3-23 水上の戦い4
巨大な帝国軍船の黒い船体の側面に取り付いた。今いるのは喫水線よりも下の水中なので船上の様子は全くわからないが、とりあえず音は聞こえてこない。
俺の目的は、軍船を沈めるか、少なくとも行動不能にしてドワーフ達の砦攻めや船への突入を成功させること。
まずは船体を伝うようにして喫水線近くまで登っていく。
俺がやろうとしているのは喫水線付近の船体を紙粘土スキルで柔らかくすること。
注意すべきは今すぐに穴が開かないように、船体の厚み分すべてを粘土化するのではなく、ある程度は木材のままとする。
浸水が始まっても、すぐに対策された上に見つかっては意味がない。
最高のタイミングで浸水が発生するように、最後のダメ押しはまだやらない。
俺は位置を変えつつ、片側の舷側だけ三箇所も粘土化して船体を侵食していく。粘土化した場所には、ピンク色の貝殻を埋めて後から分かるようにしておいてある。
軍船の方はこれでいいだろう。最低限、この船だけでも沈めればドワーフ達の勝ち目が見えてくるはずだ。
ここまでで空気が多少濁ってきた感じもするが、もう一隻いけるか?
軍船を離れて、私掠船に向かう。もう一隻は交易船なので、狙うならこちらだろう。
だが、船の間の移動に時間がかかる。キュキュルに運んでもらいたいが、この辺りの水深はあまり深くない。潜水鐘をぶら下げたキュキュルは自由に動けない。
ノロノロとした移動の間にも酸素が消費されていく。
私掠船にたどり着いたときには、もう空気がかなり悪くなっていた。安全に退避するなら、私掠船は放置して離れるべきだ。
だが、この船には軍船ほどでなくとも戦闘力がある。放置してはおけない。俺の脳裏には先日の戦いで水中へと沈んでいったドワーフの姿が映る。
意を決して、水面へと静かに浮上する。急いで潜水服のヘルメットを外すと新鮮な空気が肺を満たしてくれる。
周囲はまだ暗いが、夜明けが近いのか、遠くの空が白み始めている。
明るくなればすぐに見つかってしまう。急がなくては。
俺は私掠船の船首側に回り込む。この位置ならば甲板からは発見されにくいだろう。
船の竜骨の近くの喫水線付近に手を触れると粘土化を始める。
だが、神粘土スキルを発動し始めたところで、甲板から声が上がる。
「なんだ! あれは!」
「怪しいやつが船に取り付いているぞ!」
まずいぞ。甲板から声が聞こえる。まだ暗いのに、よほど夜目の良いやつがいたのだ。
慌ててヘルメットを装着して、潜水を始めようとするが――。
パシュ! パシュ! ズガッ! 矢が周囲に飛んできて、その中の一本が潜水服に突き刺さる。
さらに矢が飛んでくるが、その時には水中へと逃れることができた。
運良く、矢は頑丈なボディに刺さったので、俺の体までは突き抜けてこなかった。
だが、潜水服はもうだめだ。矢が刺さった場所から浸水を始めている。
俺は急いでキュキュルの所まで移動する。浸水は徐々に足の部分を水没させている。
急げ、急げ! あと少し!
