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多喜子の怒り

 佐々峰多喜子が住む団地では、毎年8月になると夏祭りが行われる。

 巨大な団地群の真ん中に位置しながら、普段はその存在を忘れ去られている公園も、この時ばかりは大いなる役目を果たすことになる。

 この場所は、盆踊りをメインにバザー、ビンゴ大会などが催され、多くの住民たちで賑わうからである。

 多喜子は、父親がずっと班長を務めていることもあって、毎年この晩に駆り出される。テントの下、祭りそっちのけで、焼き鳥の調理に従事するためである。

 多喜子は学校で家庭部に所属するほど料理が大好きで、その腕前も確かなものだったが、この仕事には正直魅力を感じていなかった。

 調理と言っても、実行委員会が仕入れた鶏肉を串に刺して焼くだけのものであり、まるで独創性のかけらもない。それはまるで食品加工会社の流れ作業と言ってもよい。調理技術など一切必要とされない舞台だからである。

 それでも焼き鳥は毎年評判がよく、リピーターも多かった。

 多喜子は、串に刺さった鳥肉の一つにだけ隠し味として、ゆず胡椒と特製たれをつけておくことで、購入者へのサプライズを用意していたのである。それが人の噂を呼び、年々注文者が増えているのであった。

 模擬店の食べ物は事前に前売券という形で販売し、当日それと引き替えに商品を渡す仕組みになっている。多喜子は焼き鳥の予約数が他の品々と比べて多いということを聞かされて、今年はやる気になっていた。


 夜遅く、無遠慮に電話の呼び出しがあった。

 沢渕晶也はベッドから起き上がると、充電中の電話を持ち上げた。

 クラスメートの佐々峰多喜子からである。こんな時間に何の用だろうか。嫌な予感を抱いた。

「もしもし?」

 返事はなかった。ただ電話の向こうで、すすり泣く声が聞こえてくる。

「佐々峰さん、どうかしたの?」

「私、もう悔しくて悔しくて」

 喉の奥から絞り出すような声。

 黙って次の言葉を待ってみたが、彼女は無言だった。高ぶった感情を抑えるのに精一杯のようだ。

「何かあったのかい?」

 優しい声で先を促せた。

「私、沢渕くんにしか、相談する人がいなくて」

「それは光栄だね」

「ちょっと長い話になるけれど、いいかしら?」

「どうぞ」

 沢渕はベッドの上にしっかりと座り直した。

「あのね、焼き鳥が大量に消えてしまったの」

「えっ?」

 多喜子はこれまでの経緯を説明した。

「焼き鳥が完売してからも、次から次へと前売券を持ったお客さんがやって来るのよ。中には怒り出す人や酷いことを言う人もいて、私、怖かった」

 当時のことが頭に蘇ったのか、さらに涙声になった。

 沢渕はしばらく時間をおいてから、

「それって、実行委員会の焼き鳥の発注数が間違っていたってことかい?」

「ううん、そんなことない。食材は余らないように、何度も確認している筈だから」

「前売券はどういうものなの?」

「表に『焼き鳥』って印刷してあって、裏に今日の日付が判子で押してある」

「ふうん」

 沢渕は鼻を鳴らした。

 早い話、前売券と用意した焼き鳥の数が大きく異なっていたということだ。

「私は焼き鳥を焼いているだけなのに、みんなから責められて、とっても悲しかった。もう来年は絶対やらないんだから」

 多喜子の怒りは収まらない。

「バイト代すら出ないのよ、この仕事」

 普段おっとりとした人物がこれほどに我を忘れているのだから、現場は相当な修羅場だったのだろう。彼女の境遇は十分に理解することができた。

「それで、焼き鳥をもらえなかった人はどうなったの?」

「お父さんが間に立って、後日返金するってことで引き取ってもらったけど」

「なるほど」

「でも、不思議なのよね。焼き鳥、どこに行っちゃったのかしら?」

「焼いている傍から、幽霊が食べてしまった、とか?」

「もう、沢渕くん、茶化さないで」

 珍しく多喜子は怒った声を出した。

 彼女は幽霊話が好きなので、そんな冗談を口にしてみたのだが、あっさりと却下されてしまった。

「ごめん、ごめん」

「それで、沢渕くん。どう思う?」

「真面目な話、一つだけ訊きたいことがあるんだけど」

「何?」

「その前売券の大きさってどのくらい?」

「ええっと」

 多喜子は少し考えてから、

「ちょうどバスの整理券ぐらいの大きさかしら」

「ということは、焼き鳥は40個ぐらい消えた訳だ」

「えっ?」

 多喜子は驚いた。

 沢渕の口から妙に具体的な数字が出たからである。あらかじめ鶏肉は多目に仕入れてあるので、実際の被害数はそれほど多くはないが、確かにその数字自体は当たっていた。

「ねえ、どうして消えた数が分かったの? 私、まだ何も言ってないわよね」

「そんなことより、祭りが始まってすぐ、中学生ぐらいの若い連中が連続して来なかった?」

「そう言えば、準備を始めてすぐ、若い子が何人も来てたわ」

「やっぱり」

「ねえ、沢渕くん、何か分かったのなら、ちゃんと教えてよ」

 多喜子は不満そうに言った。

「もう今日は遅いから明日全てを話すよ。君の団地に行くから、その時でいい?」

「本当に来てくれる?」

「ああ、現場検証もしたいしね」

「分かったわ。きっと明日、教えてね」

「約束するよ。それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 多喜子は電話を切った。どこか煮え切らない気がしたが、沢渕を信じる他なかった。

 翌日、沢渕はバスに揺られて多喜子の住む団地に向かった。車内には、腰の曲がったおばあさんが一人座っているだけだった。昼間2時間に一本という路線バスは、住民にとって決して使い勝手がよいとは言えないのだろう。

 バス停に降り立つと、多喜子の姿があった。

「沢渕くん、わざわざ来てくれてありがとう」

「もう、落ち着いたかい?」

「まだどこか、もやもやしてるけど大丈夫よ」

「それじゃ、状況証拠を確認しに行こう」

 沢渕は多喜子の案内で、昨夜夏祭りの会場となった公園へと向かった。

 左右どちらを見ても、遙か遠くまで同じ形の団地が続いている。彼女がいなかったら、一人で目的地に着ける気がしなかった。

 夏休みとはいえ、平日の昼間は、ほとんどすれ違う人もいない。

「公園の中に、住民の集う建物はあるかい?」

「集会場のこと?」

「そう、会議をしたり、イベントの準備をしたりする場所だよ」

「それなら、公園の隅に建っているけど」

 多喜子は、それがどうしたと言わんばかりだった。

「今は鍵が掛かっているから、中には入れないわよ」

「別にいいよ」

 多喜子は首を傾げるばかりだった。

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