52話
取り敢えず仕事を中断することにしたアイヴィスは、書類と万年筆を操作して目の前の机に置き、こほん、と一つ咳払いをしてからレイに顔を向けた。顔だけなのはアルカナがガッチリと未だに掴んでいるためである。しかもどれだけ力を入れているのか、腕をへし折らんばかりに力が込められていた。本能的に『肉体強化』の魔法を行使せざるを得ないほど、魔王が恐れを抱くアルカナの握力とは、一体。
「うん。……理由を聞こうか?」
その問いに、レイは瞬きをして小首を傾けた。
「んー……。一つは、まあアルカナの神体の安全だね。家族の危機に何もしないわけにはいかないでしょ」
「レイ……!」
感極まったアルカナが手を伸ばしてレイの手を握る。レイはうん、と微笑んで握り返した。
「二つ目。神山で採掘されるシュテルクスト鉱石、これを皆の武具に使えないかと思って」
「シュテルクスト鉱石で、てすか? レイの力なら錬成は可能でしょうが……。常人ではまず形作ることが難しいとされる鉱石を何故選んだんです?」
人数分の茶の手配をしていたリティスが手を止めた。
シュテルクスト鉱石は、その高度故に扱いが難しく、取り扱える者は国から最高位の錬金術師の称号を与えられる。
時間を掛ければだが、一応錬成技術を持つレイに、無尽蔵の魔力の持ち主であるアイヴィスとディアもいるのだ。生成は可能だろう。
それでも、態々シュテルクスト鉱石を選んだ理由がわからなかった。
レイはさらりと答える。
「シュテルクスト鉱石を選んだのは、単純に神山みたいな好条件の採り場で採れる鉱石なら、複数の付与魔法を刻めることが出来るからだよ。希望としては『物理攻撃無効』、『自動治癒』、『毒物無効』、『魔法効果増幅』、『魔法攻撃無効』かな」
「「「それ、神話級じゃ/だの……」」」
そうなの? と、とんでもない提案をした当人は首を傾げるばかりだ。
「俺に戦闘技術を叩き込んだ某国騎士団長はポンポンと付与してたけど……?」
「…………誰だ、それは」
そんな、規格外の事をやってのける輩が人族にいようとは。
危機感を抱いたアイヴィスたちが顔色を変える。
しかしレイはそうでもないようで、どうしたんだろうと言わんばかりの表情だ。
「んー……名前、わからないんだよね。確かレイノルドって言われてた……? 名前が俺と似てるって嬉しそうに言ってたし。あの人名乗らなかったし、福団長も主に団長呼びだったから」
「レイノルド……?」
思い当たる名前に、難しい顔をして俯くアイヴィスに、レイは上目遣いで恐る恐る訂正を入れる。
「あの……多分、あの人なら大丈夫だよ? 会う度にあの狸親父の悪口言っていて、聖騎士団員も賛同してたような記憶があるし」
「…………なんで組織が成り立っているのか不思議でならんのじゃが。あと狸親父ってなんじゃ」
「夜烏っていう洗脳でもなんでも御座れな連中がいたからね。本人たちの意思とは関係ないんだと思うよ。ーー狸親父じゃなかったら諸悪の根元でも可。人類の敵でも良し」
「「「ああ、うん。誰だか察した……」」」
表情から感情が一切抜け落ちたレイに、アイヴィスたちは神妙に頷いてそれ以上話題に言及しなかった。触らぬ神に祟りなし。全員が精神的な安全を図った結果である。
この際アイヴィスが、アルカナの腕を抱く力が増したために、内心慌てて魔法を強化したことは当人しか知らない。
ふるりと頭を振って思考を切り替えたレイが先に進める。
「えーっと、三つ目だね。戦争がいつまで長引くか分からない以上、薬の生産が途絶えるのは、此方が不利になるのは明確だよね」
「そうですね。しかも雪月花から作られる薬は、それこそ虫の息の負傷者でも直してしまうことから『神水』と言われていますからね……。もし来年の開花に影響が出るなら困ったことになりますね」
召喚者組は「それって、ゲームで言うところのフルポーションじゃね?」と思っていたが、空気の読める彼等は賢明にも黙っていた。
「未来のことも考えるなら、雪月花の調査は必須。で、これがもし人族とか魔物が関わっているのなら、行く人選は限られると思う」
「……騎士団員の中でも精鋭である団長階級か親衛隊、或いは俺かディアが出るのが妥当だな」
「ん。花の開花に影響を及ぼす相手なら、そうだよね。まああとはーー」
レイはちらりと友人たちを一瞥した。
「皆の修行も兼ねて連れていこうかと。登山とか体力作りにもってこいだし」
「「「歪みないっ!」」」
このスパルタ教師っ‼ と不満が飛ぶが暖簾に腕押し。馬耳東風。効果はまるでない。
アイヴィスが鈴を転がすように小さく笑った。
「熱心だな」
「当然。全員無事に日本へ帰したいからね。文句言われようとも方針は変えないよ」
「「「……………………」」」
淳たちは、文句を言った自分達が情けなくなった。ちゃんと考えての計画に、レイが拒否することがわかっているのでやらないが、土下座をしたい心境である。
「取り敢えず、今回は体力作りと称して転移魔法は無し。馬と歩きの移動で行こう」
「「「はい…………」」」
「? 何、意気消沈してるの?」
「「「…………」」」
「気にしてやるな、レイ。彼等にも考えることがごまんとあるのさ」
ふうん? と納得していない様子で首を傾げるが、これ以上の回答は望めないことはわかっていたので、渋々引き下がった。
頭上に疑問符を浮かべながらも黙ったレイに、アイヴィスはにこりと笑う。
「さて。話が纏まったところで、だ。ーーレイ、いい加減に着替えておいで」
「あ」
起きてから現在に至るまでの約三時間弱、寝巻きのまま真剣な話をしていたことに誰も突っ込まなかったのを、漸くアイヴィスが指摘したのだった。
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