第1話 光の角度
【暗黒30代】シーズン1悠真side完結後の物語
あの夏、由比ヶ浜で出会った二人。
シーズン1では「上書きされる幻」を描きました。
シーズン2では、
「止めた現実」の裏側を、結衣の視点から。
まだ何も壊れていない、
光と時間が静かに交わる始まりをお楽しみください。
◇◇◇ 水野結衣side ◇◇◇
放課後の教室には、まだ昼の余熱が残っていた。
黒板の文字が半分だけ消され、白い線の跡がかすかに光を弾く。
空気の中で、チョークの粉と夕方の風が混ざり合っている。
その光の匂いを見つめるみたいに、私はカメラを構えていた。
レンズの奥に沈む焦点、シャッターを半押しした指先。
ほんのわずかな呼吸で、時間が止まりかける。
その瞬間が、好きだった。
——「水平、ずれてる。」
背後から声がして、私は息を吐いた。
黒川悠真。
いつも少し眠そうな目をして、三脚の高さを調整している。
写真部の本来の部員で、私は文化祭パンフ撮影の代打に呼ばれた助っ人だ。
「斜めの写真、悪くないよ。」
そう言うと、彼は振り返らずに笑った。
「斜めは嫌いじゃないけど、光が歪むんだ。角度で、時間が変わるから。」
よく分からない言い方だった。
でも、その言葉が胸の奥に静かに引っかかった。
光が時間を変える?
そんなことを意識したことは、今まで一度もなかった。
それなのに、この人の声だけが、遠くで鐘が鳴るように記憶に残った。
外では風が強まり、窓ガラスがわずかにうなった。
夏の手前の季節。
どこにでもある放課後の景色。
それでも私は、あの一日の始まりがこの瞬間だったと、今になって分かる。
ファインダー越しに、悠真が光の位置を確認する姿が見える。
その手元に、夕方の斜光が輪のように広がっていた。
うまく言えないけれど、その光は“止まりそうで止まらない”瞬間みたいだった。
「こっちの構図、見てみる?」と彼が声をかける。
私は頷いて近づく。
ファインダーに映る光景は、見慣れた教室なのに少し違っていた。
机の隅に沈む影、ガラスに重なる雲。
小さなものがすべて、これまでより正直に見える。
「光を信じてるんだね」と私が言うと、
彼は少し驚いたように顔を上げ、それから口元だけで笑った。
「うん。信じないと、写らないから。」
そのとき、胸の奥で小さな音がした気がした。
心臓の鼓動、レンズの駆動音、どちらでも構わない。
ただ、その瞬間に世界が少し明るくなった。
光を信じる——なんて単純で、無防備な言葉なんだろう。
けれどなぜか、それがひどく優しく響いた。
それが、この夏のすべての始まりになった。
そのあと、文化祭のパンフレット用写真の撮影を任されることが決まった。
由比ヶ浜のロケ地チェックに行くことも。
放課後の終わり、窓の外の光が少し赤みを帯びている。
教室の時計は、17時19分を指していた。
悠真が三脚を畳みながら言う。
「時間って、不思議だよ。撮ってる間だけ、ちゃんと流れてない気がする。」
私はカメラバッグを肩にかけて、つい笑ってしまった。
「止めるの、上手なんだね。」
悠真の視線がこちらを掠める。
数秒の、言葉にならない間。
「……君も、かもね。」
その言葉を理解するのに、私は十年かかった。
シーズン2第1話をお読みいただき、ありがとうございます!
シーズン1で悠真を支えた結衣の、知られざる過去十一年。
第1話はまだ純粋な出会いですが、
次話『残したいもの』で、二人の「撮ること」の感覚がずれ始めます。
全12話構成で、高校→空白十年→同窓会直前まで描きます。
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#暗黒30代 #水野結衣side




