前編
昔から怪談話ってのはいろいろあって。
どれも信憑性の乏しいウワサばかりなのだけれど、昔からずっと似たようなウワサは根強くて。
特に学校なんかではそれは顕著で、『花子さん』に始まり『十三階段』、『動く人体模型』など、少し名称や内容は違えど、絶対に聞いたことのあるような話がいつまでも残っている。
だが一概に『有名な怪談=七不思議』にならないのがまた不思議な所で、大体は学校毎に独自の怪談話があったりする。
もっとも、その七不思議も誰が言い出したのか適当なものもあるし、そもそも調べようとしなければ知らないのが殆どだ。
「――ってワケで、その学校の怪現象とやらを実際調査しに行こうじゃあないか!」
とある高校の新聞部長が、元気に制服のスカートを翻しながら言う。
「却下」
だがその部長の提案は、副部長の一言で消滅した。
放課後、新聞部の部室に二人の生徒が残っていた。
片方はホワイトボードの前に立つ女性で、ショートカットの茶髪、身長は大体165センチくらい。
全身の線も細くなく、どちらかと言うと運動部に属しているようにしか見えない容姿な上、性格も見た目の通りで、『元気』を地で行っている人物。
名前は篠原 沙彩。現在三年生であり、新聞部の部長である。
もう片方は長机に肘をつきパイプ椅子にけだるそうに座っている女性。黒いロングの髪を首の辺りで軽く束ねていて、ジト目。身長は部長より10センチ近く小さい。
彼女はホワイトボードに書かれている『夏に向けての特集!!』なんて文字に視点を合わせてため息をついた。
名前は小金井 夜子。沙彩からの愛称は「やーこ」。入部届けの名前を夜子と読み間違えた沙彩がそのままずっと使っている愛称である。
こちらは現在二年生、部員数もそんなに多くない新聞部の副部長を務めている。
「な、なんでさ!」
渾身の意見を真正面から否定されて、頭に『!?』を出しながら沙彩は夜子に訊ねた。
夜子は首だけ動かして沙彩を見て言う。
「だってそれ死亡フラグじゃない」
そう言われた時の沙彩のなんとも言えない表情。きっと漫画なら頭に大きな汗マークが浮かんでいるのが見えただろう。
それを見て夜子は少しだけ口元をゆがめる。
「冗談よ」
「ま、まあ確かにそう言う導入のホラー作品はいっぱいあるけどさ……」
いくつか思い当たる作品があるのか、中空を眺めつつ頬をぽりぽり掻く沙彩。
「じゃあ、どうして?」
「流石に学校に忍び込むわけにはいかないでしょ」
「でもほら、なんかこうこっそり頑張れば」
「第一、そんなことしたらセキュリティ会社の人が飛んでくるわよ」
「先生とかに頼んじゃどうかな?」
「不可能ではないと思うけれど……それだと夜の校舎をうろうろできないと思うわよ」
「じゃあやーこ待ってて、ちょっと先生に聞いて来るよ」
言うや否や、さっさと教室を出て行ってしまう沙彩。反応が追いつかず教室に取り残された夜子は一度立ち上がったものの、また机に肘をついて座った。
数分後、手持ち無沙汰となった夜子が次回の学生新聞で使えそうな小ネタをノートに書き込んでいる最中に沙彩が戻ってくる。
「そもそもダメだって」
両手を上向きにヒラヒラさせる沙彩。
「まあ、そうだとは思ってたわ」
夜子はペンを置いてノートを閉じる。沙彩はそのまま空いているパイプ椅子に行儀悪く座ると、口をへの字にして呟いた。
「企画としては良いと思ったんだがなあ、学校の七不思議巡り」
「肝試し系は夏の風物詩だものね」
「そう、それ」
「でも私たちが実際に体験して特集組んだとして、見て面白いと思う人は居るかしら」
「うーん」
沙彩は腕を組んでうつむく。彼女はそうしている間、記事にしてみたらどうなるかやレイアウトとしてどう写るか考えている。
「なんかつまんなさそう」
よくよく考えてみれば自分たちが行った所で何も起きないだろうし、そんな何も起きない夜の校舎の写真を撮っても特集として組むほどのスペースは必要無いだろう。
夜子は出てきた企画を書き記そうと再び取ったペンのノック部分を唇に当てて少し思案する。
「ただ、企画としては悪く無いのよね、真夏のホラー。去年はバカンス方面だったから今年はこっちでも良いと思うの」
「この近辺で有名な肝試しの場所でも探してみる?」
「……いや、身近であればあるほど……そうね」
何か思いついたようにペンをピッと手前に差し出す夜子。
「例えば、ビデオカメラを設置してみるのはどうかしら」
それを聞いて再び腕を組んで悩む沙彩。
実際に行くではなく、設置したビデオカメラで延々と撮り続けるのは画として面白いかもしれない。まったく画面が動かなかったとしても、フレームを写せばそれっぽさは出る。
何より、泊まりと違って部員の負担は少ない。
「よし、それで行こう」
沙彩は立ち上がり、ホワイトボードに『夏のホラー特集』と書き込んで二重丸を付けた。
