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  作者: 哀楽坊主
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 聖夜の家に向かう途中、見慣れた道を行く燈莉と瑠華。相手を置いて行かないように歩幅を考えながら歩く燈莉は、人への気遣いや配慮を良く考えている。いつも辛辣な言葉を燈莉に浴びせているが、周囲のことにきめ細かく気付くことや、優しい一面などは理解しており、言葉とは裏腹に心の中では彼に好感を抱いていた。

 太陽が半ばまで沈み始め、空には朱と群青のグラデーションが夜の帳を示唆していた。

「今日初めてやった曲、ボロボロだったよなあ」

 燈莉が独り言のように呟く。

「うん。最悪。歌とか。ギターとか」

「歌とギターって、それ全部だめってことじゃないか」

「そうよ。確かにあのフレーズをギターで弾きながら歌うのは難しいと思うけどね」

「いや、あれはほんと難しいよ。少し簡単にアレンジしてもいいかな?」

 瑠華は口を固く結び、燈莉を睨みつける。

「だめ。絶対にだめ。あの曲は私の作ったようにやって」

 音楽に関しては何事も絶対に妥協しないのが、いかにも彼女らしいところだ。今まで作ってきた曲のほとんどは瑠華が作っている。弦楽器、打楽器、鍵盤すべて演奏できるので、全部のパートを録音したデモと譜面を用意してバンドメンバーに配布するほどの完璧主義だ。

「相変わらず厳しいな、瑠華は」

「楽しく音楽をするのは否定しないけど、時にはストイックな方が自分自身を高めることに繋がるから、がんばってみなさいよ。ちなみに演奏に気を取られてる時や、緊張している時に燈莉は喉の開きが甘くなるから、そこを意識すればいいと思う」

 的確な指摘。自分は完璧でありながら、周囲のこともしっかりと把握している。瑠華からの指摘は実に的を射ており、聞く側も素直に受け入れることができる。

「了解。がんばってみるよ。しかしほんとに瑠華の才能が羨ましい。何をやらせてもうまくこなすし」

「元々何でもできる訳じゃないから。物事には得手不得手があるかもしれないけど……」

 腕組みをしながら語る瑠華の言葉を遮る燈莉。

「努力し、費やしたの時間に応じて才能は開花する。だろ?」

 顔で正解! と言わんばかりの瑠華は、そのご機嫌な笑顔を燈莉に向けた。

「分かってるならいい。それより着いたよ。聖夜の家」

 二人は聖夜の家のインターホンを押す。しばらく待っていると玄関の扉が開き、聖夜が姿を現した。肩の辺りまで伸びた直毛の黒髪が静かになびく。それは決して野暮ったくはなく、むしろ清楚さを感じさせる。細いプラスチックフレームの眼鏡が、その清楚さを更に際立たせていた。

「やあ。今日はスタジオ行けなくてごめんな。とりあえずあがっていって」

 聖夜に促され家の中に入る二人。玄関に足を踏み入れた瞬間、花の甘い香りがした。人の家に入ると特有の匂いを感じるが、聖夜の家はいつもこの花の香りで満たされていて心地よい。聖夜の部屋は階段を上がった二階にあり、部屋に入ると様々な機器で埋め尽くされていた。

「散らかってて悪いけど、そこらへんの空いてるとこに座って」

 パソコンに液晶が三台接続され、それぞれの画面に音楽編集用のソフトを広げられている。その隣には演奏用のキーボードが二台。更にその隣には色々な機材がラック一杯に組み込まれていた。燈莉はその機材郡に囲まれた椅子に腰をかけた。瑠華と聖夜は他に座るスペースがないので、ベッドに座っている。

「ねえ聖夜。また機材増えた?」

「さすが瑠華。よう気付いてくれた! この真っ赤なキーボードな。これのオルガン音源の音がな、ほんま最高やねん」

 聖夜の見た目は完全に清楚キャラだが、楽器や音響機器マニアで関西弁で熱く語る姿は清楚とは程遠いものであった。しかし幸せそうに話をしているので、聞いている方も心地が良い。

聖夜は満面の笑顔で、最近購入したお気に入りの楽器を見つめたりなでたりしている。愛器を愛でる行為は次第にエスカレートし、とろんとした恍惚の表情で、その赤いキーボードに頬ずりを始めた。

