それは切実な祈りです。
なんて弱い人間だろうと思った。
初めて彼女をみた時、弱く脆いただの人間の女がなんて場違いな所に来たのかと、そう思った。
けれど彼女は強かった。
力が、ではない。その心が。在り方が。
『人間舐めるなこの野郎!!』
そう叫んだ彼女の、強い光を宿した黒曜石の瞳に惹かれた。
精霊に愛された彼女は、元魔王様というとんでもない大物まで釣り上げて、魔物蔓延る深い森の中、私達の予想と反してしぶとく生き延びた。
だから少しだけ手助けしてあげようと思ったのだ。
魔物にされたこの身では、その"理"すら魔物と同じになってしまう為に直接的な何かが出来た訳ではないけれど、彼女が魔物達の為にと作るおやつの材料は人間が食べても大丈夫なものも多い。そんなものを中心に持って行けば、彼女はその中から自分用にきちんと選別してくれた。
『ありがとう』とお礼を言われる度に何だかソワソワと落ち着かない気持ちになって、私達はまた彼女に材料を運ぶ。
そんな、穏やかな日々が続いたある時、彼女は森に住む凶暴性の高い魔物と鉢合わせしてしまった。
恐怖に身を竦ませ、顔を真っ青にした彼女を助けたくて魔物へ攻撃しようとしたその瞬間に全身に激痛が走った。
"理"の強制力だと、落ちる意識で理解した。閉ざされる視界の先で家の方へと走り出す彼女の姿を捉え、どうか無事でと祈る事しか出来ない自分達に腹が立った。
次に目を覚ましたのは元魔王のアーファルト様の腕の中だった。
「起きたか。リオが昨日から姿が見えないと心配していたぞ。まったく、なぜあんな所で気を失っていたんだ?」
アーファルト様の問いに応えようと出した声は相変わらずガァ、としゃがれた烏の鳴き声で、隣り合ってついているもう一つの頭と目を合わせて落胆した。
そう簡単には元の姿に戻れない事は分かっていたし、戻った所で"あの人"の支配下にある自分達では……と考えた所でふと思い至った事があった。
魔物の姿である内はその"理"すら魔物に準じているというのなら、私達が彼女に従属したらどうなるのだろう?
魔物とそれ以外を結ぶ、"理"すらもねじ曲げる事が出来る強い強い繋がりを彼女と私達が結んだのなら、"あの人"からの一方的な鎖など断ち切ってしまえるのではないだろうか?
それに何より、従属してもらえれば彼女の為に動けるのだ。
もうあんな、歯痒い思いをしなくて済むのだ。
魔族は魔物の意思をある程度理解する事が出来る。特に魔王であった彼はその能力も高く、ガァガァと必死に気を失っていた理由とリオに名前をつけて欲しいという意図を話せば、いいんじゃないかと思ったよりもあっさりと承諾された。
「一人だと弱いあいつには、一人でも多くの信頼できる味方が必要だ。それが人間であれ魔族であれ魔物であれ、あいつが助けを求めた時に手を伸ばしてやれる者達が一人でも多く必要なのだ」
彼女が師匠と認めて絶対の信頼を寄せる人間が二人居る。そんな二人はしかし、近い内に魔王の討伐で彼女の元を去るのだ。
こんな、魔物蔓延る森に一人残される彼女が簡単に死んでしまわない様に、彼女の力となってくれる者を少しでも多くとアーファルト様はおっしゃった。
それから程なくして彼女に名前を貰い、私達は無事に従属する事が出来た。
彼女の声で初めて名を呼ばれたその瞬間、"あの人"との繋がりが瞬く間に薄くなった事に歓喜したけれど、完全に消え去る事はなく、そんなに上手くは行かないかと落胆した。
それでも強制的に命令される事も、言動に干渉される事もなくなったのだから、それまでと比べれば天と地程には差があったのだ。
そして今日、彼女の師匠達を探す為に助力を仰いだ人間の王子の城に捕らわれていた吸血族の双子が解呪の魔法をかけてくれた。
数年ぶりに自分達の本来の姿に戻る事ができ、更には"あの人"との繋がりも完全に断ち切る事が出来たのだ。
あぁ、これで彼女の為に思う存分力を奮う事が出来る。言葉を交わす事が出来る。
解呪の魔法の光に包まれながら歓喜に震える心にけれど、と暗雲が立ち込める。
彼女は、リオは、私達の本来の姿を受け入れてくれるだろうか?
今までと同じように名前を呼んで、笑顔を見せてくれるだろうか?
怖がらないだろうか?
気味悪がらないだろうか?
化け物と罵らないだろうか?
『可哀想な子達。安心して。私が思う存分、哀れんであげるわ』
そう言った"あの人"のように、私達を可哀想と嗤い、哀れみの瞳で見つめ、差し伸べた手で首を締めないだろうか?
あぁ、どうか、どうか。
解呪の反動で薄れ行く意識の中祈る。
どうか、名前を呼んで。
私達の名前を。あなたの声で。必ず応えるから。
どうか、どうか……




