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妻の隻眼

 巨槍ティターンスレイヤー。「巨神を殺すもの」という、その仰々しい名はワタルが付けたものではなく、彼の槍を手掛けた鍛冶職人が勝手に命名したものである。ゆえにワタル自身はその名にあまり愛着を持っておらず、彼が愛槍をそう呼ぶことは滅多になかった。


 リビングのテーブルに座りながら、ワタルは夕食前のひと時を、その槍の美しく輝く穂を鑑賞することに費やしていた。


「今日はタクミさんの工房に随分いたのね。メンテナンスにしては長かったじゃない」


「ああ、こないだの貧血は血液供給装置の方に問題があるんじゃないかと思ってな。一応そっちの方も見てもらった。特に問題はないらしい。そして見ての通り、本体の方もバッチリ仕上がった」


「そう、それは良かったわ」


 コトンと音を立てて、ワタルの眼前にかつて見たことのないスープがよそられた皿が置かれた。赤黒いその独特な配色にワタルが抱いた第一印象は「毒々しい」であったが、香りの方は頗るよく、彼はそれだけで不思議と食欲をそそられていた。


「ミチル、これはなんだ」


「あなたにもっと体力が付くようにと思って、私が考案したスペシャルスープよ。スッポンから始まって、滋養強壮にいい食材をふんだんに使っているわ。これを飲めば元気がみなぎって、あと精力なんかもバッチリになる筈よ」


「ほう……。見掛けに寄らず美味いな。うむ、体が温まる感覚がする」


 ワタルはスープを一気に飲み干した。


 彼はこの五年間、ミチルの出したものを一切残したことがない。


 テーブルの上にはもう一つ、一冊の週刊誌が置かれており、見出しには「さらば俺たちのクレイジーストーム。流星ワタル、一刻も早く引退してくれ」などとある。


 しかし、当の本人はもはやまったく気にしていない様子であった。


「それで、新たなオオムシ神の出現情報はまだないのか」


「ええ、今のところは。でもなにか掴み次第、真っ先にあなたに報告するわ」


「頼む。そこの所についてははっきり言ってお前頼りだからな。俺もなるべく、調査の方にも同行したいと思ってはいるが」


 ワタルは頭を掻きながら口にした。


 協会からの要請に頼らずに狩り師の仕事を続ける場合、最大の障害となるのは協会の持つ情報網よりも先に、新たなオオムシ神を発見しなければならない点である。


 一般人からの通報、あるいは各地に設置されたセンサーから発信される信号など、あらゆる情報が優先的に協会の方へと行ってしまう中、それを為し得るのは普通に考えれば至難の技である。


 しかしワタルには幸いなことに、ミチルという大変有り難い相棒がいた。


 センサーシステムの開発に携わった彼女はその方面に強力な人脈を持ち、それゆえある程度は情報の先取りが可能であった。


 お陰で彼がますます妻に頭が上がらなくなっているのは言わずもがなである。


「いいのよ。今まで通り月に二回ほど付き添ってくれれば十分だわ。私もあなたの役に立てるならやり甲斐があるというものよ。でもあまり期待し過ぎないでね、仮に見つかっても協会派遣の狩り師と競争になることもあるだろうし」


「その場合、その狩り師の戦いに乱入して獲物を横取りに行くのは問題なかったな。こないだ俺がジョージにやられたことの逆をやっても良いわけだ」


「ええ、ただし妨害行為はご法度だけれどね。間違って協会の狩り師を攻撃なんかでもしたら一発で禁固刑よ」


「大丈夫だ。その辺のところは俺の方が分かっている。伊達に長年プロをやっていないからな」


 ワタルは山盛りに盛られた白米を口に運びながら、自信たっぷりに言い切った。


 八本足のオオムシ神との戦闘から約一か月。脇腹の傷も完全に癒え、このところのミチルの愛の詰まった手料理と懸命なトレーニングの成果により、現在の彼は心身ともに充実している筈である。


「それにしてもそれだけ新しいオオムシ神を欲するってことは、体の方はもう万全に仕上がってるってことかしら。あなたがまた必殺のシャイニングテンペストで大型を屠っているところを見れば、周囲はまた手の平を返すと思うわ」


「いや、それなんだが……」


 ワタルの顔がにわかに曇った。


「体の方は確かに問題ない。だが気持ち的ななにかが、特にここ数戦で以前と違ってきているような気がするんだ」


「気持ち的ななにか……具体的に言うと?」


「オオムシ神の懐に考えなしで踏み込めなくなったというか、判断が遅くなったというか。次の戦いで確かめてみないとまだはっきりとした事は言えないが、俺はとんだ腰抜けになってしまったのかも知れないな」


 彼のその発言を、ミチルは目を丸くして聞いていた。


 そしてワタルが言い切るや否や、すぐににっこりと微笑み、その綺麗な琥珀色の瞳で彼の顔を見つめた。


「なんだそんなことかしら。私はそれについてはただ、あなたが悪いように捉えているだけだと思うわ」


「なに、それはどういうことだ」


「私はね、前回のあなたの戦いを観ていて、むしろあなたが強くなったと感心していたのよ。序盤は無理をせずに様子見をして、長年の経験に基づいて行動パターンを解析。そして読みきったところで一気に勝負に出る。最後はあんな形になってしまったけれど、突撃一辺倒だった以前のあなたに比べて一皮向けた戦い方をあなたはしていたわ。あなたは決して腰抜けになって弱くなったんじゃない、年の功で冷静に戦うことを覚えて強くなったのよ」


「お前、よく見ているな……。そうか、この歳で俺が強くなったか。まあある意味そうかもしれないな。まったく、結婚して五年になるがいまだに俺はお前に驚かされっぱなしだ」


「驚いたのは私もよ。今まであなた、こんな風に私に相談したことなんてなかったじゃない。戦いに関することはすべて自分で決めて人に口出しさせなかったくせに、どういう風の吹きまわしかしら」


「なんでだろうな。まあ、とにかく少し気が楽になった。有り難う、言ってみるものだな」


「どういたしまして」


 ワタルの箸は再び進みだした。


 実を言うとミチルの言葉は言われずとも彼が薄々感じていたことではあったが、妻の口からあらためて言われると中々に元気付けられるものであった。


「あら、まだ少し複雑な顔色をしているわね」


「そうか?」


「もしかして今私に言われたことで、あなた自身の内面の変化を逆にはっきりと自覚させられて寂しくなっちゃったとか?」


「……お前は昔から、時々もの凄く鋭いな」


 ワタルは空になった茶碗を眺めながら、小さく苦笑した。


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