1-01 プロローグ
「ふぇ、ふぇ、ふぇっくしょん!……やっぱり山は冷えるなぁ」
タープを張る手がかじかむのを、吐く息で暖めながらつぶやく。
初冬の三連休の初日、俺は群馬県の山奥に来ていた。目的は初めてのブッシュクラフトを体験するためだ。
過去に普通のキャンプは何度もやったのだが、最近流行のワイルドな野外生活ブッシュクラフトに憧れて挑戦中というわけだ。
知らない人のために超適当に説明すると、ブッシュクラフトとは最低限の道具のみで野外生活を行うこと、超ワイルドなキャンプと思ってもらえば当たらずとも遠からずだろう。
テントもないタープだけのシェルターを造り、焚き火で炙った肉や魚を食らう。ワイルドな男の姿に憧れたのだ。
うん、がっつりネット動画に影響されているのは自覚してる。北欧っぽいフィールドで雪中生活するのとか、めっちゃカッコイイな。
まあ他にも、半裸でジャングルに原始的な家を作り、製鉄までするのとか、人間の進化の歴史をなぞるような人もいるけど、三連休では真似できないな。
あいつら半端ないんだよ、素手で粘土を捏ね、炉を造り、原始的なふいごで銅を溶かして刃物を作るなんて、どんだけ時間かかるのさ。
日本の某TV番組企画みたいなことを人力だけでやってるからな。
そんなことを考えつつ、今夜の宿、シェルターが完成する。
屋根となるタープの一方は大木の根本に結わえ、反対側の中央はポールで持ち上げられて入口となる。横から見ると直角三角形のような屋根の立て方だ。
さらに床になる部分にはたっぷりと枯葉を敷き詰め、その上からグランドシートを張ってある。これで寒さも多少は和らぐだろう。
今夜はテントなしの寝袋で寝る事になるが、入口側で火を焚いて暖を取れるようになってる。
斧で割った薪も用意してあるし、炊きつけも十分、近くの沢から水も汲んできた。これで焚き火の準備もいいだろう。
もうじき日も落ち始めるし、着火の儀式を始めるかな。
着火はもちろんライターなどは使わない。メタルマッチというマグネシウムの棒をナイフで削って火花を飛ばすのだ。
それを火口という燃えやすい繊維片や枯葉などに着火させる。
ちょっとコツがいるんだが、一発で成功すると気分がいい。なかなかうまく点けられないとちょっと恥ずかしいしな。
まあ失敗でも誰か見ているわけではないんだが、そんな場合に備えてリュックにライターを忍ばせているのは内緒だ。
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さっきまで森の中に夕日が差していたのに、その光が急速にかげって行く。静かな夜の始まりだ。
パチパチと焚き火がはぜる。炎が安定するように薪の位置を微調整しながら炎の揺らめきを眺める。
初ブッシュクラフトなので、晩飯はシンプルに肉と米の晩飯だ。
やはり米を炊くには伝統の飯盒だ。十分水に浸した米を火にかけて炊けるのを待つ。
ステンレスの水筒も遠火でゆっくり温め、お湯の準備も同時にやる。
さすがに無免許で狩猟はできないので、肉は自家製ベーコンのブロックだ。これを炙って炊き立ての飯とともにいただくつもりだ。
くぅ~口の中に唾液がわいてくる。たまらんね。
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炙ったベーコン、炊き立ての飯盒めし、そしてベーコン入りのポトフをガツガツと平らげていく。
「フフフ、炙りベーコンとポトフ、ベーコンがダブってしまった」
こうやって火を囲んでの食事の一時は至福だな。最高にリラックスできる。
この休暇を取るためにブラック気味の会社で終電まで頑張った。夕食は会社のデスクでの味気ないコンビニ飯に耐えてきたんだ。
まあ、早くに両親と死に別れ、天外孤独の俺は家に帰っても一人飯だったろうけどな。
そんなこと考えながら、焚き火のそばで温めた水筒からシェラカップにお湯を注ぎ、インスタントコーヒーを作る。
コーヒーを飲みながら満点の星空を眺める。
「あ、あれ、天気が崩れるのか……」
さっきまで満点の星空だったはずが、いつの間にか黒雲に覆われ始めている。
そうこうしているに、ゴロゴロゴロ……、遠雷まで聞こえてくる。
「マジか、雷はカンベンだよ」
多少、雨に降られるぐらいなら、それもまたブッシュクラフトの醍醐味として許容できるが、雷はシャレにならん。
しかし、雨の気配がないな。ここまま雷も近づかないことを祈ろう。それとも退避を考えたほうがいいのか。
ピカッ!……ズドーン!
