38話
世界神樹レーヴェン・ストロム。
精霊王の神体であり、すべての精霊が生まれ来る母なる樹である。
世界神樹を祭る一族に守られた穏やかな森であり、色とりどりの花や鮮やかな緑の木々が生い茂る、陽射し差し込む豊かな恵みをもたらす平和の象徴でもあった。
元はアップグルントーー暗黒の森の中心にあり、当時は森の名称もレーツェル・ヴァルトであった。
当時ーーそう、現在、世界神樹のあったレーツェル・ヴァルトはない。約百年前の人族の国王が邪魔だと身勝手な感情により焼き払った為だ。現在の国王の曾祖父に辺り、強欲で有名だったことからその血筋の罪深さがわかるだろう。
油が撒かれたこともあり、精霊の住まう森は同盟を結んでいた魔族とは神族の決死の消火活動も空しく一夜にして三分の一が燃えてしまった。祭っていた一族と共に世界神樹も跡形もなく燃え散った。……精霊王と共に。
ーー史実では、そう記載されている。
それが、それなのに。
ーー今この精霊なんつった⁉
一同の心中の叫びが重なった。
レイの義姉で、騎士団の頼れる隊長に……精霊王⁉
「相変わらずのようですね、アルカナ。ですが一つ訂正を。今の私はリティスです」
「いいえ、いいえ、精霊王様。リリカナ様はリリカナ様ですわ」
睥睨するリティスに怯えることなくきっぱりと言いきったアルカナはにっこりと微笑んだ。
バチバチと見えない稲妻が視線から発せられているようでぶるりと身体を震わせたレイは、そそそとアイヴィスに近寄った。
「アイヴィス、リズ姉が精霊王ってどういうこと?」
「ん? ああ……そう言えば、一部の者しか知らなかったか」
肩を竦めたアイヴィスは、聞き耳を立てている全員に聞こえるように語りだした。
「そうだな……これは約百年ほど前、人族の王がこの森を焼き払った日のことだ」
あの日、苦々しい思いで神樹だったものを見ていたアイヴィスの視界に、淡い光を放つものが写った。
近寄ってみてみれば、神樹の根本に、胎児のように踞る五、六歳の少女の姿があった。身形からして祭っていた一族の子供であると判断したアイヴィスは怪我を確かめるために抱き上げた。
すると光は急速に失われ、少女だけが残った。
不思議な現象に一瞬言葉を失ったアイヴィスだが、介抱が先だと城に連れ帰り、医者に見せ、手当てが済んでからも意識が戻るまでずっと付きっきりで看病した。
後日、意識が戻った少女はリティスと名乗り、しかし何も覚えていなかったことから、そのまま城に留まり、行儀作法を学ぶことになる。
少女は静かな落ち着いた物腰で、同じ年代の子供と比べても大人びた風貌の持ち主だった。頭がよく、また興味を持った剣もみるみるうちに頭角を表し、しまいには少女剣士として名を馳せるまでなっていた。
それが崩れたのは神樹が焼かれ、リティスが保護されて五年の月日が経った頃。
彼女は突然記憶を取り戻した。
『私、は……? アイヴィス、ここは何処でしょう?森は、どうなったのです……?』
精霊王 リリカナは、神樹が燃えて自身も消えてしまうその最中、息絶えていた祭司の末の娘の身体に吸い込まれるようにして憑依したのだった。
記憶を失っていたのは、身体との融合に支障を来すため、本能的に自分で封じていたのではないかというのがディアの見立てである。
だが本体である神樹が燃えてなくなってしまった事実は無くならず、途方に暮れたリリカナに救いの手を差し伸べたのは何を隠そう、アイヴィスだった。
「元より我らは同盟を結ぶ仲間。困った時には助け合うのは当然だろう」
アイヴィスはリリカナだけではなく、居場所を失った全ての精霊を保護、失った本体の仮代を用意する待遇を見せた。
見返りを求めない魔王 アイヴィスの懐の広さに尊敬の念を抱いたリリカナは、従来の力の半分も出せなくなった魔力を補うために剣の腕を磨くことを選択し、恩を返そうと従者として使えることを望んだ。勿論、他の精霊たちも同様に。
「リティスが隊長を勤める親衛隊は元精霊たちだな。リティスは兎も角、彼らは新たに自分の本体となる樹木が育つまで、俺に仕えると契約を結び、力を貸してくれている」
「へえ……そうだったんだ」
レイたちが異世界強制召喚されたときに最初に出会った面々は、リティス率いる親衛隊だったことを後に聞かされていたレイは、つまりはナタリーも元精霊なんだと察した。
親衛隊である彼女たちが村の襲撃対応をしていたのかと言えば、アイヴィスが負傷し、しかもその傷が魔王をもってしても癒えなかったことから、魔法耐性のある精霊であった彼女たちならば或いは、と命じたからだそう。
「じゃあ、あの精霊は、火から生き延びた精霊ってこと?」
「ああ、いや。彼女は水の上位精霊だから、本体はそもそも無事だったんだ」
水の上位精霊だというのなら、本体は川や湖の水ということになる。成る程、神樹を炭にした火の海から逃れるわけだ。
「……で、何であの精霊はリズ姉に突っ掛かってんの」
「うーん……」
「それはじゃの、レイ」
言い淀んだアイヴィスに代わり、ディアが愉しそうに(雰囲気だけ)言葉を引き継いだ。
「あの娘は神湖 クララ・エリクサーを神体とする、五大精霊の一角での。リティスの妹にあたるのじゃ」
「へー……、えぇー⁉」
納得しかけ、しかし内容をよくよく理解してみると仰天するしかない関係性だった。
「えっ、じゃあ、このケンカは、ただの姉妹ケンカってこと?」
「と言うよりも、連絡も無しに帰ってこないから拗ねているだけだろう。アルカナは、姉が好きすぎて随分と拗らせているからなぁ」
「シスコンも困ったものじゃの」
「ふぇ~~……」
精霊たちの関係は、随分と面白い系図になるようだった。
ブクマと評価、ありがとうございます‼




