王子様も動き出します。
「本当に行かせるおつもりですか?」
コトリ、と殆ど音も立てずに置かれたティーカップと静かに降ってきた問いにウィルサスは書類へ落としていた視線を上げた。
彼に仕える優秀な執事は綺麗な姿勢を保ったまま己の主を見据える。
そんな彼にウィルサスは小さく笑った。
「不満か、ハイルトン?」
「不満など。しかし、彼女等は優秀な戦力になります。手元に置いておかれた方が良いのでは?」
ハイルトンの言葉に、先程まで会っていた者達の姿を思い浮かべる。
確かに、彼の言う通り彼女達は優秀な戦力ではある。
だがしかし、だ。
「ハイルトン、忘れてはいけないよ。彼女達に僕に従う道理がある者は居ない」
国王にすら歯向かった者達である。
そんな彼女達が、たかが王子でしかない自分に従う訳もないし、理由もない。
今回の件ですら、ただ自分と彼女達の利害が一致し、自分に通じる者が彼女達の近くに居た為にもたらされた縁だ。
「異世界人に元魔王に魔物に魔族に合成生物。どう思う?」
「どうもこうも、信じがたい組み合わせです」
「そう、信じがたいよね。だけど更に信じられないのは、元魔王も、魔族も、魔物も、合成生物も、リオさん一人に従っているという事だよ。それが情であれ、契約であれ、従属であれ、彼等はリオさんが行くと言うから共に魔族の地へ行き、リオさんが"敵ではない"と認識しているから僕達には攻撃しない」
「……」
「僕達の事情を話して巻き込んだとは言え、それは前提条件としてリオさんの恩師であるレイやトニック達の存在があったからこそだ。そして、だからこそ正確には"巻き込めた"と言うべきなんだろう。じゃないと彼女はいくらこちらの事情を話して力を貸して欲しいと言っても、嫌だの一言で済ませてしまっただろうからね」
「レイファラス様がリオ様に手を差し伸べて下さっていてよう御座いましたね」
「本当にね。リオさんが張った結界を視たかい?」
「はい」
"解析"。ハイルトンの持つ"能力"である。
十秒以上見つめた物のあらゆる情報が分かるという能力だが、生物には使えないし、同時に多くの物を解析する事も出来ない。
それでも、彼の解析はとても正確であった。
「どうだった?」
「どうもこうも、素晴らしいモノですよ」
ハイルトンは窓の外へと視線を投げる。そこには何時もと変わらぬ景色が広がっているが、目には見えない"結界"も確かに存在していた。
「リオ様が結界を張られたのは吸血族のお二人が彼女の血を飲んだ後でしたよね?」
「うん」
「だからでしょう。『リオ・アキヅキと同じ血を体内に持つ者の通行不可』を条件とする結界を張っています。これで、他の者には影響なく、吸血族の二人をこの屋敷に閉じ込めておく事が可能となっています。しかも無属性に加えて水と風、雷の魔力も折り込まれていて、無理に結界外へ出ようとすればそれぞれの属性による攻撃魔法が発動する仕組みです。更に魔法陣を書いている紙には土の強化魔法がかけられていて、壊されにくくされています。魔法陣を使用した素晴らしい結界です。並みの実力者では破れないでしょう」
「そっか。魔法陣を使用した結界はレイが得意としている分野だったね。流石はレイの弟子と言ったところかな。本当に、これだけの実力者を今外に出してしまうのは勿体ないんだけどね。まぁ、こればかりはしょうがないとしか言いようがない。リオさんが興味あるのはあくまでも、レイやトニック達の安否だけだし、彼女に付き従うモノ達に至っては、リオさんにしか興味がないんだから。……皮肉なものだね」
この国にとって無くてはならない者達の安否を、危険と知っていても尚、自らの目で確かめに行くと動き出した者達は、この国の事など何も考えていない、国民ですらない、ただ"個人"を心配した者達だったのだ。
しかも、その者達を率いているのは、この国の中枢の者達に早々に見放された何の"能力"も持たないただの異世界人である。
これを皮肉と言わずに何と言う。
「レイ達の事はリオさん達に任せるとして、こちらもそろそろ本格的に動き出さないといけないかな。カガルディンがやらかしてくれた事が尾を引いている内に態勢を整えて反撃の準備をしておかないと、レイ達が帰ってきた時に何をやってたんだって怒られそうだしね」
「では、王都へ戻られますか?」
「あぁ。けど、王城へは戻らない」
「ではどこへ?」
ハイルトンの問いにウィルサスは笑う。
悪巧みをしている時の顔だ、とウィルサスと付き合いの長いハイルトンは瞬時に覚った。
「さっきリオさんに彼女が住んでいた家の使用許可を貰った」
「リオ様の家と言いますと、"獣牙の森"の中ではありませんか。我々だけで行くのは危険では?」
「周辺の魔物は餌付けしているから襲ってくる事はないそうだ。他の危険性の高い魔物は度々遭遇するみたいだけれど、家の周りに結界が張ってあるから、最悪家の中に逃げ込めば大丈夫だと言っていたよ。そこに、王都と魔法離宮へ繋がる転移魔法陣がある。使用条件が少し変わっていたけれど、それも解決して貰ったから問題ない」
「それは、なんとまぁ……」
至れり尽くせりではないか、とハイルトンは感嘆の声を上げた。裏で動くには最適の場所と言ってもいい。
王都と魔法離宮へ人目につかずに行き来できるのは僥倖だ。
「取り敢えず、餌付けしている魔物達の世話を仲介人のワンザルトという者に頼んでいるそうだから、彼に会って挨拶する事から始めようか」
「承知致しました」
お茶を飲んだウィルサスが小さな声で呟いた。
さぁ、反撃の始まりだ━━。