だが、水が胸の部分まで迫ってきた。潜水鐘までは持たない。
こうなれば仕方ない。俺は潜水服の胴体部分にぐるりと神粘土スキルを発動する。
大きく息を吸うと、最後のダメ押しとばかりに魔力を込めて大きく粘土化を発動すると、潜水服の胴体部分はバラバラに崩壊する。
体をよじって、残った部分や手足のパーツを脱ぎ捨てると潜水鐘に向かって泳ぐ。
キュキュルもこちらの異常を察して近づいてきてくれている。俺は必死に潜水鐘に潜り込む。
「プハァ! ハァハァ……、あぶなかった」
「ピィィィ」
「ありがとう、キュキュル。大丈夫だよ」
「ピィィ」
「見つかったからには長居はできない。戻ろう、キュキュル」
「ピィィ」
キュキュルはその場で旋回すると、コルサド号に向かって泳ぎ始めた。
残念ながら私掠船の破壊工作は不完全で終わった。ある程度はダメージを与えているだろうが、簡単に穴が開くほどではないかもしれない。
軍船への破壊工作は成功している。あの喫水線上の弱点を突けば船は沈み始めるだろう。
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コルサド号に戻ってきた俺は、皆に作戦の結果を伝えた。
「やはり危険だったのですね。トーマさん……」
「間抜けな格好だと思ったけど、あの頑丈さがトーマを救ってくれたんだね」
アーヤが心配してくれたけど、結果的には無事だったし問題ない。そしてノエル、間抜けは余計だよ。
「潜水服ってのはああいうデザインなんだよ、ノエル。水圧にも耐えるために必要なんだ」
「水の圧力っては、そんなにすごいのかい。なるほど、勉強になるね」
ノエルが水圧の話を聞きたそうだが、話が逸れるので、またの機会に話してやろう。
「軍船への破壊工作が成功したならば、さっそく最後の仕上げをせねばいかんな」
「そうだ。ドワーフの攻撃開始のタイミングを待って、コルサド号で突入。喫水線上の弱点をバレットライフルで撃ち抜くんだ!」
「なるほど、ボクの出番だね。任せておくれよ」
夜が明け始めて、周囲は明るくなってきた。鉱山都市の方角には、四条の煙が空へとたなびいているのが見える。
ドワーフ側でも作戦開始の合図だ。
「狼煙があがったぞ! 船を出すんじゃ!」
ダンドの掛け声で帆をいっぱいに張る。今の風向きは斜め後ろからの追い風に変わってきた。
コルサド号はゆっくりと鉱山都市の港に向かって進みだす。
潜水鐘を外されて自由になったキュキュルも、俺達の行動を理解したのが頭で押してくれた。
キュキュルの加勢で船は一気に進み出す。
「さらに風魔法で押しますか?」
「今はまだ魔力を温存してくれ。敵船が見えたら一気に加速して攻撃。目的達成したらさっさと逃げるから、その時に頼むよ」
協力してくれているエルフのミリシアの問いに答える。
帝国側の三隻に比べたら、この船なんか小舟である。戦闘目的でない交易船はいいとして、他の二隻とまともにぶつかりあうことはできない。
うまく破壊工作が成功したとしても、一瞬で轟沈するわけじゃないから敵の弓兵は驚異になる。
「キュキュル、ありがとう。もういいぞ。あぶないから、この辺りで待っていてくれ」
「キュゥゥ~」
「やだって言ってる~」
そう言うと思ったが、ここはダメだ。もしも敵船が弩砲を撃ってきたら、的の大きいキュキュルにはかなりの脅威になる。
「ダメだ。キュキュルは目立つ。船を押していたりしたら、でかい弓で狙われるぞ」
「キュキュゥ~」
「あぶない~?」
「そうだ。あのでかい弓が当たったら、キュキュルでもやばいぞ」
「キュキュル~、トーマの言うとおりにしよ~」
「キュキュ~」
どうやら納得してくれたみたいだ。すでにキュキュルにはずいぶん助けられている。
いまさらだが、人間同士の戦いに直接には巻き込みたくないな。
キュキュルをその場に残し、船は港に向かって進んでいく。
近づくとともに港方向から、喧騒が聞こえてくる。ドワーフ達が港付近に集結して、鬨の声を上げているんだ。
「いいぞ。敵船の注意を引いてくれている」
「予定通りじゃな。トーマよ、竹束を出してくれ」
俺はクラフト倉庫から竹束を取り出すと積むように並べる。
「いいね。これならじっくりと狙えるよ」
ノエルが竹束の狭間にバレットライフルをのせる。
「そうだ。俺が細工した船の弱点を撃ち抜いてくれ。慌てず、急いで、正確に、な」
「わかった。任せてよ」
「アーヤは船の舵を頼む。シアはアーヤの指示で帆の操作を。エルフの二人は敵船が見えたら風魔法で一気に接近してくれ」
「わかりました。トーマさん」
「任せてくださいモ」
「はい」
「魔力は十分に残っています」
皆に指示を出しておく。ダンドはすでに大盾を構えて片手に槍を持っているが、できれば槍が届く位置まで近づく前に成功させたい。
「メルは~」
「メルはそうだな。もし敵船に届く位置まで行ったら煙幕団子を投げてくれ」
「わかった~」
一応指示は出すけど、メルもダンドと同様だ。団子を投げて届く位置まで近づくのはこちらにも危険がある。
竹束は普通の弓には有効だが、弩砲には耐えられないだろう。当たりどころが悪ければ、この船だって危険だ。
そうこうしているうちに、帝国側の三隻が見えてくる。すでに甲板では帝国兵が動き回っているのが見えた。
いよいよ、本当の水上戦が始まる。