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87話

憧れだった。


彼を見たのは、漸く十を越えた年の頃。

自分の背丈よりも長いであろう剣を自在に操り、名の知れた聖騎士団の団員さえも翻弄する魔法技術。

整った秀麗な顔はいつも涼しげで、負わされている重荷なんて露程も感じていないようだった。

身の程知らずなのはわかっていたが、それでもあの人と肩を並べたい。共にありたいと思うのは、幼心に必然だったと思う。

名前も知らず、やっと知れたのは、彼が国王自ら重大な任務を任され、名を呼ばれた時。

隣に並べないことが悔しかった。悲しくて、哀しくて、ーー愛しかった。

何で自分は、せめてあと五年、早く生まれていなかったんだろうと後悔して、でもどうにもならなくて。

彼が任務を成功させ、帰ってきたら、その時は、勇気を出して話し掛けてみよう。

英雄になる彼に話し掛けるなんて、烏滸がましいかもしれないけど。


ーーでも。

そう思っていた。


なのに。



貴方は今、何処にいるーー?



※※※



冬。厳冬の季節である。

肌を刺すような冷たい風に身を震わせ、指が悴み息が白くなる程に寒い。


しかしその外の寒さも、城の一角、南側に大きな窓のある談話室の柔らかな長椅子で惰眠を貪るレイには関係の無い話だった。

ーーそれも、ディアの膝枕付きで。

何故リティスやアルカナではなく、敢えてディアの膝枕なのかといえば、単純に一番角が立たないからである。

主に、一人の女子による恋愛感情ゆえに。母(役)に反論する余地など恋する乙女にも持ち合わせていなかった。

そもそも膝枕ではなくクッションを枕にすればよかったのだが、ある事情でレイの意見は通らなかった。


今、レイは、過眠性の症状に悩まされている。

過眠性といっても、通常の睡眠障害の類いではない。

二月前の神山噴火の一件が齎した弊害であった。

最初は普通に活動していたのだが、ふとした拍子に気絶するように倒れ、眠り込んでしまう症状が数日続き、流石に異常だとアイヴィスの勧めで医者にかかることになったのだ。

その診断結果は、魔力の過剰使用の後、外部から供給された急激な魔力回復による身体の防衛本能によるもの。


あの日、レイは一度、その心臓が動きを止めた。


原因は誰もが明確である魔力が枯渇した状態での魔法の使用。

それが逆転したのは、アイヴィスだけが見た、あの黒い女の存在。

黒い女は回復魔法を使った形跡はないのに、触れただけでレイとアイヴィスの魔力を全快させた。

女が何者で、何処から現れ、何処へ消えたのかは未だにわかっていない。全てが謎の、命の恩人。

その結果が別の問題を発生させたのだが、背に腹はかえられぬもの。現在抱える症状よりも、命より優先するものはないのだ。


ところで、ディアが膝枕をしている理由だが、症状を改善させる、ただそれだけのためである。

レイの魔力をディアに一度譲渡、ゆっくりと戻すを繰り返し、身体にかかった負担に慣れさせることで防衛本能を打ち消す。これだけ。

この手段、アルカナの一件の際にも行っており、二度目のこともあってアイヴィスたちはさくさくと時間調節を行った。

何故なら、前回と同様、魔力保有量が多く、他者の魔力を受け入れられるだけの許容力を持っているのは限られるせいである。

それも、人族としては並外れた魔力である。魔力量を誇るレイだ。更に可能とする人選は決まってしまう。

因みに数時間前まではアイヴィスが担当していたが、今は会議に行って不在、急遽ディアが変わった。

交代する時、身体の一部が触れていればいいが、ずっと手を握っているのは不自由だし何も出来ない。ではどうするかーーとディアは一瞬思案し、すんなり膝枕に収まった。単に面倒臭がったのである。

その際、意識があったレイは抗議した。


内容としてはこうである。


『人の頭って、体重の約十パーセントあるんだよ? 重いじゃん。見るからに細いディアの膝に頭乗せるなんて、折りそうで怖いよ。絶対やだ』


と、まあ、膝枕自体は拒否してないことにアイヴィスが密かに笑った。

ディアはディアで、言い分を聞く前は理由によっては『肉付きの悪い足で悪かったの』とか言ってからかってやるつもりだったのに、それどころか心配するような発言であったために口をぎゅっと噤んだ。

真面目な表情で話すレイに嫌味を言う神経は生憎と持ち合わせていなかったのである。

そして、アイヴィス(愉快犯)とディア(共犯)の二人掛かりの説得により折れたレイは、細やかな足掻きとして、首の下にクッションを置いて完全に頭を乗せないようにさた。最大の譲歩である。

実にどうでもいい話である。


閉話休題



麗らかな日中、レイの都合上自己鍛練を終えた召喚者組も談話室に集まり、静かなお茶会が開催された。

一人、納得はしても複雑な表情を浮かべていたが。


それでも、漸く得た平和な一日である。



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