65話
ノエルの話を聞く気になったのは、おおよそ一時間は経った後であった。
それまでずっと皆でもみくちゃになってわーわーキャーキャーと抱き着いたり頭を撫で回したりしていたのだから、縛られた状態で放置されたノエルにとってはこの上なく腹立つ光景だっただろう。
ディア(お母さん)の声掛けに、漸く気が済んだレイたちは、照らし合わせたわけでもなくノエルの前に整列した。
ノエル。座った状態で縛られている。
レイたち。経った状態でノエルを見下ろす。
……苛めかと問われるような対話の仕方であった。
ちょっぴり涙目になったノエルは、それでも矜持の高さから無様な態度は晒せないと意地でキッと眼光鋭くレイたちを見上げる。氷のような冷たさのある美貌に切れ長の元々きつめの目元、肉食の動物のような獰猛さを露にした瞳孔で睨まれれば、普通の人間ならば怯んで顔色を悪くしていただろう。
……が。
眼前に立つのは、生憎とひ弱な精神の脆弱な人間は一人もいなかった。
「さて……お前と母がどういう経緯で出会ったのか、話してもらおうか」
泣く子も黙るーーいや、そもそも全力で泣き止ませようとしそうだが。何せ(他称)勇者を懐に入れてしまう広量な人格者なのでーー魔王アイヴィスがふわりと微笑む。
隣に立つレイも、神聖霊剣フライハイトを抜き身のまま携えてノエルをじっと見下ろしている。
その反対側には華奢な肩に軽々と大槌を担いで立つディアが。
そして、三人から離れ、ノエルの左右を囲うリティスとアルカナ。それぞれ魔法で作り出した氷と水の刃を複数展開している。
ーー殺意度最高値の布陣に、ノエルは既に心折れていた。
「何でも聞いてたも……」
「ふむ。殊勝な心掛けじゃの」
うむ、と満足気に頷くディアに、召喚者組は内心で一言。
ーー確信犯だろ……。
確信犯的布陣を敷いた張本人たる主犯レイは、眦に涙を浮かべるノエルを見て切っ先を反らした。
何事も程ほどがいいのだ。端から遣り過ぎていることは棚上げだが。
「彼女とは、ここで出会ったのじゃ……」
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ノエルがまだ、年端の行かない幼少期の事だ。
天狐族を含む獣人族は、ある程度の年齢までは人間と同じように成長し、自身に秘められた魔力が最大になった頃成長が緩やかになる。
幼い頃のノエルはそれはもうやんちゃで、よく一族の長である父にお転婆娘と叱られたものだった。
その日も好奇心を押さえられずに人知れず訪れた雪月花の群生地。
鼻唄混じりに進む慣らされていない道を進んでいると、微かに綺麗な歌声が耳に届いて、聴こえた方角へ顔を向ける。
そこに、ノエルは美しい女性を見つけた。
まるで物語に出てくるような女神様のような美しい顔に、柔らかな微笑みを浮かべて歌っている。
恋とはどんなものかしら。
どんな素敵な感情かしら。
初めて出会ったあの人。なんて名前なのかしら。
あの人が浮かべる笑顔を、ずっとずっと見ていたい。
あの人の声で名前を読んでもらいたい。
あの人に、愛の言葉を囁いて欲しい。
ーーそんな、恋に憧れ、恋を知り、愛して欲しいと懇願する恋の歌を。
ノエルはまだ見ぬ愛しい人を思って歌う女に見惚れた。
俗に言う、あれだ。
ーー一目惚れである。
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しぃん、と。
静寂が辺りを包んだ。
正直、考えていなかった内容と展開に言葉を失ったレイたちは、二の句が継げずにきゅっと口を閉じる。
「彼女と妾はすぐに仲良くなったのじゃ。しかしある日彼女は遠くに引っ越すからと別れを告げに来た。もしまた会えたら沢山話をしようと約束してくれての。妾は待ったのじゃ。しかし、待てども待てども彼女は来ずに……」
キッと目に大粒の涙を浮かべ、ノエルはアイヴィスを睨み付けた。
「来たのは彼女によう似た全くの別人……! それも妾が大嫌いな男っ。うっ、うっ、怒りと無念が爆発しても仕方なかろう……‼」
うわーーーーん‼
ついに大声を上げて泣き出したノエルに、しかし慰めようとするものはいない。
それどころか彼らは酷く冷めた眼差しで見やるしかなかった。
この際、恋愛対象が同性だとか、異性嫌いとかはどうでもいい。
問題はアイヴィスの首を絞めるなどの愚行を起こした動機の方だ。
ーーなんというか……残念な人だったんだなぁ……。
可哀想なものを見る目で、レイたちは関わらなければよかったと心底後悔した。




