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修羅場となった地獄の舞踏会

作者: 入多麗夜

深夜の思い付きと勢いで書きました

 王都最大の夜会――春の大舞踏会は、一週間に渡り開催され、この国の貴族がもっとも注目する社交の舞台である。


 煌めくシャンデリアの光。宝石のように磨かれた床。きらびやかなドレスが咲き誇り、甘い香りのワインが客人たちの手元で揺れる。華やかさの底には、いつもどおりの思惑と嫉妬が渦を巻いていた。


 だがこの年、会場を包んだのはいつもの噂話ではなく、修羅場だった。


 公爵令嬢のダイアナは、婚約者であるレオンハートから、初日に来ないようにと言われていた。


 理由を尋ねても、彼は曖昧に笑って濁すだけだった。


「君は最終日に来ればいい。今日は……その、少し事情があってね」


 その“事情”が何であるか――ダイアナにはとうに分かっていた。


(また誰かと時間を過ごすつもりなのね)


 レオンハートの浮気は一度や二度ではない。

 それどころか、二・三人ほど“候補”を抱えていることも、ダイアナは知っていた。


 それについて半年前、一度だけダイアナは問い詰めたことがあった。


「レオンハート様、貴方が浮気をしているとか

 “妙な噂”が流れているのですけれど本当でしょうか?」


 すると彼は、見事なまでに白々しく笑ってみせた。


「無実だ!そんな馬鹿な話、信じるんじゃないよ、ダイアナ。僕が君を裏切るはずないだろう?」


 その言葉の裏に、微塵の誠意も感じられなかった。

 その時ダイアナは悟ったのだ。


 ――この人は、何を言っても反省しない。都合の悪いことは笑って流せば済むと本気で思っていると


 その先に誠意も、改善も、決意もないことを、彼の態度が雄弁に示していた。


 そういう男であると分かってしまった以上、感情をぶつける価値もなかった。


(期待しなければ、失望することもありませんもの)


 その日から、ダイアナは深追いをしなくなった。

 礼儀としての応対のみを守り、必要以上にレオンハートと会話を交わすこともない。


 彼が誰と会い、どこの夜会に足を運んでいるのかなんて事は知ろうとも思わなかった。


 そして時は戻り、今朝に至る。


 “初日は来るな”と言ったレオンハートの言葉に、ダイアナは逆に決意した。


「……行きますわ。従う理由など、どこにもありませんもの」


 鏡の前でドレスの裾を整え、侍女に髪をまとめさせる。


 だが、その瞬間、ふと胸にひとつの考えが落ちてきた。


 本来なら、このまま馬車に乗り、春の大舞踏会・初日の昼の宴へ向かうつもりだった。


(……待って。私、今すぐ行く必要があるのかしら?)


 侍女がそっと問いかける。


「お嬢様……どうかなさいました?」


「いえ。ただ……思いついたことがありまして」


 ダイアナは指先を顎に添え、ゆっくりと視線を落とす。


 ダイアナ自身は、レオンハートが浮気をしていることは知っていた。


 しかし、浮気相手であろう彼女たちは、自分が“浮気相手のひとり”だとは気付いていない。


(なら……お互いを知らない彼女たちを、同じ場所の、同じ時間に呼び寄せたら?)