準備はそう時間のかかるものではなかった。
ビデオカメラと三脚とインターバルタイマーを用意するだけで機材については一応事足りる。
カメラ設置も顧問の先生があっさり許可してくれた。生徒が残るわけでないなら別に構わないそうで、何か面白いものが撮れたら見せてくれとまで言われた。
部員たちにも、今回の特集の概要とその他いつも通りの記事を作るように告げる。
基本的に特集を組んで動くのは部長と副部長で、たまに良い案を持って来た部員が特集記事のリーダーとして動くこともあるが、今回は部長と副部長が特集記事を担当する。
「それじゃ、各自作業開始で」
沙彩が言って部員たちがバラバラに動き始める中、夜子は沙彩に話しかけた。
「で、どこに撮りに行くかだけれど……」
「何か案ある?」
「妥当な線で行くと、この前沙彩が言ってたこの学校の七不思議を追うのが良いと思うわ」
「七不思議か……」
うーん、と唸ってから沙彩は数を数えながら呟く。
「必ず踏み外す階段でしょ? 開かない保健室と……スカイフィッシュおじさん」
「その辺りは、あるとしてもまず撮れないものに属するわね」
「スカイフィッシュおじさんは?」
「確か『校舎内を目視できない速度で駆け回る謎の人物』よね? 映ったとしても線が一瞬残る程度じゃないかしら……」
「そうかー」
沙彩が一瞬いーっとめんどくさそうな顔をしてから、また数を数える。
「じゃあ、あとは映っちゃいけない姿見と、行き止まりの教室。……あれ、わたし五個しか知らないや」
「その二つも、名前を聞く限り定点で撮ってどうかと言うとやっぱり微妙よね」
「やーこ知らない?」
「私は知らないわよ、今沙彩が言った半分も知らなかったもの」
夜子に言われて、ふむ、と腕を組んだ沙彩は、そのまま部室全体を見渡して聞いた。
「誰かこの学校の七不思議について詳しい人居ないー?」
「それだったら俺が得意っス」
律儀に挙手して答えてくれたのは、二年生の布達川 健太郎。男性部員である。
長身に短髪で細長いフレームのメガネを常に着用していて、かなりデキるオーラを放っている。あだ名を考えるなら生徒会長だろう。
その健太郎が手帳を片手に沙彩と夜子の前までやって来た。
「大体なんでも答えられると思うスけど、何が知りたいんスか?」
「とりあえず、この学校の七不思議は何があるか知りたいかな」
「了解」
パラパラ手帳をめくって目的の場所を探す健太郎。すぐにそれは見つかったようで顔を上げる。
「えーっと、まず有名な音速女、またの名をスカイフィッシュおじさん」
「わたしたちが知ってるのはスカイフィッシュおじさんなんだけど、中身は同じなの?」
「だいたい同じっス、『おじさん』の方はヘンタイだけど無害で、『女』の方は怖い話ってくらいっスかね」
「へえ……バリエーションあったんだ。あ、ごめん続けて」
「はい、特定の時間だと必ず踏み外す階段、夜中に映ってはいけない大鏡、深夜開かない保健室……時間限定モノっスね、大体どれも深夜零時から午前三時ぐらいまでって話らしいです」
「それはさっき沙彩が言ってたわね、残りは?」
「血塗れの体育館と、第二棟の幽霊っスかね。七つ目は年によってぜんぜん違うみたいなんで、この六つがこの学校の正式な七不思議なハズっス」
それを聞いて沙彩が首をかしげる。
「あれ、わたし行き止まりの教室って聞いたんだけど、それとは違うの?」
「ちょっと待って下さいね……」
再び手帳に視線を落とす健太郎。あっちへパラパラ、こっちへパラパラやってから、あったあったと声をあげた。
「それ、もしかしてだいぶ昔の話じゃないっスか? 部長の言う行き止まりの教室が、第二棟の幽霊と入れ替わってるっぽいっスよ。中身は……あんまり変わりなさそうっスね」
「く、詳しいね」
「怖い話は大好きですから」
メガネを中指でクイッとあげて、ニヤリとドヤ顔をする健太郎。
「じゃあ今回の記事担当する?」
だが、沙彩にそう言われて健太郎の肩が落ちる。
「やりたいっちゃやりたいんスけど、今担当してる記事が忙しいんで遠慮しておきますよ」
「そっか、じゃあ手が開いたらお願い」
「了解」
そんなこんなで健太郎から話を聞いて、ビデオカメラ設置対象は第二棟の幽霊に決定した。
『俺も何でこれが有名なのかは判んないんスけど、ずっとこう呼ばれてるみたいっス。なんでも、第二棟の三階にさまよう幽霊が居るとか居ないとか。
っても確かに俺ら生徒からすれば第二棟は視聴覚室くらいしか用が無い場所っスから、不気味な感じもしますよね。
第二棟の三階は部活なんかでも使われて無いくらい人が入らない所なんで、イタズラなんかも無いだろうしカメラの設置なんかするなら特に楽だと思うっス。
部長は行ったこと無いんスか? まあ、カメラを設置する場所はすぐに決まると思いますよ』
とのことだ。
