第2話 囁く悪魔と睨む雑魚
昼下がりの大学のキャンパスは騒がしく、人の声と足音が入り混じっていた。練習を終えたばかりの俺、深川恵純は、汗が滲むTシャツの裾を引っ張りながら、視線を巡らせる。
遠くで新入生たちが騒ぎ、ベンチには講義帰りの学生がだらしなく腰を下ろしている。浮ついた雰囲気が充満する中、俺は一人、重たい息をつきながら雌伊子を探した。
どこにいやがる。
あいつのことだ、どうせまたどこかで男どもを手玉に取って遊んでいるんだろう。
雌伊子はどこだ。
軽く伸びをしながら、胸騒ぎを覚えつつ視線を巡らせる。アイツが大人しくしているはずがない。気がつけば、また厄介ごとを引き寄せているに決まってる。
歩を進めると、建物の影から姿を現したのは周防恭介。奴の軽快な足取りが目に入った俺は、自然と声をかけた。
「恭介、雌伊子見なかったか?」
「ん? ああ、ホールで男たちに囲まれてたぞ。なんかやたら馴れ馴れしく話しかけられてたし、雌伊子ちゃん狙ってる奴多いから気を付けろよ」
軽口混じりに忠告する恭介に、俺は軽く眉をひそめながらホールへ向かった。そこでは案の定、雌伊子が数人の男たちに囲まれ、楽しげに会話をしているのが見えた。
「雌伊子ちゃん、読モなんだって? やっぱりな、どおりで目立つわけだ」
「そういうのって撮影とか忙しいの?」
「ねえ番号交換しようよ、今度話聞かせてよ」
「雰囲気もいいけど、スタイルも抜群だよな……」
男の視線が、明らかに彼女の胸元に向けられていた。
何やってんだ、こいつら……
楽しそうに話しているのが気になり、俺は柱の陰に身を潜めた。
雌伊子は楽しそうに笑いながら、器用に会話を回していた。。
男たちは彼女の言葉に引き込まれ、軽口を交わしながらどんどん距離を詰めていく。
「へぇ、それって褒めてるんですかぁ?」
雌伊子はニヤリと笑い、わざとらしく髪を指でくるくると弄びながら、甘えた声を出す。
「それよりさ、今度うちのテニスサークルの飲み会こない? おごるからさ」
「へぇ、奢ってくれるんですかぁ? でも私、まだ十九なんですよね~? もしかして、酔わせて何かするつもりだったり?」
わざと大きな瞳をパチパチさせながら、いたずらっぽく笑う。
「そ、そんなこと……」
「ほんとぉ? だって、そういうのって怖いじゃないですかぁ」
男たちの反応を楽しむように、わざと怯えたような仕草を見せる雌伊子。
その顔には、小悪魔的な微笑みが浮かんでいた。
男たちは彼女の仕草に興奮し、ますます調子づいていく。
雌伊子の遊び半分の態度に、ここまで乗せられているあたり、見るに堪えない。
流石にこのまま放っておくのも気が引ける。
俺はため息をつき、柱の陰から一歩踏み出した。
ずかずかと歩み寄ると、男たちは目の前に現れた俺の姿を見て、一瞬固まる。
俺が近づくと、男たちの表情が硬くなった。
「あ、先輩」
雌伊子が俺を見つけると、いたずらっぽく目を細めながら駆け寄り、遠慮なく俺の腕にしがみついた。
「え? もしかして……彼氏?」
男たちは一瞬驚いたように視線を交わした。どうやら、彼女の彼氏はもっとスマートなタイプを想像していたらしい。だが、現れたのは百九十センチ、恭介曰く巨人だ。
雌伊子はそんな空気を楽しむように、俺の腕にぴったりと身体を寄せながら、雌伊子は小さく笑った。
その仕草はまるで勝ち誇ったかのようで、唇の端をゆるく吊り上げながら男たちを見回した。
「ごめんなさい、先輩方。でも私の初めてはもうこの人に予約済みされてるんで……それに、もう準備もできてるし~」
そう言いながら、雌伊子は俺の腕に絡みついたまま、艶やかに唇を舐める。その瞬間、周囲の男どもは一斉に顔を赤らめ、口をパクパクさせるだけで何も言えなくなっていた。
そんな様子を楽しむように、雌伊子は俺の腕にさらにしがみつき、目を細めながら、唇の端を少し上げ、まるで獲物を前にした猫のような笑みを浮かべる。
「ね、先輩? もっとぎゅってしてくれないと、私、不安になっちゃうなぁ」
雌伊子は腕を絡めたまま俺に体重を預け、甘ったるい声を漏らした。
「わかったわかった」
「先輩、ちょっと冷たくないですかぁ? せっかく助けてくれて嬉しかったのに」
「……調子に乗るな」
俺はため息混じりに言いながら、雌伊子の腕を振りほどくこともせず、そのまま歩き出した。周囲の視線がまだこちらに向いているのを感じるが、雌伊子はそんなことお構いなしに俺にぴったりとくっついてくる。
ホールを抜け、少し人気のない道に入ると、ようやく喧騒から解放された。
ふと隣を見ると、雌伊子は満足げに腕を絡めたまま、いたずらっぽく笑っている。「え
「ねえねえ、先輩」
「……なんだよ」
「嫉妬した?」
「……別に」
俺はそっぽを向き、何でもないふりをする。 しかし、雌伊子はそれを許さない。
「先輩、もしかしてちょっと拗ねてる? ふふっ、かわいいなぁ。図体でかいくせに、そういうとこホント子供っぽいんですよね」
わざとらしくため息をつきながら、雌伊子は俺の顔を覗き込む。俺はそっぽを向きながら、軽く舌打ちした。
「……うるせぇ」
しかし、俺が睨むように視線を向けると、雌伊子の表情が一瞬蕩けた。
「はぁ……それ……」
うっとりとした目で俺を見上げながら、雌伊子はゆっくりと自分の胸を両腕で持ち上げ、わずかに体を揺らす。
「先輩のせいで……立っちゃった……」
囁く声は甘く、俺の耳元をくすぐり、視線は、差し出される様に持ち上げられた、両胸の先端に……。
「…………」
一瞬、脳が真っ白になる。視線を逸らそうとしても、雌伊子の仕草が妙に艶めかしく、動揺が隠せない。
「はい雑魚~っ!、今の顔、すっごく面白い」
雌伊子がくすくすと笑いながら、さらに俺の腕にしがみつく。
俺は大きくため息をついた。
「……お前が好きなのは、どうせ俺のこの目つきの悪さだろ」
適当に言い捨てると、雌伊子はピクリと肩を揺らし、視線を逸らした。
「それだけじゃ……ないし……」
「え?」
思わず聞き返すと、雌伊子は頬を赤らめながら、ふてくされたように口を尖らせた。
「何でもないです~」
ふわっと揺れる金髪をなびかせながら、そっぽを向く。
俺はそんな彼女の後ろ姿を見て、ふと苦笑した。
「……まったく、しょうがねぇ奴だな」
ゆるく頭を振りながら、二人は並んで歩き出すのだった。