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第4話 危うい宴、雌伊子のゲーム(2)

 静まり返った夜の街。暗闇の中、フラフラの雌伊子に肩を貸しながら歩くのは、さっきまで彼女の隣に座っていたテニスサークルの男だった。


 無言のまま駐車場へと向かい、雌伊子を車の後部座席に寝かせる。虚ろな反応しか示さない彼女を見下ろしながら、男は小さく笑みを浮かべた。


「雌伊子ちゃん、大丈夫?」


 口先だけの心配そうな声。しかし、男の目には別の思惑が滲んでいる。


車のドアを閉め、運転席に座ると、独り言のように呟いた。


「やばい……こんなに可愛い子、初めてだ。手が震える……動画、撮っちゃおうかな……」


 男の口元が歪む。


「へへ……やっぱ、あの薬めっちゃ効くな」


 車がガタガタと揺れながら、舗装の甘い道をゆっくりと登っていく。周囲の街灯はまばらになり、闇の中にぽつりぽつりと光が点在するだけ。


 山道に差し掛かると、タイヤが小石を跳ねる音が静かな車内に響いた。やがて、視界が開けた場所に車が停車する。


男は運転席を降り、後部座席のドアを開けると、陽気な声を響かせた。


「着いたぜ、雌伊子ちゃん。ここ、夜景がすごく綺麗だろ? ……って、聞こえてないか。はは、まぁいいや。ゆっくり休ませてあげるよ、ベッドでね」」


 男の手が雌伊子の腰へと伸びた。


「そんな汚い手で触ろうとか、冗談キツいですよね~? あはは、なにその必死な手? 気持ち悪すぎて鳥肌立っちゃうんですけど~?」


「なっ!?」


 突然の声に、男は後ずさった。


 いつの間にか雌伊子は目を覚まし、上体を起こしていた。そして、冷ややかに男を見下ろすような目つきで睨みつける。


「なななな、何で!? 寝、寝てたんじゃ!?」


 驚愕する男。しかし、そんな様子を楽しむかのように、雌伊子はニヤリと口角を上げた。


「バ~カ。お前みたいなクソ雑魚が私をどうにかできると思ってんの? マジで鏡見たことある? 吐き気がするんですけど~? 一回死んでから出直してきたら?」


 冷たい嘲笑を浮かべながら、彼女はわざとらしくため息をつく。


「はぁ~、マジで頭悪いしセンス皆無。こんな雑な手口で私をどうにかできると思ってるとか、正気? どんだけ脳みそ化石レベルなの?」」


 そう言うと、彼女は嘲るような笑みを浮かべた。そして男を見下すように軽くあごを上げ、そのままゆっくりと口の中をもごもごさせ、舌をベロリと出した。


「あっ!」


 男の視線が釘付けになる。


 雌伊子の舌の上にはガム。その中には、白い錠剤が包まれていた。


 彼女はそのガムを男の前にペッと吐き捨て、さらに小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「ねぇ、錠剤って溶けるのに時間かかるんだけど? そんなことも考えられないとか、ガチで知能低すぎでしょ。せめて計画くらいちゃんと練ろうよ~? ほんっと、詰めが甘いんですよねぇ、せんぱ~い」


