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  作者: 哀楽坊主
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 鈍色の空は小さな水滴を一滴、また一滴とこぼす。今日は久しぶりのライブなのだが、生憎天候には恵まれなかった。雨は次第に本降りになり、アスファルトの地面に水溜りを形成する。燈莉達はコンビニの屋根のある部分で雨宿りをしていた。

「やっぱり雨が降ってきたか。よりによってライブの日に雨か」

 燈莉がうっとおしそうに呟く。どんなジャンルの楽器を弾く人でも、大抵雨を嫌がる傾向にある。楽器を持ち歩くとなると結構なサイズになり、移動の際には大変不都合が多いからだ。

 実際燈莉達も楽器や機材でほとんど両手が塞がっている。ギターやベースに関してはリュックサックのように背負えるようになっているケースなので、両の手が塞がることはない。片方の手には楽器の音を作りこむ為の機材を入れた、アタッシュケースのようなものを持っている。

 都流樹は筒状になったものと、丸く平べったいハードケースを持っていた。このケースの中には当然ドラムで使用するものが入っている。丸い方にはシンバル類。筒状の方にはスネアドラム。ドラムセットはライブハウスにあるのだが、大抵の人は自分のお気に入りの音を出す為に様々な打楽器類を持参する。

「あれ、都流樹さん。今日ペダルは?」

 瑠華が都流樹の荷物を見て、違和感に気付いた。

「あっ! ペダル忘れてた」

 ペダルとはドラムセットの足元にある一番大きな太鼓を叩く為のもので、一般的にフットペダルといわれている。これも自分が普段使っている物の方が踏みやすかったりするので持参することが一般的である。

「まあいいか。栗栖さんのところはアイアンコブラのツインペダルがあったし、あれ借りるからオーケー」

 素朴な疑問を持った天羽が都流樹に言う。

「とる兄。愛あんこブラという怪奇的なものは何ですか?」

「アイアンコブラってのはペダルの商品名な。電子レンジでいったらヘル○オみたいな。それよりもお前の発音と頭の中で考えてる内容の方が怪奇的だ」

 そんな話をしている横で、聖夜は一人で一際大きな荷物にビニール袋を被せている。

「もーほんま雨いややわ。うちのかわいい子達が」

 聖夜の背中にはギターなどと同じように、背負えるタイプのケースにキーボードを入れている。そしてもう一つ、キャリーカートに固定しているのはメインで使うキーボードだ。こちらは天羽の体重くらいあるので、とてもではないが持ったり担いだりして運ぶことはできない。

「大変そうだな。どれか持とうか?」

 燈莉の言葉にびくっと肩をすくめる聖夜。この間の一件から妙に燈莉のことを意識してしまう。

「大丈夫大丈夫。この子らはうちのこいび……パートナーやからな。はっはっは」

 愛とか恋とか、今の聖夜はそんな台詞を口に出すだけで、何故か恥ずかしい気持ちになる。その違和感のある態度は他者から見れば些細なもので、誰も気を止めることはなかった。瑠華以外は……

「それよりあまり時間がないわよ。そろそろライブハウスに向かわないと」

 瑠華がスマートフォンの時計を見ながら言う。聖夜の準備も終わったので一行はライブハウスへ歩みを進めた。

 黒地の背景にIMPRLLITTERIという文字が書かれているだけのシンプルな看板が、入り口から見上げたところにある。ドアを開け中に入ると地下に続く階段が続いていた。急勾配な階段だったので、キャリーカートに乗せられている聖夜のキーボードは、燈莉と都流樹が担いで搬入した。

 フロアにはスタンドテーブルが四脚あるだけのシンプルな空間。壁も全面真っ黒でライブステージの左右には、大きめのスピーカーが二段に積み上げられている。舞台の上にはすでに楽器用のアンプがスタンバイされていた。

「燈莉君いらっしゃい。今日は生憎の雨だね」

「こんにちは栗栖さん。やっぱり雨だとなんだか気分がのらないですね」

 人差し指と中指の間にはさんだたばこを咥え、静かに紫煙をくゆらす栗栖。彼は以前燈莉の父親と同じバンドで活動していた。今は癖のある長い黒髪を後ろでまとめ、無精髭を生やしたルーズな風貌をしているが、若い頃は眉目秀麗で女性からの黄色い声援を飽きる程浴びていたという。