「ウヮッ!近づいてきてる。大木の近くはまずい!」
激しい雷の音に、一時退避を決意して逃げ出そうとした、その瞬間。
ピカッ!周囲を白光が包む、激しい衝撃をうけて俺は意識を失った。
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「ウ、ウーン」
頬をつつかれるような感覚と共に目が覚める。
ザッとなにかが周囲から離れたような気配、目をこすりつつ周囲を見回すが何者もいない。
「ここは……?」
自分のいる場所の異常さにしばし呆然とする。
森の中で落雷に打たれたはずが、今いるのは石の床の上。しかし建物の中ではない。
石づくりの低い台座のような場所に寝ていたようだ。
台座の周囲は開けた広場のようになっていて、その外側は森になっている。
異様なのはこの丸い台座、直径一〇メートル程度の円形で地面から三~四〇センチの高さのきれいな平面だ。
さらに台座の周囲には八本の巨大な柱が規則正しく周囲を取り囲んでいる。
「ストーンサークル?」
イギリスのある環状列石を思い出すが、これは遥かに完成度が高いものに思える。
柱に彫りこまれた見事な装飾?、文字?のようなものは見た事がない。
「いや!そんなことよりどうなってるんだ!俺は雷に打たれたのか?どこなんだ、ここは?」
気を失っている時に運ばれたのか?しかし、こんな施設が近くにあるはずもない。
目覚めた時に感じた生き物の気配といい、その不気味さに戦慄する。
「オーイ!だれかー答えてくれー!」
俺の叫びは空しく周囲の森に消えていくだけだった。
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「ダメか……」
叫び続けても何も反応は無く、変わらない状況にあきらめた俺は、とりあえず自分の状況を確認する。
「雷には打たれたのか?」
自分の身体を確認してみるが、傷ひとつない。いや、なさすぎる。
実は昨日の薪集めの際に指に小さな切り傷をつくったはずが、まったく見当たらない。というか、いやにツヤツヤしてるな。
ふと思いついてシャツをめくって見ると、数年前の盲腸の手術痕も見当たらない。それどころか、俺の腹筋少し割れてないか。
そういえば、二十代の俺の顔の感触もいやにツルツルしてるぞ。無精ひげの感触がない。
「ヤバイ……なんかとんでもないことに巻き込まれたのか?」
見た事もない遺跡っぽい場所、身体の変化、頭をよぎるのは『異世界転生』のフレーズだ。
通勤の暇つぶしに、その手の小説は読んでいるんでね、それなりの知識はあるんだよ。
「こういうときのお約束は、ステータス!鑑定!アイテムボックス!ついでにログアウト!」
むなしく響く声に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「……ダメか」
たぶん今、俺の顔は真っ赤だろう。見てる人間がいなくてホントに良かった。
「よ、よし、切り替えていこう。とにかく、装備の確認だ」
恥ずかしさを隠すのに、必要もない声を出しながら装備を確認する。
とはいっても、周囲には何も見当たらない。身に着けている衣類とブーツしかない。
ナイフすらない、これは厳しい状況だ。
空を見上げると、陽は昇ったばかりのように思える。すぐに行動を始めよう。
まずは周囲の探索だ。
それになんだろう、妙に落ち着かなくて、ここから離れたくて仕方がない。
台座から降りた俺は、周囲の森へと分け入って行く。
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森の植生はどうみても俺がキャンプした山のものではなかった。
キャンプした山はスギ中心の針葉樹の森だったはずだが、ここではスギをまったく見かけない。
木に詳しいわけではないが、いわゆる広葉樹林に思えるし、名前はわからなくとも普通に日本で見かけるような木もある。
それに11月の山にしては、いやに気温が高い。すでにコートは脱いで長袖のジャケット姿だ。
喉が渇く前に水場を見つけたい。
少し歩いただけで、食べられそうな木の実を見つけた。ゴルフボール大の緑の実が生っている木を見つけたので、実を指で二つに割ってみる。
実の中心には黒い種があり、緑色の果肉はキウイに似ている。これって食ったこと無いけど、野生のサルが好むと言うサルナシってやつかな。
毒の可能性も考慮して、パッチテストを行う。果汁を手の甲にたらして、しばらく様子をみるが、とくに変化はない。
変なニオイもしないので、舌でちょっとだけなめてみる。
「スッパ!」
未熟なのか木の実はやたらとすっぱかったが、食べられないほどではない。いや、かすかな甘みも感じるな。
とりあえず、体調が悪くならないか、なめただけでしばらく様子をみることにする。
食用の可能性が高いので大量に集めてコートでくるむ。袖の部分を結んで肩にかけるように工夫してみた。
しばらく探索しながら森を歩くが平坦で見通しが効かないので迷いそうだ。
「木に登ってみるか」
木登りの経験なんかあまり無いけど、割と登れるな。というかスルスルといける。片腕一本で身体を持ち上げるなんて、俺の身体能力どうなっているんだ。
再び『異世界転生』のフレーズが頭をよぎって、ステータスと唱えたくなるな。
「遠くに山は見えるけど、あれって群馬の山じゃないな。うん?あれは海じゃね?」
周りを見回すと遠くに海らしきものが見える。これで海無し県、群馬じゃないことは確定か。
「この未開の地を、仮に異世界『グンマー』とでもしておこうか。やばいな俺パスポート持ってないぞ」
おもわずネタをつぶやいて、現実逃避をしてしまうが、それよりも大事なものを発見する。
「お、あっちに川があるじゃないか」
サバイバルでは水の優先度は高い、食料は一、二週間食わずとも死にはしないが、水は数日で死にいたる。
川があれば水の確保と運がよければ食料も手に入る可能性が高い。
方向をしっかりと頭に入れ、早速向かうことにする。
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しばらく森の中を進むとを小川が見えてきた。川幅は狭くて川というか沢といってもいいだろう。
岩の転がる沢に下りて、水面を眺める。
「コレは誰だ……」
水面にうつる顔は見慣れた二十代後半の男の顔ではなかった。
どうやら、俺『鬼界 冬馬』二十八歳は本当に異世界転生してしまったのかもしれない。