第二棟というのは、主に使われている校舎――正式には第一棟校舎のすぐ隣にある校舎で、第一棟校舎から第二棟校舎へは二階の渡り廊下を使って行くことができる。
一階が来客用通用口となっているため一般生徒はほとんど一階に立ち入ることはないし、二階も視聴覚室があるのみで、文化祭の時なんかはライブ活動などで盛り上がる事もあるが、こちらもあまり生徒が立ち入ることはない。
そしてその三階はと言うと。
「……二つしか教室が無いわね」
第二棟の階段を上り、三階に着いた夜子は眉を寄せて呟いた。
もともと小さい第二棟校舎は教室を作る気が無かったようで、上った直後に見えたのは教室が二つだけで、その奥は行き止まりになっている。
人があまり来ない場所だからか、蛍光灯も若干黒ずんでいるものが多かったり、場所によっては切れているため廊下が若干暗く感じる。
「ケン君が言ってたのはこういうことか」
「教室の数が少ないから、どこにカメラを置いても変わらないって?」
「そう、それ」
笑顔でピッと人差し指を夜子に向ける沙彩。夜子は相変わらず眉を寄せたままである。
「さてと、とりあえずどこにカメラを置くかねー」
「ち、ちょっと待って、この先に行くの?」
何気なく歩き始めた沙彩を夜子が引き止める。
そのままこの三階入り口にカメラを設置してしまっても良いだろうが、もう少し良い場所を探したい。
難しい顔のままの夜子を見て、沙彩はにやりと笑った。
「ははーん、やーこ怖いの?」
「うっ……。その、そうだけれど、この人の立ち入らない場所の独特な雰囲気がイヤと言うか、もう既に何か出て来そうじゃない」
「ま、ね。でもほら、怪しい場所は念入りに調べないと。ここなら撮れる! って場所を見逃したくはないからさ」
「……仕方ないわね」
沙彩が先頭を歩き、夜子がしぶしぶ後ろから付いて行く。
のぞき窓から教室をのぞくと、意外にも図書室で使われるような大きな本棚がいくつか目に入った。
部屋の中央にある机も木製の長机で、昔はここを図書室にしようとしていたのかもしれないと思える教室だった。
もしかすると、図書室として使っていたのかもしれないが。
「位置が悪かったなぁ」
「そうね、ここは教室からは遠すぎるわよ」
沙彩の呟きに夜子が答える。
完全に忘れられたように置いてある本棚や机は埃が溜まっていて、この廊下の薄暗さと相まって少し恐怖を覚える。
沙彩はおもむろに引き戸に手をかけると、力を入れた。
「開かないや、しっかりカギはかけてるんだ」
「当たり前でしょ」
平静を保っているような態度で言い放つものの、開かなくてよかったと夜子はこっそり安堵のため息をついた。
とは言え、さっきから首筋がチリチリ熱い。気のせい、気のせい、と必死に意識を外に向けようと試みる。
「あ、開いた」
そんな事をしているうちに、気づけば沙彩は隣の教室のドアを開けていた。
あまり離れていないとはいえ、沙彩が先に行ってしまったので慌てて追いかける夜子。
教室の中は、奥半分が物置になっていた。
こちらも隣の部屋と同じで埃が溜まってはいるものの、使われなかっただろう机や椅子が綺麗に端っこに寄せられている。
ほかにも、学園祭なんかで使われる事がありそうなアーチや大きめの箱に入った小道具、いつ使うのか分からない大きな旗もあった。
「こっちはたまに先生とかが来るのかな?」
「……さあ、どうかしらね」
「カギ開いてるって事はたぶんそうだよね」
「いいから、早く、カメラを設置しましょう」
「あはは、ごめんごめん」
教室の中にカメラを設置する気はないのか、沙彩は教室の引き戸を閉めた。
と、廊下がまだ先に続いていて、行き止まりまで少し間がある事に気づく。どうやらこの先の壁が窪んでいて、遠くからだと気づかなかったらしい。
沙彩がパタパタ音を立てて窪みをのぞきに行くと、トイレがあった。
「ほー……。やーこ、ここ――」
「無理、絶対無理」
後から見た夜子は、先ほどまでの態度を忘れたかのように頬をひきつらせてじりじり後ずさる。
まあ、わたしも入りたくはないかなー。と沙彩も呟いて、手に持っていた三脚を地面に下ろした。
「ここにするの?」
「うん、こんなロケーション、撮ってくれって言ってるようなもんでしょ」
はにかみながらカメラを三脚に載せて固定し、そのままインターバルタイマーを取り付ける。
「時間はどうしようか」
「そうね、深夜に撮れていれば良いだろうから、零時に録画開始で良いんじゃないかしら」
「オッケー」
インターバルタイマーをカチカチいじり、モニターを眺めながらカメラをトイレと隣の教室が両方とも少し映るように動かす。
「よし、じゃあこれで明日テープとバッテリー交換に来よう」
「設置期間は考えてあるの?」
「ああ、言ってなかったね、先生には一週間程度で頼んどいたけど。まあ、置く期間はその場の流れかな」
「判ったわ」
そう話をしながら、二人は部室に戻って行った。