夕焼けに燃える意地
オオムシ神――。
突然変異で生まれると言われる、ムシ神の女王個体である彼女たちは年に数十体、世界各地どこにでも現れる。
全長数センチほどの通常個体とは違い、彼女たちは全長数メートルから十数メートルに及ぶ規格外の巨躯を持ち、性格は極めて攻撃的。肉食性であり、翅を持たぬ代わりに軍用火器すら通さない強固な皮膚と強靭な顎を持ち、目に留まるあらゆる生物を捕食する。
オオムシ神の全身は固い装甲で覆われており、通常の武器の類は効かず、懐に入り特殊な武器で弱点である頭もしくは腹を潰さなければ倒せない。
彼女たちの食い意地の強さは子を産むための栄養を欲していることに起因し、放っておくと全長一メートルほどの兵隊個体を無数に出産、瞬く間に一大帝国を築き上げる。生まれた兵隊たちは生涯を通して狩りを行い、ひたすら彼女の下へ食料を送りつづけるため、早急に駆除し対処をしなければ、周囲の生態系に壊滅的な被害をもたらす無限ループへと陥ってしまう。
場合によっては数多くの犠牲者が出るその災害を、人々は怖れた。
それゆえに、命を賭してオオムシ神と対峙する彼らプロの狩り師は英雄として持て囃されているのである。
また近年はドローンなどによる撮影技術も相まって、オオムシ神狩りはテレビなどで頻繁に中継され、よりショーの要素を強めていた。
『ジョージ黒岩! またもいつものスタイルで現れました! 赤い煙を靡かせながら我が物顔で空を飛ぶ金色の翼は皆さんもう、お馴染みのことでしょう。今回のオオムシ神はかなりの大型ですが、空からの攻撃にはまるで無防備! おおっと! 始まりました、いつもの空爆攻撃です! 決して決定打にはなりえませんが、動きを止めるには十分なようです。そして後部座席からいつものごとくジョージが飛び降りるッ! 黒岩家の家紋の入ったトレードマークのパラシュートで落下しながら、ライフルの銃口を光輝かせ、狙いを定めてぇ……撃ったッ!! 決まりました! 見事なワンショットキルです!!』
テレビの画面には土煙を挙げながら横たわる、銀色の巨体が映し出されている。
ワタルはリビングの壁側で倒立をしながらその様子を渋い顔で眺めていた。
この二十分間の倒立維持は、日課にしている彼の基礎トレーニングにおいて最後のメニューである。この後すぐに冷蔵庫から取り出して食べる特製のプロテイン入りプリンは、彼にいつも至福のひと時を味わわせていた。
「俺に言わせてもらえば、奴の戦い方は邪道だな。金に物を言わせて自らの危険のリスクを減らすなどもってのほかだ。己の体一つで懐に飛び込み、殺るか殺られるかのギリギリの勝負をするから燃えるんだろうが」
ワタルからしてみれば、それは独り言でほんの少しぼやいたつもりだった。
しかしその小さな音はキッチンで夕食の準備をしていたミチルの耳にまできちんと届いていた。
そう、彼女は戦闘時にその聴力があればどれだけ役に立つことかとワタルが常々嫉妬するほどの、地獄耳の持ち主である。
「あらあなた。こないだのお店であの人たちに言われたことを根に持っているのかしら」
「……聞いていたのか。別に持ってなどいないぞ」
「でも私思うのだけれど、ジョージさん? 彼、パラシュートで落下しながらライフルで正確に急所を狙撃するのって、かなりの腕前だと思うわ」
「それは俺も認めるが、奴は少々出しゃばりすぎだ。まあ協会が新しいスターを欲していて、ごり押ししたくなる事情は分かるがな。奴がいつでもどこでも専用ジェットで駆け付けるせいで、他の狩り師の仕事が食われちまってる」
「主にあなたがでしょう? 大丈夫よ。気にすることはないわ。彼には無理で、あなたでなければ倒せないような個体だってきっとそのうち出てくるわよ」
「ロードワークに行ってくる」
「あら、その逆立ちでトレーニングは上がりじゃないの?」
「気が変わった。夕食までには帰ってくる」
そう言うとワタルはサウスランド郊外の自宅を飛び出し、いつものランニングコースに繰り出した。
ワタルにはなにか気にくわないことがあると、すぐに走りだす癖があった。