 男はガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうなほどショックを受けていた。


 さらに雌伊子は畳みかけるように言う。


「あ~あとぉ、さっき車内でのあんたの顔と気持ち悪い独り言、ぜ~んぶスマホで録音してるんで~」


「ええっ!? そ、そんなっ!」


 男は顔面蒼白になり、慌てふためく。


 そんな彼の前で、雌伊子はゆっくりと両手を広げた。その顔には余裕の笑みが浮かび、まるで獲物をからかうような視線を向けていた。


「はい」


「へっ?」


 男は状況を飲み込めず、ただ呆然と立ち尽くした。


 次の瞬間、彼女はゆっくりと口元を歪め、冷え切った視線で男を一瞥した。まるで虫けらでも見るような軽蔑の目だった。


「鈍いなぁ……ほら、察しなよ?」


 男は一瞬で状況を察し、慌てて財布を取り出すと、中の札を掴んで雌伊子の手のひらに押し付けた。


 すると彼女は、満足げにニッコリ笑いながら札を軽く弾き、まるで遊び道具のように弄ぶ。


「いいねぇ~、意外と持ってんじゃん。お勉強代としてはまぁまぁかな?」


 そう言って、雌伊子はひらひらと手を振った。


「じゃあねぇ、せんぱ~い 二度と私の前に現れないでね?」


 男は青ざめた顔で逃げるように車へ飛び乗り、急発進させて闇の中へ消えていった。


 男の姿が完全に見えなくなると、雌伊子はつまらなそうに息をつきながら、手の中の札をぱらりとめくる。


札を財布に押し込み、ホテルの外にある石畳へ腰を下ろした。


足を組み、膝に肘をつき、指先で顎を支えながら、静かな夜空をぼんやりと眺める。


「おそっ……」


かすかに呟いた声は、夜の闇へと溶けていった。


 スマホを開き、何度も画面をスクロールしながら時間を潰す。数分、いや十数分が過ぎた頃、冷たい風が吹き抜け、雌伊子は肩をすくめた。じわじわと夜の静寂が肌に染み込んでくる。


 ふと、スマホを閉じて伸びをしたその時、不意に後ろから声が響いた。


「雌伊子!」


 その声に、雌伊子はぱっと表情を変え、まるで待ちわびていたかのように振り向いた。


「せんぱ~い!」


 ぱっと弾けるような満面の笑顔。


 小動物のように跳ねるような足取りで駆け寄り、両手をぶんぶん振りながら、無邪気に甘えるような声を上げる。


「おっそ~い! 先輩がなかなか来ないから、ちょっと寂しかったんですけど?」」


 息を切らし、焦りながら駆け寄る恵純。どうやらここまで全力で走ってきたらしい。


「おい、無事か!? 何もされてないよな!?」


 恵純の必死な問いかけに、雌伊子はいたずらっぽく目を細める。


「うえ~ん、怖かったよぉ……先輩、遅いんだもん!」


 涙目で訴えながらも、雌伊子は恵純の腕にしがみついた。その表情には安心と甘えが入り混じっていた。


「よくここが分かりましたね、先輩」


 恵純はスマホを取り出し、画面を見せつける。


「そりゃ、こんなメッセージと位置情報が送られてきたらな……」


 スマホの画面には、


『ホテルに連れ込まれちゃう~! 助けてせんぱ~い!』


 というメッセージが。


 雌伊子はいたずらめいた顔をすると、次の瞬間、急に泣きそうな声を上げた。


「うえ~ん、先輩のために取っておいた初めてを……」


「え、ええ!? お前、ちょっ。待てマジか!?」


 恵純は目の前のホテルと雌伊子を交互に見ながら取り乱す。


 完全に勘違いし、あたふたする恵純を見て、雌伊子は顔を隠しながらクスクスと笑う。


「ぷっ……あはは、ほんっと単純ですね、先っ」


 しかし、次の瞬間——


 雌伊子の体はふわりと浮き、気づけば恵純の腕の中にいた。


「……え?」


 驚きのあまり、思わず声を漏らす雌伊子。


「心配すんなっ! どんなことがあっても俺はお前のそばにいる! だから、何があっても俺に任せとけ!」


 強く抱きしめる恵純の腕。その温もりに、雌伊子は思わず心臓が跳ねるのを感じた。


「ばっ……バカ……! そ、そんなこと……急に……」


 いつもなら余裕たっぷりに恵純をからかう雌伊子だったが、今度ばかりは言葉が詰まる。


 心臓の音が恵純に聞こえてしまいそうで、必死に顔を伏せる。


「……な、なんか……ズルい……」


 震える声でぽつりと呟く雌伊子を、優しい月光だけがそっと照らしていた——。

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