復活のクレイジーストーム
その戦いのレベルの高さに、警官たちはただ口を開けて見ていることしか出来なかった。
芋虫型の攻撃パターンは主に三つである。
上体を起こした体勢で盾のような前足で殴打。体全体を素早く前方に伸ばしての噛みつき。
そして丸まって転がりながらの突進攻撃。これらを状況に応じて、使い分けていた。
人間を食したことにより一時的に活性化されたその一連の動きは非常に速く、そして破壊力があった。加えて巨体と間近で相対することから来る精神的圧力は凄まじく、それらをいなすワタルの神経が猛烈な勢いで磨り減らされていったのは言うまでもない。
両者の攻撃が空を切った際に生じる、風切り音。
或いは大槍の穂先が硬い皮膚に弾かれるときに生じる、金属音。
両者とも有効打を入れられないまま、長い時間が過ぎていた。その間にいつのまにか報道用のドローンカメラが何機か、空を飛び始めている。
芋虫型は守りも堅く、急所である腹部と頭部はそれぞれ地面と盾に守られているため、ワタルははっきり言って攻めあぐねていた。
僅かな隙があるとすれば、攻守の切り替えの際に生じるほんの一瞬のみであるが、彼にはどうしてもそこを突くことが出来なかった。
ワタルが牽制で放った突撃を前足の盾で弾き飛ばすと、芋虫型が上体を大きく反らす。
この動きは噛みつき攻撃に転じる際に反動をつける為の予備動作であり、この瞬間の無防備な頭部は狙い目となる。それを知っていたワタルの受け身は十分に早く、そこから即座に全速力での突進を掛ければ勝負にいけた状況であった。
しかし、またもやワタルは躊躇した。
彼の行動にブレーキをかけたのは、咄嗟によぎった数々の後ろ向きな思考である。
無茶な動きをすれば、病み上がりの身体に負担が掛かる。また勝負に出たところで、芋虫型が奥の手を隠し持っているかも知れない。そもそも、もう少し待てば食事による強化の効果も切れるだろう、などといった考えが次々と頭の中を駆け巡り、彼の行動を抑制していた。
ワタルは眉間に皺を寄せ、遂にはっきりと苛立ちを発語した。
「クソッ、ふざけるな! こんなものは、こんなものは俺じゃない!」
よくよく考えれば身体は多少ハードな動きをしても問題ない程度には回復しているし、あの状況から芋虫型の奥の手もありえない。ミチルは彼のことを強くなったと評価していたが、やはりワタル本人は現在の自分に納得していなかった。
昔の彼は一か八かの危険な賭けに自ら進んで飛び込み、筋肉と骨と血をこれでもかというくらいに酷使し、そして悉く勝利してきた。例えどんな無茶をしたとしても、まるでやられる気がしなかったし、命を削りながら手にするその勝利こそが最高の快感だった。
それが今となっては頭ではそうしたいと思っていても、体の方が拒絶してしまう。
大量の血液を消費し、強化状態の槍を力任せに振り回す、彼の代名詞とも言える必殺技、シャイニングテンペストに至ってもそうである。昔は考えなしに連発出来ていたその技も、己の体力と血液量に限界があることを知った今となっては、止めの一撃以外は使用したくない、重い必殺技となってしまっていた。
だからこそ数刻前、テレビに映るジョージの戦いぶりを眺めながら、ワタルは嫉妬していた。
かつての自分のように考えなしに強化状態の銃を乱射する、若いジョージの姿を目の当たりにし、羨ましいと感じていた。
芋虫型はそんな彼の怒りなど知ったことかと言わんばかりに猛攻を重ね続けた。
腸が煮えくりながらもワタルの体は自動的に反応し、それらを冷静に捌いていく。
オオムシ神が大人の人間一人を摂食した際に生じる強化効果の持続時間は約十分。ワタルと芋虫型が戦い始めてから、もうすぐ九分が過ぎようとしていた。
つまり残りの一分を凌ぎさえすれば、ワタルの勝利は揺るがない。しかしその情報が頭にあるのは、せいぜいオオムシ神との戦いに精通したベテラン狩り師くらいのものであった。
「流星殿、援護しますっ! このぉ、くたばれ化け物っ!」
どこから引っ張り出してきたのか、警官が大型の機関銃を乱射した。
弾丸は背中の皮膚に弾かれ、お世辞にもダメージを与えたとは言いがたかったが、注意を引くことには成功したらしい。
怒り狂った芋虫型がここで初めてワタルに背を向ける。
盾のような前足を折り畳むその動作は、身体を丸めて突進する前の予備動作である。
その瞬間。ワタルの表情が変わった。
「させるかよ!!」
刹那、ワタルは数年ぶりに全身の血が燃えたぎるような感覚に見舞われていた。
