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48話

やることをやりきったレイは、何処までも自由に眠いから二度寝します、と宣言して有言実行とばかりにパタリと褥に倒れ込んだ。一を数える前に寝息が聞こえてきたことから、相当眠かったらしい。寝付きが良すぎることについては、まあ、レイだしの、とディアの言葉で締め括られた。見解が雑にも程があるが、お母さん(役)の感想なら的を得ているだろう。何せお母さん(役)だし。とこれまた雑な纏まり方をしたのには、誰も突っ込まなかった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


日が落ちた薄暗い廊下を、アイヴィスが護衛もつけずに一人歩く。

先程まで眠るレイの魔力回復を交代していたのだが、顔色も良くなり、当人の予想通りに翌日には歩けるまでになるだろうと医務官の診断が下りて部屋から辞して来たのだ。

静かすぎる廊下の先に、ぼんやりと人影が見える。ーーアルカナだ。

何となく来ることがわかっていたアイヴィスは、避ける理由もなく苦笑して歩み寄った。


「今晩は。良い月夜だな」

「……ええ。ご機嫌よう、魔王陛下。主、レイ様の看病、お疲れ様で御座いました」


すぃ、とスカートの裾を持ち上げて一礼するアルカナは深層の令嬢のようで堂に入っていた。

対話しているのがアイヴィスだからだろう。固い口調で話すアルカナに止めるように促す。


「砕けた口調で構わん。レイのことも、敬称をつけて呼んでやるな。嫌がる」

「……義兄である貴方が言うのなら、そうなのでしょうね」


仲がよろしいようで、喜ばしいですわ。

じっとアイヴィスを見詰めるアルカナの金の瞳に、何処か心を見透かそうと伺う色が見えた。

アイヴィスの口が弧を描く。


「何か、言いたげだな」

「…………大した用ではありませんの。ですが、正式にレイと契約を結んだ以上、貴方の心意を知っておきたかったのですわ」


一度深く深呼吸をし、背筋を伸ばす。


「かつて死滅の始祖王と呼ばれ、暴虐と殺戮の限りを尽くした魔族の王。ーーその貴方が何故、人族の、それも勇者であったレイに心を向けるのです?」


アルカナは、ずっとアイヴィスが怖くて堪らなかった。

静謐な色を宿す瞳。常に微笑を崩さず、部下を思いやり労う姿は王の理想そのもの。

しかしいざ戦場に立てばその成りを潜め、圧倒的な力の差を見せつけた。

それどころかまるで作業をこなすかのように淡々と敵軍の人族の騎士たちの首を無感情に跳ねるその姿は、機械的で心の無い人形のようで。ーー酷く、恐怖を覚えた。

友軍である神族と精霊族を攻撃することはないだろうとはわかっていても、いつか掌を返し、その残虐なまでの魔力を向けてくるのではと懸念していた。だからこそアルカナは、リティスーーリリカナを連れ戻す行動を起こしたのである。大切な姉を、傷つけられたくなかったから。

だが久しく会った魔王アイヴィスは、随分と人間味のある青年となっていた。

まず笑顔が違う。そこの見えない微笑ではなく、大切だと、愛しいと愛情の込められた柔らかな表情を浮かべていた。

声にも感情が込められ、あの日恐怖した殺戮人形は跡形もなく消え失せていたのだ。今の彼は、一人の愛情深い兄そのものーー。

アイヴィスが変わったのは一年前。レイと出会ってからだと、アルカナはリティスに聞いていた。


「レイは、貴方を倒すために遣わされ、対面したのだと聞きました。かつての貴方でしたら敵であれば容赦なく弑していたはず。……何が、貴方を変えたんですの? どうして、敵であったレイを弟と呼び、愛情を注ぐのです?」

「…………」


暫し見詰めあった後、アイヴィスは小さく笑みを浮かべた。


「そうだなぁ……。確かに出会いは散々だったが。出会い頭であの子は勇者の証したる聖剣を放り投げるし」

「え」

「かと思えば、今度は懐に入れていた短剣で自決しようとするし」

「⁉」

「慌ててリティスたちが止めに入ったぐらいだ。いやぁ、懐かしいな。あれで度肝を抜かれてついつい世話を焼いてしまったのがそもそもの始まりか」

「っ……………………!」


懐かしそうに目を細めるアイヴィスに、とんでもない過去を告げられたアルカナは目を白黒させるだけだ。心中としては、物怖じしない、豪胆な性格とは思っていたが、まさかそんな暴挙に出ていたとは、である。

アイヴィスは目を伏せて静かに更に語る。


「一年前、俺はあの子に生い立ちを話したことがある。人族の王に夫を殺され、奪われ、恨みを抱いて俺を生んだ母のことを。そしたらレイがどんな反応をしたと思う?」

「……いいえ、わかりませんわ」


アイヴィスは泣き出しそうなほどに柔らかな微笑を浮かべた。


「泣いたんだ、あの子は。俺のことを思って。敵であったはずなのに。哀れみとか、同情ではなく、ただ、俺のために」


あれはまるで、干からびた大地に落ちた、待望の恵みの雨のようで。


「レイと出会う前の俺は、母の怒りと恨みという操り糸で括られた人形のように、惰性で人族の血を求めていた。それが、当たり前だった」


母の憎悪の感情は、この世に生まれ出でたアイヴィスをずっと縛り付けていた。人族を滅ぼせ。根絶やしにしろ。死しても、苦しみ続ければいいーーそんな言葉たちが、脳裏を離れなかった。まるで靄が掛かったかのように。呪いの、ように。

それが晴れたのは、レイの頬を流れる一筋を見てからだ。ーー紛れもない純粋な思いやる気持ちが、アイヴィスを呪縛から救ってくれた。

あの日、冷酷、非情の魔王は死んだのだ。文字通り、勇者の手によって。


「血の繋がりの無いレイを弟と呼ぶのは可笑しいかもしれない。だが、親の、家族の愛情を知らない俺に、家族が与えてくれるような感情と優しさをくれたのはあの子だから。俺はレイを生涯弟と呼び続けるだろう」


アイヴィスはしっかりとアルカナの目を見て問う。


「これが答えになるだろうか」

「……ええ。充分ですわ」


アルカナもまた、レイに暴言を吐き、攻撃を加えた。……倍にして返され、攻撃は跳ね返されたが。

目覚めてすぐ、一連の言動について低頭平身、詫びを入れた。

するとレイはあっけらかんとしたもので、いいよ、と言ったのだ。許すと笑って。アルカナの抱えていた問題もわかったし、理解もしたから。むしろ俺の方が言い過ぎた、ごめん、と謝罪までされた。

受けてくれないと思っていた契約も、レイから申し出てくれて、アルカナは彼の過ぎる程の優しさにぎゅうっと潰れるかと思うほど胸が苦しかった。

レイは言った。


『リズ姉の妹なら、図々しいかもしれないけど、俺にとっても兄弟みたいなものだから。仲良くしてくれると嬉しい』


照れ臭そうに、でも何処か不安そうに言ってきたレイに、わたくしも、と反射的に返していた。


『わたくしも……仲良くして欲しいと、思っていました』


言葉を聞いて、花開くように笑ったレイの顔を、アルカナは忘れないだろう。ーー絶対に。


「大切な兄弟を守るもの同志、仲良くしてくださいませ。ーーお義兄様」


微笑を浮かべ、控え目に告げた呼称に、アイヴィスは軽く瞠目し。


ーーレイと同じように、満開の花が咲き誇るかのごとく、笑った。


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