50話
雪月花の花が風に揺れる。
雪のように白く、月のように淡く青白い光を放ちながら、ゆらゆらと。
まるで命の海のような光が、息吹を感じさせない冷たい真冬の神山 ディーオ・プラニナタを柔らかく彩っている。
その光の中を、独りぼんやりと歩く人影があった。
豊かな金色の髪を風に靡かせ、真っ白な服を纏った女は小さく唄う。小さな声なのに伸びやかに、何処までも響く美しい声で。
彼女が唄うのは愛しい人との再会を望む悲しい歌詞の歌。
あの日別れてしまった大切な人と再び合間見えるその時を、彼女は独りで待ち続けている。
ずっと、ずっと。
彼女は待っているのだ、ここで。
ただ、ひたすらに。
ーーずっと。
それが例え、悠久の月日が刻まれようとも。
約束は、果たされなければならない。
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それが夢だと気づいたのは、目の前に立っているのがここに居るべきではない、歓迎されない男だったからだ。
上質な素材を使った上衣に身を包み、権力をひけらかすように指につけた幾つもの豪奢な指輪。傲慢さが見える下卑た顔。
笑みで歪んだ顔を向ける醜悪な、ーーレイが大嫌いな、あの男。
男はにぃっと口角を吊り上げ、気色の悪い手をレイに伸ばした。
そして言うのだ。
ーー朕の大切な、大切な、可愛いレイ。
さあ。
早く、早く、
ーー魔王を、殺しておいで。
そのおぞましさに、嫌悪に、恐怖に、レイは声なき悲鳴を上げた。
「ーーーーっ!」
レイは柔らかな寝台の上で、大きく喘いだ。
額どころか全身に汗を掻いているが、不快さを感じる余裕はない。
ぜ、ぜ、と横になったまま掠れた呼吸を繰り返し、目を見開いて唇を戦慄かせた。
手に、誰かの小さな手が触れていて、無意識にそちらに目を向ける。
レイを起こしに来たアルカナの酷く強張った顔が色を失っているのを見て、彼女が自分と同じものを見てしまったのだと悟った。
茫然と目を合わせたまま、何も言えない。
もう、忘れたと思っていたのに。
夢にまで現れて、未だに自分を縛り付ける、大嫌いな男。
魔王ーー大好きな義兄を殺せと、囁いてくる、悪魔のような、あの男。
思い出しただけで、もう、駄目だった。
ディアは、目の前の光景に大きく瞬きをした。
「……引っ付き虫かの」
「梨香たちはコアラと言ってましたが」
「うむ。それも言い得て妙だの」
別に、ディアもリティスも現実逃避をしたわけではない。
ーーアイヴィスに後ろから抱き付くレイと、二人に横から腕を回すアルカナに、疑問符を浮かべながらも微笑ましさに眼福、と思ってはいたが。
抱き付かれたアイヴィスは、身動きが取れずに立ちながら紅茶を飲み、書類に目を通す。
突然、二人して執務室に飛び込んで来たと思えば問答無用でガッチリ後ろと横から拘束ーー基、抱き付かれた当初は目を白黒させたが、身体が小刻みに震えていることに気が付いて落ち着くまで好きにさせた。
読み終わった書類と茶器を文官に渡し、アイヴィスはレイとアルカナの手を軽く宥めるようにポンポンと叩く。
「二人とも、一旦離してくれないか?」
努めて優しい口調でお願いするが、恐慌状態にある二人は益々力を込める。
アイヴィスは苦笑し、レイとアルカナの手に自分の手を重ねた。
「抱き付くなと言っている訳じゃないんだ。……俺もお前たちを抱き締めたいから、一度離してくれないか?」
びくりと反応し、一斉に離れたのを確認したアイヴィスは二人に向き直り、笑顔を浮かべて無言で腕を広げた。
直ぐ様飛び付いてきたレイとアルカナを安心感を与える腕でぎゅうっと抱き込む。
微笑ましいとしか言えない三人のやり取りに、ディアとリティスが目を細めて見守り、部屋を飛び出してしまったレイの後を追ってきた淳が寝巻き姿のままスマホで激写した。
その光景に和みつつ、本題に移らないのかな、と文官たちがやきもきしていたことを、誰も知らない。
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