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85話

最後の書類の一枚に目を通し終えたアイヴィスは、小さく息を吐いて凝り固まった肩を回した。

空かさずリティスが淹れたての紅茶を差し出す。

短く礼を言い、一口口に含んで一息入れると一言。


「お前たち、……自分の部屋に戻らないのか?」

「「「え?」」」


キョトンとした召喚者組ーーそれも全員ーーの反応に、アイヴィスたち大人組は苦笑を漏らすしかない。

誤った転移地点のせいで全員漏れ無くずぶ濡れになった後、どういうわけか魔力が全快したアイヴィスが魔法で服を乾かし、改めて転移魔法で城に戻ってきた。

同じく魔力が全快していたレイだが、体力自体は戻っていなかったようで、城に到着した後、風呂に入ろうかと話している時に漸く起きたのだがーーその際。


「…………お腹、空いた」


ーーと、まあ、「あれ、デジャブ」と淳がぼやいたように、全員が既視感を覚えながらも脱力したのだった。

しかし、夜更けといっていい時分に何故同じく疲れているはずの召喚者組がアイヴィスの自室に一堂に介しているのかといえば、大体レイのせいである。

食事が済み、情報共有と報告の場が設けられたのだが、腹が満たされれば睡魔が襲ってくるもので、案の定全快していないレイがうつらうつらし始めたのだ。

功労者といっても過言ではない為、仕方ないよね、とレイに甘い彼らは話が終了後直ぐに寝かせられるようにと算段、その結果大人数が収容でき、寝台もあるアイヴィスの部屋になったのである。

時間の掛かる報告会になることは明白であったことと急遽であったこともあり、召喚者組が与えられている部屋から椅子をそれぞれ持参した。

だが、いくら部屋が広いとはいえ限度がある。

レイは直ぐ様寝入る体制にするために寝台行きなのは決定。しかしそれでは寝台を挟んだ左右の空間のうち、片方に集まらなければ話がしづらい。謙虚な気持ちを忘れない召喚者組は一緒の寝台に座ることを固辞。そうなると、部屋主であるアイヴィスに、ディア、リティス、アルカナが寝台の上に座ることが自ずと確定した。

そして現在、レイはといえば。

アイヴィスはちらりと斜め下に視線を落とした。

会議が終わると早々にリティスとアルカナは寝台を降りて給士役に徹し、ディアと仕事があるアイヴィスはレイが横になりやすいように移動、空いている空間に座り込んでいるのだが、ーーその間で枕をぎゅうっと抱き締め、本当に息をしているだろうかと不安になるほど静かに、微動だにせず健やかに眠っていた。


「よく寝るの」

「まあ……今回は仕方ないだろう」


結局、神湖に現れた女の正体はわかっていない。何を目的に現れ、何の意図を持って二人の魔力を回復させ、最後謝罪の一言を残して去っていったのか。

全てが謎の女だった。


わからないことといえば、もう一つ。


徐に顔を上げたディアがアイヴィスに話し掛ける。


「アイヴィス。ーー右手を見せてみよ」

「…………」


アイヴィスは無言で、言われたままに右手を差し出す。ーー嘗て失われたことのある、右手を。

ディアは差し出された手ーー指、指の付け根、掌の順に、両手の親指で触れていく。

まるで、何かを確かめるように。

触診を終えたディアは、固く目を閉じて俯いた。


「……アイヴィス、お主、気付いておったか?」

「……いや、今回の事で、漸く気づいたな」


当たり前すぎて、気付かなかったありもしない不変。

失っていたことを、忘れていた。


「これは、お主の元々の腕じゃな」

「そうだな」


黙って話を聞いていたリティスとアルカナは息を飲む。

しかし召喚者組の方はというと、この二人の発言の問題点がわからず首を傾げた。


「えっと、……何が問題なんですか?」


梨香が代表して挙手して質問する。

アイヴィスは固い表情でディアに差し出したままだった左手を今度は梨香たちに向かって差し出した。


「俺の手に触れてみろ。……わかるから」


間を開けてもしかして、と重大な問題を思い付いてしまった、中学から剣道部に所属する朝比奈が触れる。

そして、その予想は正しかった。


「……この手、斎賀が新しく作り直したはずの手ですよね?」

「そうだな。あの時は『復元』と言っていたが、この子はおそらく己の魔力を具現化させて作り直したと思っているのだろう」


正しくは違ったようだが。


アイヴィスが目を伏せて言うのに、朝比奈は成る程、と呟いたきり黙り込んでしまった。

だが当然、二人のやり取りについていけない残りの召喚者組は疑問符を浮かべるばかりだ。


「え、えー? なにが問題なのー?」

「……俺と、アイヴィスさんの掌を触り比べてみろ」


全員が順に掌に触れて比べる。

気付いたのは、同じく剣道部に所属する淳だった。


「……あー……わかった。確かに、これは違うわ」

「どういうことだよ?」


顔色を悪くした淳に、天崎が怪訝そうに顔を歪める。

言い兼ねている淳と朝比奈に代わり、ディアが重い口を開いた。


「それぞれ、掌に剣胼胝があったじゃろう。どちらが固かった?」

「そりゃあ、アイヴィスさんの方……、……⁉」


口に出して、愕然とする。

そうだ、確かに有り得ない。

リティスが思い詰めた表情で重ねた手を握りしめた。


「あの日……アイヴィス様の右腕は、火の海に飲まれ、焼失しました」

「うむ。長年剣を握りしめていたアイヴィスの手は、超越した再生能力を前にしてもかなり固い胼胝になっておった。それは数ヵ月で出来るものではない」


なのに剣胼胝は四年竹刀を振るっていた朝比奈よりも遥かに固く、熟練の剣士のものであった。

それが指し示すのは。


「つまりじゃ、こやつは復元させたのではない。焼失して永遠に戻る筈の無い右腕を、文字通り『再生』させたのよ」


奇跡とも言える、この世の理を狂わす所業ーー。

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