第1章の2話へ続きます。是非読んでください。