「もうここまでいくと病気だな。中毒だ」

 燈莉は半ば呆れた顔で言うと、瑠華の方へ顔を向けた。嘲笑ではない笑みで彼女は言う。

「これはこれでいいんじゃない。やっぱり楽器を演奏する人間は、大なり小なり聖夜みたいなところがあると思うし」

「確かに。ギターは俺の恋人だ! みたいなスタンスの奴もいるしなあ。瑠華だって新しいギターを買った時、アライグマみたいに磨き続けてたし」

 一瞬むっとした表情をした瑠華だが、悪意を持って片方の口角を上げると、

「まあどこぞのギターボーカルさんみたいに、自分のギターに異性の名前をつけるような気持ち悪い所業に比べたら、可愛いものではないかしらね」

 誰とは言わないが、明らかに燈莉のことを指している。しかし自分の楽器に名前をつけるのは、我々の経験則から、ごく一般的なものと認識されており、別段恥じることではない――燈莉談。

 聖夜はそのやりとりを聞いていたのか、目を輝かせながら親指を立て「グッ!」と一言。燈莉、あんたは仲間やで。彼女の目は言葉を発せずとも、そう語りかけていた。

「あなた達、変なところで意気投合するのは勝手だけど、そんなくだらない話をしに来たんじゃないでしょ」

「あれあれ? 瑠華ちゃん妬いてるん~。ツンツンしてる割には可愛いところもあるやん」

「なっ! ちょっ……変なこと言わないで。私がいつ誰に妬いてるっていうの」

 聖夜がジト目で瑠華を見ていた。明らかに今の状況を楽しんでいる。

「ふ~ん。じゃあ燈莉はうちがいただいとこかな」

「好きにしたら。私には興味ないから」

 気のせいだろうか。一瞬瑠華が切ない表情をしているように感じた。

「んじゃいただきます。燈莉のギター」

「ってギターか! 最初から俺のギター目当てだったのね」

「そらそうやん。そのギターええよなあ。そのギターあっての燈莉。てゆうかむしろそのギターが燈莉の本体やろ」

「人のことをコアが分かりにくいところにあるボスキャラみたいな感じで言わないでくれるか」

「うわ、なんかうまく言ってみた感。恥ずかし」

「ただただ寒いわね。もうそんな季節だったかしら」

 女性二人から散々弄られた挙句、酷い仕打ちを受ける燈莉。ちなみに今はまだ五月である。ちょうど少し暖かくなり始め、衣替えを考え始める季節。そんな中、冬の到来を予感させる言動を誘導された惨めな男は、悲しみのままにうなだれるしかなかった。

 三人はふざけあいながらも、次のスタジオ練習の打ち合わせを行った。そこまでは特に問題はなかったのだが、瑠華がキーボードのアレンジを変えて欲しいと聖夜に言ったところから、少し雲行きが怪しくなってきた。

「いや、イントロのブラスは良いと思うのだけど、サビに入るオブリガートは疾走感がなくなるから、白玉でストリングスいれて欲しいの」

「瑠華ちゃん、そこは違うと思うで。そもそも疾走感うんぬん以前に、サビ前の変拍子のところでガラッとイメージ変わるから、ストリングスやと単調すぎて盛り上がりに欠けるわ」

「でも今のアレンジだと、歌メロに被るところあるよね。あれはちょっとあざとい感じがする」

「それは逆やわ。そこの部分はボーカルのメロディにハモらせるからこそ、荘厳な雰囲気が出るんちゃうん」

瑠華と聖夜の主張はすれ違い、意見を交し合うほどお互いの語気が荒くなっていく。こんなやり取りが、かれこれ五分ほど続いた。二人はしばしば音楽性の違いで対立し、口論になることがある。しかし決して仲が悪いという訳ではない。音楽に対しての真剣さを、お互いに理解しているからこそ、遠慮なく意見をぶつけ合うことができる関係であった。