しかし三キロほど走ったあたりで、早くも脇腹あたりにキリキリとした痛みが出始めた。
二ヶ月前にあった戦いの傷跡で、現在はだいぶ良くなったものの、少しでも無理をしようものなら未だに疼いた。
若い頃に比べて、彼の怪我に対する回復速度は目に見えて落ちている。
そもそも全盛期の彼ならば、この脇腹の負傷の原因となった攻撃も余裕を持って避けられていた筈である。
しかし多少痛むからといってトレーニングをサボっているようでは、ますます体が鈍ってしまう。ここ二年ほどのワタルは、常にどこか痛めながらも騙し騙しやっていた。
当然、狩り師協会もそんな彼の現状は把握しているようである。
狩り師協会とは狩り師を統括、管理する世界的組織であり、狩り師の仕事は主に二種類が存在すると言われている。
協会からの要請を受けた正式な仕事と、そうでないものの二種類である。
前者は協会から依頼料と成功報酬が支払われ、またメディアからも注目され、活躍すれば名を上げやすいと、まさに良いことづくめである。
それに対して後者は倒したオオムシ神の遺骸の所有権を得られるくらいで、要請を受けての出動に比べてメリットが少ない。
一応、オオムシ神の遺骸は高値で取引されるので、協会から嫌われていても確かな腕さえあれば食っていけないこともないのだが、そもそも自力でオオムシ神を探さなければならず、茨の道である。
現在、協会からワタルへの仕事の依頼は激減していた。
“英雄”である協会所属の狩り師に求められるのは、あらゆるオオムシ神を余裕で瞬殺できる、圧倒的な強さのみ。民衆に狩り師の命の危険を感じさせるような危なっかしい戦いぶりでは、とてもではないがお茶の間に放送出来ないのである。
かつてはそのスリリングな戦いぶりで多くの人を熱狂させたワタルのバトルスタイルであるが、今となってはそれも仇となり、巷では引退説も囁かれていた。
言うに及ばず、本人にその気はない。
「よーお。伝説の狩り師様の流星ワタルさんじゃねぇの! 今日も今日とて、精が出ますなあ!」
ワタルの横を派手なバイクで蛇行しながら並走し、身を乗り出して絡んでくる男がいた。
普段のワタルなら相手にしない類の輩であるが、今日の彼は少しだけ機嫌が悪かった。
「誰だお前は。俺になにか用か」
「オイオイ! 天下のワタル様がオレのような小物の名前を聞いてくれるなんて光栄だねえ! オレはガイ! アンタ、ネットじゃ限界だのもう戦えないだの騒がれてるが、実際どこまで落ちぶれてるか、オレが確かめて動画のネタにしてやんよ!」
スキンヘッド頭にビデオカメラを装着した男は、右手に持つ鉄パイプを振り上げながらワタルの方へ近づいてきた。
ワタルは口元で笑みを浮かべ、言った。
「そうか、それは都合がいい。しっかり動画にして晒してくれよ」
「な、なにっ!?」
避けるまでもない、と言わんばかりにワタルは男が振り下ろした鉄パイプをなんなく掴んだ。
そしてそのまま振り解かんと切り返すバイクの馬力に負けじと、そのパイプを力任せに手繰り寄せた。
パイプを握ったまま、男の体が宙に浮く。
状況が理解できていないのか、男の瞳孔は開いたままであった。
主を失ったバイクはバランスを崩した状態で電柱に向かってまっしぐらに激走し、やがて衝撃音とともに転倒した。
「さすがにお前にやられるほど劣化しちゃいないさ」
腰が抜けたまま言葉が出ない男を置き去りにして、ワタルはロードワークへと戻った。
最近、インターネットの界隈ではピークを過ぎたワタルへの心無い誹謗中傷がじわじわと出始めていたりもするのだが、それは本人からすればまるで知らない世界の話である。
「お帰りなさい。ご飯の前に、シャワーでも浴びてきたらどうかしら」
「ああ。そうさせてもらう」
汗を流し、ワタルが食卓に着くと彼の好物であるビーフシチューが美味しそうに湯気を立てていた。
猫舌気味の彼はそれをスプーンで掬うとフゥフゥと息を吹きかけ、なにがあっても自分のファンでいてくれる女性の手料理を口にした。