引き金になったのは自らの不甲斐なさに対する怒り、ではなく、ただただ自分の目の前で人が死ぬのは見たくないという思いだった。
逆上した獣のように剥き出しの歯を食いしばり、ワタルは力の限り、両足を蹴り出す。
その速度はこれまでとはまったく比較にもならず、彼は瞬く間に芋虫型の正面に回り込むと、ビルの外壁すらも砕くその突進をたった槍一本で止めて見せた。
確かに突進のスピードが乗り切る前ならば、正面から受け止めた際の衝撃は軽減される。とは言え、体重差三十倍はあろうかという相手に真っ向からの力勝負を挑むなど、甚だ狂気としか言いようがない所業である。
しかし、それを彼はやってのけていた。そして若かりし頃のワタルの活躍を知る古くからのファンからすれば、その無謀はまさに彼の戦い方そのものであった。
「はああああああっ!」
ワタルは久方ぶりに雄叫びを上げていた。
次に取った行動は、槍の穂先を光り輝かせての強烈な一突きである。
全身に一体どれだけの負担を掛けているか計り知れないその一撃は、ミシミシと音を立てながら、鋼のような皮膚に見事な亀裂を走らせていく。
芋虫型は堪らず身体を伸ばし、苦痛に悶えるかのごとく足をバタつかせた。その隙を見逃さず、ワタルは即座に盾となっていた二本の前足を、付け根からバッサリと斬り落とした。
唖然とする警官たち。
しかし、一度スイッチの入った彼の猛攻はこんなものでは収まらない。
ワタルは半歩後ろに下がると腰を落とし、息を深く吸い込んだ。
「――必殺、シャイニングテンペスト」
大量の血液を一度に送り込まれた大槍が燦然と眩い輝きを放つ。
すなわち、死刑執行の合図である。
一撃、二撃、三撃と、目にも止まらぬ速さで繰り出されるその連撃は嵐のように荒々しく、次第にその勢いを増していく。
弱点である頭部のみならず、ワタルはまるで自らの強さを刻みつけるかのように、芋虫型のありとあらゆる部位を切り刻んでいった。
舞った血飛沫が、飛散した肉片が、どれだけ身に降りかかろうとその勢いが止まる気配はない。骨を軋ませ、全身の毛細血管をはち切れさせながらワタルが感じていたのは、ひたすら懐かしい高揚感だった。
時間にして七、八秒。一人の男が眼前の巨体をいとも簡単に破壊したその一部始終を見ていた警官の一人は、後にこう語った。
「よい表現方法が見当たらないが、最後の数秒の流星さんはなんというか、とてもじゃないがクレイジーの一言では片付けられない、鬼気迫るものがあった」と――。
「……えーっと、なになに流星ワタル完全復活、蘇るクレイジーストーム。嬉しいわね、こっちのニュースサイトでも大々的に取り扱ってくれているわ。なんだかんだであなたまだ愛されていたのね」
「まったく、マスコミというやつは簡単に手の平を返し過ぎだ。しかし今日の戦いは久しぶりにスイッチが入って気持ちが良かった。だがなぜだろうな、途中まで幾らそうしようと思っても体に力が入らなかったというのに」
その夜、熱々のコーヒーに息を吹きかけながら、ワタルは昼間の戦闘を振り返っていた。
カップを持つ手は震え、芋虫型の攻撃を一度もまともに受けていないにもかかわらず全身が湿布にまみれているその様は、まさしく満身創痍である。
ミチルは一足先にコーヒーを飲み干すと、そんな夫の投げ掛けた問いの答えをあっさりと述べてみせた。
「簡単よ。あなたはあの時、警官の人たちに危機が迫ったから本気を出した。あなたは自分が思っているほどただの戦闘狂じゃなくって、ヒーロー気質なところもあるのよ。だから私含め、みんなに愛されてるの」
「ふむ、だがしかしあの場面、俺がもっと早くにケリをつけていれぱあの警官も俺を援護しようなどと思わなかっただろうし、俺が本気で攻める気がないことを見抜かれたからこそ、芋虫型に背を向けられた。考えれば考えるほど、すべては俺の至らなさだ」
「まあまあ、そういう反省は今はいいじゃない。ともあれ、これであなたがまだやれるってことを証明できたわけだし、協会からの仕事の依頼も増えるんじゃないかしら」
「どうだかな。だといいんだが」
「まあとにかくまずは体をしっかりと休めて、今日のダメージを回復させることね」
「ああ。お前の出してくれる栄養バランスの優れた食事のお陰でシャイニングテンペストを撃った後も貧血が起きずに済んだ。まあなんだ、今後も頼む」
かつて一世を風靡した狂気たる大嵐、クレイジーストーム。
現在の彼は確実に当時の姿からは変化していた。
しかし多くの人から終わったと思われながらも、彼の肉体の奥底には、いまだ変わらぬ暴風が吹き荒れていた。