 結局最終的な結論としては、次回のバンド練習で曲を合わせる時に考える、という無難な形に終わった。

 燈莉はそんな二人のやり取りが好きだった。真剣に議論を交わす彼女達の目は輝いており、とても生き生きしていているからだ。

「燈莉、何ニヤニヤしてるの? 気持ち悪い」

 相変わらず厳しい言葉をぶつける瑠華。燈莉は知らないうちに、にやけた顔で傍観していた。

「なんというか、真剣に考えているからこそのやり取りだな、と思って嬉しくなった」

「それはそうよ。妥協はしたくないから」

「うちも同じ意見やわ。衝突するのはそれだけ真剣に取り組んでる証拠やしな」

 頬に手を当てながら聖夜は言う。ラインストーンでデコレーションされたネイルが、真面目そうな容姿と相反して印象的だった。前に会った時と違うデザインになっていることに燈莉は気付く。

「なあ聖夜。その爪のやつ、また変わった?」

「よう気付いてくれた! そやねん。こないだ気になるのがあってな。ついつい買ってしまってん。でもそんなところ見てくれる男は燈莉くらいやわ。あれ? そんな意識されるなんて……うちに惚れてもうた?」

 悪戯な表情を燈莉に向ける聖夜。

「何でそうなるんだ。もう少しおしとやかで女性らしかったら考えるんだがなあ」

 聖夜は頬を膨らませて燈莉をにらみつける。確かに見た目は非常に清楚でかわいらしいので、男性からの第一印象はすこぶる良い。しかし喋り出すとバリバリの関西弁でまくし立てるので、清楚美少女の殻は崩壊する。喋らなければ理想の女の子だと言われた回数は、もう数えることができない程だ。

「じゃあ……私、本気出すよ」

 そう言った聖夜は一度後ろを向く。肩を上下させて、大きく深呼吸をしているように見えた。

 燈莉の方に振り向き直った聖夜は、ベッドから立ち上がると燈莉の方に詰め寄り、じっと瞳を見つめ始めた。

「私っておしとやかではないですか? そんなに異性としての魅力がありませんか?」

 さっきまでとはまったく違う甘い声を発すると、聖夜は瞳を潤ませ頬を紅潮させる。そしてしなやかに体を捻らせながら、小首を傾げる動作をした。決してわざとらしくはなく、異性に愛おしさを感じさせる自然な仕草。そのまま床に膝をついて燈莉の手を自分の両手で掴み、ギュッと力を入れる。燈莉は体中で自分の脈打つ鼓動を感じ、掴まれた手のひらは汗ばんでいた。

「燈莉君がひどいことを言うから、私悲しくて……」

 更に憂いを込めたアプローチで畳み掛ける。燈莉は緊張のあまり生唾を飲み込む。そのわずかな喉仏の動きを見逃す聖夜ではない。ここを好機とみて、すかさず獲物を仕留めにかかる。聖夜主体で展開される一連の様は、理性と本能が絶妙のバランスで絡み合っている。いわゆる悪女の片鱗を見せるその姿は、実に女性的で魅力的だった。蝶のように煌びやかな誘惑の舞で虜にした獲物を、蜂のように正確無比な誘惑の毒針で自由を奪う。

「お、おい聖夜。標準語とか使うなんてらしくないぞ」

 あくまで冷静に処理をしようとする燈莉。しかし明らかに声がうわずっているのがわかる。聖夜の中では完全にちょろいやつである。

「だって、燈莉君がおしとやかにって言うから」

 聖夜は掴んでいる手はそのままに自分の胸元に寄せ、心臓の辺りに燈莉の手をピタリとつけた。そして上目づかいで切ない表情をしながら一言。

「私、こんなに胸がドキドキしてるよ。どうしよう……」

「おおおおちおちっ! おおちちつつけ!」

 完全に冷静さを失い、ろれつも回らなくなる燈莉。

「えっ? お乳を突きたいってそんな恥ずかしい……でも、燈莉君ならいいよ」

 聖夜は胸元の手をおもむろに下の方にずらす。その刹那、二人は禍々しい負のオーラを感じた。居場所をなくした瑠華が部屋の隅で、どこぞの世紀末覇者をも凌駕せんとする威圧感を放っている。

「いいかげんに!」

 言葉を途中に瑠華は飛び上がり、燈莉の延髄に強烈なドロップキックを叩き込む。

「ぐがっ!」

 声にならない断末魔の呻きあげる燈莉。吹き飛んだ先にあった赤いキーボードの鍵盤にぶつかり、耳障りな不協和音が部屋中に響く。その音を聞いたのが最後の記憶。目の前は暗転し、訳が分からないまま燈莉は意識を失った。


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