間章:闇に動く者達。
「あら」
小さな声が薄暗い部屋に響いた。
ベッドに腰掛け俯いていた男はその声に顔を上げる。
「どうした?」
「私の可愛いお人形達の鎖が切れてしまったわ」
「……あぁ、あの二人の事か。何かあったのか?」
「分からないわ。数ヶ月前からちょっと干渉しにくくなっていたのよ。それが今さっき、完全に繋がりが切れたわ」
「……」
どうしてかしらねぇ、と呟く声に男は答えない。
どうでもいい事だ。それよりも、男にとっては今のこの状況をどうにかする事の方が先決であった。
「この状況は何時まで続くんだ……」
眉間に皺を寄せ、苛立った様子でそう言った男に返って来たのは心底面白そうに笑う女の声である。
「こうなった原因はあなた達にあるのに、可笑しな事を言うのね。いいじゃない。邪魔者は排除出来たのでしょう? まぁ、望んだ結果では無かったかもしれないけれど、あれもこれもと欲張ると何も手に入らないわよ」
「……そういうお前こそ欲張りだろう」
「あら、私のどこが?」
「……」
男は答えない。そんなもの、お前が一番よく知っているだろうと、ただ沈黙で語った。
世界の"理"すら無理矢理にねじ曲げて、多くの者を巻き込んで、自分の希望を他者の望みにすり替えて、全てを手に入れるつもりでいる彼女を欲張りと言わずに何と言えばいいのか。
「それで?」
「なぁに?」
「どこまで進んでいるんだ?」
「そうねぇ……」
男の問いに女はその整った眉を困った様に寄せて溜め息をついた。
小さな顔に見事なバランスで配置されたそれぞれのパーツ。ふわりと波打つ柔らかな髪と素晴らしい均衡の取れた体。見た者全てが『美しい』と称賛するであろう女。
だがしかし、そんな女の体は透けていた。
男の向かいに立ち、眉を寄せて溜め息をついた女のその体の向こうにある本棚や壁を綺麗に見ることが出来るのだ。
薄暗い部屋の中、ぼんやりと光を発して見える女はただ静かに息をついた。
「なかなか思った様に進んでいないのよねぇ。私のもう半分はいったいどこにあるのかしらね? まったく、彼も上手に隠すのだから……」
「……」
まるで手のかかる子供の話をする様に女はよく"彼"の話をした。
男はその話を聞きながら、その度に女の狂気じみた執着に恐怖を抱くのだ。
「"器"の方はどうなんだ?」
「あら、それはあなたの方が分かっているんじゃない? 今回も役には立たなかったのでしょう? 順調に従順なお人形さんになってくれているようで嬉しいわ」
「まぁ、そうだな。彼女はとても扱いやすい。無知で単純だ。いっそ憐れに思う程に」
それでもその存在を利用させてもらう事に躊躇いはない。所詮、他人なのだ。自分の為に犠牲になってもらう。
目の前のこの女だってそうだ。互いに利用し合う関係。自分の望みを叶える為に他人を利用し踏みにじる。
どれ程の犠牲の上に立とうと、そこに望んだものがあるのならば躊躇いはない。
「あとは彼も見つけないといけないのだけど……彼もまた、上手に隠れているのよね。まったく、何時まで経っても子供みたいなんだから」
困った人よね、と心底愛おしそうに笑う女。
お前から逃げているのではないのか、とは思っても言えない。自分なら確実にこの女の手が届かない所まで逃げ隠れると、男は名前も知らない"彼"に同情した。
「取り敢えず、あなた達はまだ暫く自由に動けそうにないから、私は向こうに行ってるわ。彼等にもそろそろ本格的に動いて貰わないと何時まで経っても何も進まないし」
「待て! 今彼等に動かれるとこちらは対処出来ない!!」
焦る男に女は笑う。
「知らないわよ、そんな事。全てはあなた達が原因でしょう?」
「俺達はただ、」
「従っただけ? けれど、嬉々として実行していたじゃない。目障りな人達を排除出来ると喜んでいたじゃない。それとも、失敗するとは思わなかった? こうなるとは考えもしなかった?」
浅はかねぇ、と女は笑う。
「向こうだって今回の件には怒っている筈よ。まぁ、結構な被害が出てるみたいだから立て直すまでにもう暫くかかるでしょうけど、あなた達よりはましでしょうね。でも、これもあなた達が選んだ事でしょう? 彼等はあなた達にとってはとても目障りな人達だったかもしれないけれど、居なくなって一番困るのもまたあなた達だって事を失念していたのね。可愛そうに」
ギリッと噛み締められた男の歯が軋む音が聞こえる。
可愛そうにと口にしながらも、女の顔は楽しそうに歪んでいた。
「まったく、あなた達も向こうも、外でも中でも争って大変ね。まぁ、私としてはどちらが勝とうが負けようがどちらでもいいのだけどね」
「待て……待ってくれ! 頼む、暫く時間をくれ!!」
「……まぁ、そうねぇ、いいわ。向こうには先に国内の方をどうにかする様に言ってあげる」
「本当に?」
「ええ。その間に早く立て直す事ね。じゃないと本当にこの国が滅んでしまうわよ?」
「ああ、直ぐに手を打つ。ありがとう!」
「あらあら、まぁ。私に感謝するのね」
愚かだわぁ、と女は笑う。
そうして、自分に向かって頭を下げる男には聞こえない様に呟いた。
「結局あなたも、私の可愛いお人形なのよ」
壁をすり抜けて外へ出る。この体は便利ではあるけれど、やはり本当の肉体には敵わない。
本当の肉体を手にしたのなら、真っ先に彼に会いに行こう。彼はきっと喜んでくれるだろう。前の様に抱き締めて愛を囁いてくれる。
「姿が変わってしまうのはしょうがないわよね。一応似てる人を選んだのだから、そこまで違和感はないでしょうけど。……そういえば女神様は今どこに居るのかしら? まぁ、放っておいても大丈夫ね。どうせ何も出来ないわ」
ふよふよと空中を行きなから女は楽しそうに笑う。
「あぁ、早く貴方に会いたいわ」
うっとりと笑った女の言葉は誰にも届かず消えた。




