第1話
一瞬の事だった。
つい数秒前まではリビングのテレビの前で今年10歳になる妹、美咲と遊んでいた。しかし、今目の前にいるのは白い顔で目を見開いたままぐったりと横たわっている美咲の姿だった。目には全く生気を感じられない。
沙紀は美咲を自分の手で絞め殺したのだと気づくのに時間がかかった。少し汗ばんだ手には力を入れた感覚がまだ残っている。
自分の妹の死体を見ながらゆっくりとこうなるまでの経緯を思い出す。この時沙紀は驚く程に冷静でそんな自分に恐怖さえ感じていた。
えーっとまず何があったんだっけ。あっ、そうだそうだ。美咲が私にしつこく「遊ぼう、遊ぼう」と迫ってきたところから始まったんだった。
しばらく観察していたが美咲はぴくりとも動かない。
沙紀はあまり美咲のことが好きでは無かった。両親は共働きで遅くまで家には帰らず、まだ小学生の妹の面倒を見るのはいつも高校3年生になる自分の役割だった。
今晩は明日に行われる全国模試のテストに向けて範囲をもう一度見直そうと考えていた。このテストでは志望校別に自分の今の順位が出される。
ここの所、沙紀は勉強こそしているものの、順位は下がり続けていて前回の模試では合格ラインギリギリの位置にいた。そんな沙紀を見て両親は次のテストでまた同じような結果だったら、大学のレベルをワンランク下げるようにと言ってきた。そうなれば必然的にずっと沙紀の夢だった医者になれなくなる。抗議はしたものの親の考えは変えられなかった。
だからこそ今回は本当に沙紀にとっては特別だった。
家に帰ると美咲は夕方あるアニメをソファの上でつまらなそうに見ていた。これなら静かに勉強できるぞと思い部屋へ向かおうとしたが、姉が帰ってきたのを確認するや否や自分の部屋へすっ飛んで行きレゴブロックやパズルなど手一杯に遊び道具を満点の笑顔と一緒に持ってきてしまった。
美咲は嬉々として、
「ね、ね、ね!今度遊ぶって約束してたよね!みーちゃんレゴしたい!その後はね、えっと…」
「美咲、ごめんね。明日大事なテストがあって今日は遊べないんだ。また今度、遊ぼ?」
「え、でも…約束したもん。約束守らないと針千本飲ませるよ、いいの?」美咲は下を向いて呟いた。
「今日はどうしても勉強しなくちゃいけないから、ね?」
と言うと美咲は真っ赤な顔をお餅みたいに膨らませながら「やだやだやだ」と騒ぎ出す。
一度こうなると美咲は中々折れてはくれない。過去に何度か同じようなことが起こったが、その時は大泣きされて大変だった。
少し遊べば美咲もそれなりに落ち着くだろうと思い、相手をする事にした。約10分かけてレゴでお城を作ると美咲は「おー大っきいねー」と360度回してその完成度に満足そうに言った。やっと終わったと沙紀は部屋に戻ろうとした。ここまで遊べばいつもなら拗ねながらも渋々了承してくれるのだが、この日だけは違った。
沙紀が立ち上がると無言で美咲も立ち上がり、行かせないように制服の袖を掴んできた。
「まだ遊びたい」
美咲は口を尖らせて言った。
「でももう遊んだし続きは今度やろう?」
と言ったものの首を振り続けて解放してはくれなかった。
このあまりのしつこさにこの時沙紀の中で苛立ちが少しづつ広がっていくのを感じていた。
「美咲、離して」
美咲は首を振る。
「いい加減に言うこと聞いて」
なんでこんな大事な時に限って言うことを聞いてくれないの?と上手くいかないこの状況にとても歯がゆい気持ちだった。いつもそうだ、私はツイてない。
この時、さすがに声のトーンから沙紀が怒っているのを察したみたいで美咲は首を振るのを止めたが袖を掴んだまま腰辺りを見つめている。
「遊んでる暇はないの、分かる?」
美咲の手を掴むと強引に引き離した。
それでも沙紀にくっついて離れようとしなかった。美咲の目には涙がいっぱい溜まっていた。
「今言うことを聞かないともうこれから遊ばなくなるけどいいの?」
そう言っても状況は変わらなかった。
沙紀は思った。
邪魔するくらいなら死ねばいいのに。
その感情とこのワガママな妹への嫌悪が全身を支配する。同時に、気づいたら美咲の首を力いっぱい絞めていた。
ジタバタ動くが構わず力を込め続けた。
「かっ……かっか……」
妹の顔はみるみる赤から青紫色に変わっていった。それでも手に込めた力は緩まない。
「おね…ちゃ……や…て…」
目からは涙が、口からは唾液が顎を伝って床に落ちた。
「ご…な……い……」
美咲はジタバタをやめた。
沙紀は手を離すと床に力なく倒れ込んだ。
最後に美咲は「ごめんなさい」と言ったのだろう。
一体私は何をしたんだ?