「そんな気分を吹き飛ばしてくれるライブを期待しているよ。君達の成長には目覚しいものがあるからね」

「俺はただ必死なだけです。隣で瑠華のギターをいつも聞いているから、劣等感で潰れそうですよ」

 栗栖はちらりと瑠華の方に目を向ける。

「確かに辛い立場だね。感性もテクニックもあの年で非の打ち所がない。彼女は別格だから気にしないでいいよ」

「私なんてまだまだ未熟ですよ」

 少し照れた様子で瑠華は言った。両手を胸の前で開き小さく振る可愛らしい仕草をする。同世代の人と接する中ではあまりない貴重な一面なので、燈莉はしっかりと目に焼き付けた。

「ふふ。そんなに買い被らなくていいよ」

 顎の髭を触りながら、年齢を重ねた者特有の笑みを浮かべる。瑠華はかけられた言葉をそのまま返す。

「そんなことをいって。本当に買い被っているのは誰なんでしょう」

 小さな手で人差し指をピンと張り、栗栖を指差す天羽。

「こいつはあれなのです! 未知の生物なのです! 化け物なのです! UMA(未確認生物)なのです!」

 瑠華の発言を強調する為に出てきた言葉なのだが、何か例えがおかしなことになっている。

「これはひどい言われようだ。おじさん参ったな」

「栗栖さんは本気の変態ギタリストやからなあ。うちらから見たらほんまに未知の生物やわ」

「聖夜ちゃんまで。少し悲しくなってきた」

 と言いつつも顔に張り付いた笑顔はまったく乱れない。

「大丈夫ですよ。男は変態でなんぼだと思います。栗栖さん素敵なド変態です」

 都流樹がガッツポーズをしながらそう言ったが、まったくフォローになってない上に、意味がよく分からない。

 なぜ燈莉達がここまで栗栖さんのことを特別視するのか。それは以前ライブをした時に、栗栖が一緒に演奏したいと言ってゲストで参加したことがあった。その時の演奏技術があまりにも衝撃的であったからだ。ダサい表現かも知れないが、栗栖の演奏には本当にしびれる。こういう言い方がものすごく合っている。

「あ、ありがとう」

 揺るぎを見せなかった笑顔が、少しだけ崩れた。

「そうだ。燈莉君。申し訳ないんだけどリハーサルの順番をちょっと変えてもいいかな。遠方から来るバンドが少し遅れているみたいなんだ」

「いいですよ。どれくらい時間をみていればいいですか?」

「そうだな。大体一時間後くらいだから、ちょっと前にスタンバイしてくれたいいよ。ちょうど昼時だからご飯にでも行ってくるといい」

「わかりました。それではまた後でよろしくお願いします」

「はーい。よろしくね」

 栗栖は手を振りながら、機材をたくさん置いている部屋に向かった。

 周囲を見回すと、今日ライブをする他のバンドが何組かいた。それぞれのバンドが一つの固まりになっている。本番の打ち合わせをするバンドもあれば、何をするでもなくゆっくりとくつろいでいるバンドもあり、それぞれの個性が出ていて面白い。

 都流樹が大きく伸びをして体をほぐすと、燈莉に声をかける。

「結構時間が余ってしまったな。どうする燈莉、さっそく飯でも行くか?」

「そうですね。行きましょうか。この近くは飲食店が多かったですよね」

「来るまでの途中に色々あったな。みんなは何がいいんだ?」

 都流樹がそう言うと、他の面々は自由に思ったことを口にした。

 瑠華は、

「私はここの近くにあったカフェのランチがいいかな」

聖夜は、

「うちは駅前のお好み焼き屋がええなあ」

 天羽は、

「ラーメン!」

 三者三様とはまさにこのことだ。誰の意見を尊重すれば良いのか迷っていると、都流樹も自分も食べたいものを上げる。

「俺は、肉だ。よし、多数決で決めよう。あとは燈莉が俺達の言った食べ物でどれがいいか選ぶだけだ。簡単なお仕事だな」

 燈莉は悲痛な表情をしながら、恨めしい目つきで都流樹をにらむ。

「どこが簡単なんですか! ひどい仕事押し付けますね。プレッシャーが半端ないですよ」

 瑠華はいつもと変わらないすました顔をしている。こんな時瑠華は何を考えているのだろう。聖夜はすでにお好み焼きを食べる妄想を脳内で繰り広げている。こちらは逆になんともわかりやすい。天羽はラーメン、ラーメン、という掛け声をひたすら繰り返していた。