 初日の昼に自分が姿を見せる必要はない。

 むしろ、夜のほうが混雑し、騒ぎは目立ちやすい。


「……やはり、朝から行くのはやめますわ」


「え? ですが準備は――」


「晩にいたします。そのほうが都合がよさそうですので」


 丁寧にまとめられた髪に触れ、ダイアナは侍女へ柔らかく微笑んだ。

 そして、ふっと真剣な目つきに戻る。


「すぐに部屋へ戻ります。紙とペンを」


「かしこまりました!」


 ダイアナは裾を軽く持ち上げ、自室へ向かう足を速めた。


 扉を閉めると同時に、机へ向かい、迷いもなくペンを走らせる。


 宛てる相手は、彼の“候補たち”。

 差出人は勿論、レオンハートの名義で書いた。


 ダイアナはこの事で少しも罪悪感を覚えなかった。

 むしろ、この程度のことが問題視されるとは思わなかった。


 そもそも貴族社会では、当主や嫡男が書簡を自筆することのほうが稀である。

 日常の返事や招待の手配など、大半は侍従や秘書、あるいは婚約者が代筆するのが常で、

 筆跡が本人のものかどうかなど、誰も気に留めない。


 ましてレオンハートは、普段から「返事を書いておいて」とダイアナや侍従に任せていた。

 彼の名で文を書くのは、婚約者として当然の務めであり、誰も不自然とは思わない。


 それに、レオンハートの筆跡は癖がなく、侍従が清書したものとほとんど区別がつかない。

 もとより誰が書いたか判別すること自体が難しく、割と大雑把な世界であった。


『春の大舞踏会、初日の夜。王城大広間にてお待ちしております。一度、お話ししたいことがございます』


 文面は丁寧に、しかし意味深に。


 ダイアナは三通の手紙を仕上げると、それぞれ封蝋を施し、侍女を呼んだ。


「これを、それぞれ届けてください。急ぎで」


「かしこまりました」


 手紙が屋敷を出ていくのを見届けると、ダイアナは静かに窓辺へ腰を下ろした。


 胸の内に、怒りはなかった。

 あるのはただ、冷めた好奇心だけ。


 ――この男が、自分の行いの結果とどう向き合うのか、それだけが知りたかった。



 ◇



 その夜。春の大舞踏会・初日の夜会は、予想通りの盛況だった。


 昼とは違い、夜会には王族も姿を見せるため、貴族たちはより一層、熱気に包まれていた。


 そしてレオンハートもまた、その中心にいた。

 彼は社交的で、笑顔が爽やかで、女性たちの人気も高い。


 当然ながら、今夜も複数の令嬢たちと軽やかに会話を交わしていた。


「レオンハート様、本日は本当に素敵ですわ」

「いやいや、君の方こそ。その髪飾り、よく似合っているよ」


 そんな空気の中、大広間の入り口に、ひとりの令嬢が姿を現した。


 侯爵令嬢――エリザベート。


 栗色の髪に青いドレスを纏った彼女は、レオンハートの候補のひとりだった


 彼女はきょろきょろと見回し、やがてレオンハートの姿を見つけると、ほっとしたように微笑んだ。


(手紙を受け取ったということは……レオンハート様も私を待っていてくださったのね)


 エリザベートは胸を高鳴らせながら、レオンハートの元へ向かおうとした。


 その時だった。


「……あら」


 別の方向から、もうひとりの令嬢が現れた。

 伯爵令嬢――セシリア。


 金髪に紅いドレスを纏った彼女もまた、レオンハートの候補のひとり。


 セシリアもまた、手紙を受け取り、この場に呼ばれたのだ。


 そして――。


「……まあ」


 三人目。辺境伯令嬢――ロザリンデ。


 黒髪に白いドレスを纏った彼女も、同じ手紙を受け取っていた。


 三人は、ほぼ同時に会場へ入り、そして――互いの存在に気付いた。


「……エリザベート様?」


「セシリア様……どうしてここに?」


「私はレオンハート様から……いえ、お手紙をいただいて」


「え……? 私も手紙を……」


 三人の視線が、同時にレオンハートへ向いた。

 そしてレオンハートは――まだ事態に気付いていなかった。


 彼は別の令嬢と談笑しながら、ワインを傾けていた。


「……ねえ、レオンハート様」


 エリザベートが声をかける。

 レオンハートは振り返り、笑顔を浮かべた。


「やあ、エリザベート。今夜も綺麗だね……ってあれ?」


「ありがとうございます。ところで……」


 エリザベートが続けようとした瞬間、セシリアが割り込んだ。


「レオンハート様、私もお手紙をいただいたのですが」


「え……?」


 レオンハートの笑顔が、わずかに硬直する。

 そしてロザリンデも進み出た。


「私も、です」


 三人が、それぞれ手紙を取り出す。


「これは……まさか代筆か……!?」


 レオンハートの顔から、血の気が引いた。

 そして、その背後から、静かな声が響いた。


「皆様、お揃いのようですわね」


 振り返った彼の視界に、ダイアナが立っていた。

 深紅のドレスに身を包み、髪を優雅に結い上げた彼女は、堂々とした佇まいであった。


「ダ、ダイアナ……!貴様……!」


「レオンハート様。お久しぶりですわ」


 ダイアナは微笑みながら、三人の令嬢たちへ視線を向けた。


「エリザベート様、セシリア様、ロザリンデ様。お集まりいただき、ありがとうございます」


「……どういうこと?」


 エリザベートが困惑の表情を浮かべる。

 ダイアナは、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「皆様にお伝えしたいことがあったのです。レオンハート様は、私の婚約者でございます」


「は……?」


 三人が、一斉にレオンハートへ視線を向けた。


 レオンハートは、口を開こうとしたが――言葉が出なかった。


「そして」


 ダイアナは続けた。


「レオンハート様は、皆様にもそれぞれ特別な関心をお持ちのようでしたので……一度、皆様で顔を合わせるのもよいかと思いまして」


 会場が、静まり返った。

 周囲の貴族たちも、この異様な空気に気付き始めていた。


「……レオンハート様!!」


 セシリアが、鬼の形相で問い詰める


「これは、どういうことですか!?」


「私も説明を求めます!」


 ロザリンデも、厳しい表情を浮かべた。

 エリザベートは、ただ呆然としていた。


 レオンハートは、必死にいつもの笑顔を作ろうとしたが――もう誰も騙されなかった。


「あ、いや……これは誤解で……」


「誤解?」


 ダイアナが、静かに首を傾げた。


「どの部分が誤解なのでしょうか。貴方が私の婚約者であることは事実ですし、皆様と親しくなさっていたことも事実ですわ」


「ダイアナ、君は――」


「私は、ただ真実を共有したかっただけですの」


 ダイアナは、三人の令嬢たちへ向き直った。


「皆様には、知る権利がおありだと思いましたので」


 エリザベートが、震える声で言った。


「……私、騙されていたのね」


「私もです」


 セシリアが、唇を噛んだ。


 ロザリンデは、静かにレオンハートへ歩み寄った。そして――。


 パァンッ!


