第3話 危うい宴、雌伊子のゲーム(1)
居酒屋のざわめきに包まれながら、俺は座敷席の畳の上に胡坐をかいていた。
目の前には、大皿に盛られた焼き鳥や枝豆、揚げ物の数々。そして、テーブルの上にはすでに何本ものビール瓶やジョッキが並び、ところどころに酔いが回ったやつの笑い声が響いていた。
――正直、場違い感がすごい。
普段は柔道部の連中とばかり飲む俺が、まさかテニス部の飲み会に参加することになるとは。しかも、きっかけは俺じゃなく、雌伊子の「テニス部の飲み会って、なんかキラキラしてて楽しそう~。一度参加してみたいな~」という何気ない一言だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、隣に座っていた恭介が「なら、一緒に来ればいいじゃん!」と気軽に了承してしまい、気づけば俺も巻き込まれていた。
そして今、俺はこの場にいる。
隣には恭介が座り、その向かい側には雌伊子。その周囲にはテニス部の連中が集まり、すでに盛り上がりを見せていた。
特に、雌伊子の周りには男たちが群がり、あれこれと質問攻めにしている。
「雌伊子ちゃんがモデルで掲載されてたサイト見たよ!超美人だった!!」
「普段はどんな撮影が多いの?」
「彼氏いるの?いやそんだけ可愛いとやっぱイケメンの彼氏いるか~」
矢継ぎ早に飛び交う質問の数々。それをすべて受け止めながらも、雌伊子は完璧に捌いていた。
「ふふっ、そんなに聞かれても答えきれないですよお」
わざとらしく困ったように笑いながら、彼女はふわりと髪をすくい上げ、手ぐしでそっと撫でる。その仕草は気だるげで、それでいて妖艶な色気を感じさせる。
「撮影はねぇ、割と自由な感じかな? カジュアル系とか、大人っぽいのとか、いろいろ。写真に撮られるの、好きだし~」
甘えた声で答えながら、ちらりと上目遣いで男たちを見つめる。その仕草ひとつで、相手が顔を赤くするのが見て取れる。
……いつものことだ。
雌伊子は、小悪魔だ。男の扱いに関してはプロ級のスキルを持っている。いや、もはや天性の才能と言ってもいい。
彼女にとって、こういう場はゲームみたいなものなのかもしれない。相手の反応を見ながら、じわじわと追い詰めていくのが楽しくて仕方がないのだろう。
そんな様子を見ながら、隣の恭介に視線を向けた。
「……すげえな、お前の彼女」
「とても凄いって顔に見えん、それ呆れてる顔だろ……」
俺がぼそりと言うと、恭介は肩をすくめて小さく笑った。
「いや、正直感心するわ。あれだけ質問攻めにされて、全部捌けるって、もはや才能じゃね?」
「まあな……」
俺がそう返したときだった。
突然、視線を感じた。
ふと顔を上げると、恭介の周囲にいた女子たちが、俺のことを睨んでいた。
……なんだこれ。
まるでゴミでも見るかのような視線。明らかに俺の存在を邪魔だと思っている目つき。
理由は分かりきっている。
――恭介の隣を空けろって事だな……。
恭介はテニス部の看板役。女子の人気も高く、彼に近づきたい女は数えきれないほどいる。そんな恭介の隣にいる俺は、彼女たちにとって「邪魔者」以外の何者でもない。
「……なあ恭介」
俺は小声で囁いた。
「俺、邪魔っぽいし、ちょっと席外そうか?」
「頼むからここにいてくれ……」
恭介が困ったような顔で言う。
なるほど、モテるというのにもそれなりの悩みがあるようだ。
俺がそう思った瞬間だった。
何かが足に触れた。
ぴくりと、脛に感じる柔らかい感触。
「……?」
気になって下を覗き込むと、そこには、雌伊子の白くてか細い足先。
スッと、俺の脛を通り抜け、下半身に触れる。
「っ……!」
瞬間、俺の体がピクンと跳ねた。
慌てて顔を上げると、向かい側の席に座っている雌伊子が、口元をゆるく吊り上げていた。
男たちの会話を聞き流しながら、まるで何事もないような顔をして。
しかし、声を出さずに、口パクだけでこう言った。
(雑、魚)
……このやろう。
俺が睨みつけると、雌伊子は楽しそうに蕩けた目を細めた。
そして、再び足先が動く。
今度は、俺の下半身をつつこうとする。
てめぇ……。
必死に避けながら、俺はジョッキを持ち上げ、勢いよく喉へ流し込んだ。アルコールが胃に染み渡り、じわじわと体が熱を帯びるのを感じる。
絶対にバレてはいけない。こんなバカみたいな状況が、周囲に知られたら終わりだ。
だが、その攻防は、やがて俺の限界を超えた。
……数十分の攻防の後。
「恵純、お前飲み過ぎじゃないか?そんなに酒強くないんだから……って、大丈夫か恵純?」
隣の恭介が、俺の異変に気づいた。
すでに酔いが回ってきていた。頭がぼんやりとし、視界の端が霞む。
すると、向かい側の雌伊子が、虚ろな声で言った。
「あれ……なんだかすごく眠気が……」
まるで力が抜けるように、ふらりと体を傾ける。その華奢な肩が揺れ、ゆっくりと身を預けるような仕草に、周囲の男たちがざわついた。
「おい、大丈夫か?」
俺が声をかけようとした瞬間。
喉の奥から突き上げるような吐き気が襲いかかる。胃が締め付けられ、ぐらりと体が揺れた。
「……っ!」
俺の異変に気づいた恭介が、すかさず俺の腕を取る。
「トイレ行くぞ!」
まともに歩けるか分からないが、俺は恭介に支えられながら席を離れた。
足元がふらつく中、去り際に雌伊子の方をちらりと見る。
彼女の背後には、ニヤついた男の影。雌伊子を支えるように手を添え、彼女の頬を覗き込んでいる。
嫌な感覚が背筋を走る。
……雌伊子のことが気になって仕方がない。だが、酔いで思考がまとまらず、意識が遠のいていく。