 燈莉の心情としては瑠華の意見を尊重したいところなのだが、以前瑠華が燈莉を好きだということを聞いたあの一件のこともあり、そのせいで余計なことを意識してしまい選びづらい。かといって聖夜の行きたい店に決定しても、瑠華より聖夜を選んでしまうことが気になってしまう。これは無難にラーメンを選ぶのが正解な気がする。

「この状況は何故か緊張するのです。燈莉がプロポーズをたくさんの人から受けて、どの人を選ぶか。みたいな逆ハーレム状態なのです」

 天羽の発言に瑠華と聖夜は激しく動揺する。

「なっ、何を言っているの天羽ちゃん。プロポーズとかないから!」

 否定をしながらも少し照れているようにも感じる。そう考えると燈莉もこの状況が恥ずかしくなってきた。 

 聖夜は言葉はなかったが、体全体で「モジモジ」を表現している。この姿は可愛らしく、全て計算づくの行動ではないのだろうかと疑ってしまう。

 この状況を見かねた都流樹が助け舟を出す。

「すまない、燈莉。なんか俺が悪かった。ラーメン行こう」

 昼ご飯前の難問は都流樹の一言で決着がついた。満場一致で無難な結果だった。

 ここを出て少し歩いたところに小さなラーメン屋があったので、そこで食べることにした。カウンターのみの店なので、五人一列で並び黙々とラーメンをすする。

 ライブハウスに戻ると他のバンドのリハーサルが始まっていた。予定は順調に進んでおり、今のバンドが終えると次は燈莉達の出番だ。

 ステージを正面から見て左側を奥に行くと控え室がある。そこで燈莉達は各々の楽器の調整をしていた。瑠華はギターの調整を終えウォーミングアップをしている。

 天羽はチューニングの時はいつも苦労をしていた。ベースはサイズが大きく、弦を巻き取るペグまでの距離が成人男性でも遠く感じる。天羽ががんばって手を伸ばすがもちろん届かないので、結局ベースを縦置きにしてチューニングするという面白い光景がそこにあった。

 そうこうしている間にリハーサルの順番がやってきた。

「あれ? 都流樹さんは?」

 燈莉は都流樹がいないことに気がついた。リハーサルの開始時間は把握しているだろうから大丈夫だと思っていたが、定刻になっても都流樹は帰ってこない。

「どこへいったんやろ。誰もみてへんの?」

 聖夜がみんな問いかけるも、誰もが首を横に振る。とりあえず時間になったのでステージに上がり楽器と機材のセッティングを始める。

「とる兄は一体どこにいったのです? 帰ってきたらおしおきなのですよ。あっ、電話をかけて確認してみるのです」

 天羽は携帯を取り出し、都流樹に電話をかける。二回呼び出し音が鳴った後通話状態になった。

「もしもし。とる兄。もうリハーサルが始まってるですよ。何をしていのですか?」

「あ、天羽か。すまない。とんだトラブルに巻き込まれちまった」

 いつになく真剣な声色で答える都流樹。

「どうしたのですか! トラブルってどういうことですか?」

「くそっ! 止まんねえ、止まんねえんだよ。俺は、もうだめだ……」

 天羽の顔から血の気が引いていく。明らかに都流樹の身に緊急事態が発生している。そのやり取りを見て、燈莉達もただごとではないと判断した。

「どこにいるのです? 状況を詳しく伝えて!」

 いつもの鼻にかかった声とは対照的に、はっきりとした発音で早口に喋る天羽。

「燈莉はいるか。いたら代わってくれ」

「わかった。ちょっと待って」

 天羽から電話を代わる燈莉。

「もしもし!」

「燈莉か。助けてくれ。俺は今……」

 そこで携帯の充電が切れた。

 ざわめくステージの異変に気付いた栗栖は、駆け足で燈莉の元にやってきた。

「どうしたんだ。燈莉君」

「実は都流樹さんに電話をしたら、緊急事態だから助けてくれって」

「あと、止まらない、止まらない、って叫んでた……」

 二人の話を聞いた栗栖は、ハッと何かに気付く。

「まさか!」

 栗栖は突然走り出す。その向かう先に都流樹がいると確信した燈莉は、全力で後を追いかけていった。


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