 乾いた音が響く。


 ロザリンデの平手打ちが、レオンハートの頬を打ったのだ。


「……っ!」


 レオンハートが、頬を押さえて呻く。


「最低ですわ」


 ロザリンデは、冷たく言い放った。


「私の気持ちを、何だと思っていたの?」


 続いて、セシリアも進み出た。


 パァンッ!


 二発目の平手打ち。


「私も……信じていたのに」


 セシリアの瞳には、涙が浮かんでいた。

 そしてエリザベートが、震える手を上げた。


 パァンッ!


 三発目。


「もう……二度と、お顔も見たくありませんわ」


 三人の令嬢たちは、それぞれ踵を返し、会場を去っていった。


 レオンハートは、両頬を赤く腫らして、呆然と立ち尽くしていた。


 会場中の視線が、彼に注がれていた。


「あれが噂の修羅場という奴か……」

「まさか、本当だったなんて」


 レオンハートは、ダイアナへ視線を向けた。


「……君は、僕を陥れるつもりだったのか」


「陥れる?」


 ダイアナは、首を傾げた。


「私はただ、貴方が隠していたことを明らかにしただけですわ。自分でしたことの結果ですもの」


「だが……!」


「それに」


 ダイアナは、レオンハートの前へ歩み寄った。

 そして――。


 パァンッ!


 四発目の平手打ち。

 ダイアナの手が、レオンハートの頬を打った。


「これは、私の分ですわ。半年間……いえ、もっと前から」


「ダイアナ……!」


「私も疲れましたの。貴方に付き合うのは」


 そう言って、ダイアナは婚約指輪を外した。


「これ、お返しいたします。婚約は、破棄させていただきますわ。レオンハート様」


 指輪を彼の手に押し付け、ダイアナは優雅に一礼した。


「それでは、ごきげんよう」


 そして彼女は、堂々と会場を後にした。


 暫くして誰かが小さく笑う。

 それが引き金となり、あちこちから失笑が漏れ始めた。


 レオンハートは、顔を真っ赤にして――逃げるように会場を後にした。


 屋敷へ戻ったダイアナは、ドレスを脱ぎ、窓辺へ腰を下ろした。

 侍女が心配そうに問いかける。


「お嬢様……大丈夫ですか? お手が……」


 ダイアナは、自分の右手を見た。

 掌が赤く、じわりと熱を帯びている。


 あれだけ力を込めてビンタをしたのだから、ヒリヒリして当然だ。


 だが、痛みとは裏腹に胸の内は驚くほど晴れやかだった。

 笑ってしまうくらいに、気分は最高だった。



 ◇



 そして翌朝、王都中に噂が広がった。


 春の大舞踏会で、レオンハート卿が四人の令嬢から平手打ちを受けたという、前代未聞の醜聞が。


 その噂は瞬く間に王都中を駆け巡り、社交界は持ちきりとなった。


 だが事態はそれだけでは終わらなかった。


 噂が広がるにつれ、次々と新たな被害者たちが名乗り出始めたのだ。


 子爵令嬢のアメリア、男爵令嬢のクララ、騎士の娘のソフィア、商人の娘のエミリー、宮廷楽師の娘のリディア。そして、遠方の領地から訪れていた伯爵令嬢のイザベラ。


 舞踏会で平手打ちをした四人に加え、さらに六人もの女性たちが、レオンハートから好意を寄せられていたと証言したのだ。


 最早ここまで来ると、呆れを通り越してお笑いだった。


「十人って……一体どうやって管理していたのかしら」


 各々のお茶会でも、そういった噂話として語られるようになっていた。


 そして最も屈辱的だったのは――レオンハート本人が、もはや反論すらできなくなっていたことだった。


 彼が社交の場に姿を見せるたびに、クスクスと笑い声が漏れる。


 令嬢たちは露骨に距離を置き、男性貴族たちは憐れむような目で彼を見た。


「やあ、レオンハート。今日は何人と会う予定なんだい?」

「おや、もう十人は埋まっているのか? 十一人目の募集はしていないのかね?」


 なんて事まで言われる始末だった。

 

 そうした事もあってか、レオンハートは二度と人前に出る事はなかったのだった。


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― 新着の感想 ―
お見事。 多分これ一人で言ってたら誤解だとかなんとか誤魔化してそうですな。 それが通るかは別として
少女時代のライオンハートってMV思い出した(笑)
誠実でないならせめて誠実なフリを全力でできる方なら見ないフリもできるかもしれませんけれど。 狭い社交界で「この日は来ないでほしいな」なんて言葉でどう取り繕えると思ったのかしら。 誠実である自信はないと…
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