〜碧槍の帝〜
まずはどこから説明すべきか。
俺はとにかく普通をモットーに生きる、そりゃあもうどこにでも居る極々一般的な高校生だ。映画で言うならエンディングロールで「○○市の皆さん」、なんてその他大勢に分類されるべき、いや寧ろそれを望んで毎日を送っていた。送っていたはずだった。
なのに...神様、俺が何かしましたか!?気に入らないことをしたというなら謝ります!ちゃんと賽銭箱にも一円玉じゃなくて十円玉、いや、どうしてもって言うなら五百円玉を泣く泣く奮発します!ほんとーは嫌だけどっ!!ですから!どうぞ機嫌を直して、この俺に元の平凡で平和な毎日を返しやがってください!!
...いや、別にこの時の俺は、それを冗談のつもりでもなく、ましてや皮肉で願ったわけでもない。至って大真面目だ。ただし、この時点ですでに、願うべき相手を間違ってしまっていたわけだが―――。
‐1‐
今日も朝から降り続いた雨は止む気配が無い。もっとも、六月の最中だっていうのに梅雨をモノともせずにカンカン照りが続けば、お百姓さんは大変だし何しろ異常だ。そう考えると、この絵に描いたような梅雨の天気は、そんなに悪いモンじゃないような気がしてくる。世界が平和な証拠。うん、やっぱり普通が一番だ。
教室の外は昼間だってのに薄暗く、雨がしとしとと降り続く。そんな景色をぼうっと見ているうちに、なんだか眠くなってきた。
(ああ―――眠い。あれかな、春眠暁を覚え―――)
―――とまで思って、今が初夏だったことに気付く。心の中で自分自身にツッコミを入れたりしながらなんとか眠気を抑えようとするが、それはまぁ俺の微力な精神力が強大な睡眠欲という怨敵に打ち勝てるはずもなく。
(―――ま、いいかぁ。)
などと諦めるのもストレートに、眠りに墜ちて行った。
‐2‐
―――ガタン。
突然、脳の一部が揺さ振られたような感覚で目を覚ました。ほら、墜ちる夢ってあるだろ?あんな感じでガクンって。教室の中だったことを思い出し、俺は何やら恥ずかしいやら申し訳ないやらで、おずおずと周りを見渡す。
よかった、誰も気付いてないようだ。思ったより大きな音を出したわけではなかったらしい。クラスメイト達は俺を気にする素振りも見せず、音も立てずに机に向かっている。
...あれ?音も立てずに?
妙な違和感を感じて、教壇の教師を見た。いつもなら耳に入るだけで眠気を誘う淡々とした教師の声。それが一切聞こえない。教師は黒板に向かったまま、チョークで何かを書こうとしているが、そのチョークは黒板に当たる音さえも発てずに停止している。
―――おいおい。何かの冗談か?
俺は後ろに振り向き、友人である男子生徒を確認する。そいつは確かに机に向かっていた。だが、シャープペンシルでノートに何かを書く途中で固まったまま、ピクリとも動かない。
「―――おい!杉山っ!?」
呼び掛けてみるが、反応は無し。ドッキリか何かと思い、よくよく教室中を見渡してみたが、杉山と同じく誰一人として動いている気配が無い。―――俺一人だけを除いて。
「...マジか...?」
普通じゃない。どう考えてもこの状況は異常だ。時間が止まったようなこの空間で、とりあえず俺なりに色々な考えを張り巡らせるが、そもそもが極凡人の俺だ。大したことが浮かぶはずもない。時間が止まっているのならなんでも好き放題できるな...とか、なんで今がテスト中じゃなかったんだろう、なんて俗な考えが思考を埋め尽くしかけた時、はっと我に返ってもう一度頭を過ったのが、いつまでこのままなんだろう、などとやはり普通の考えでしかなかったところが自分でも悲しい。
いや、悲しくなんかないぞ。普通であることが何より。俺はそれを誇りにこそ思えど、悲観する必要なんてない。
そう思うと落ち着いてきた。そうだ、普通な俺は俺なりに、この状況を整理してみよう。
まず世間一般にこういう場合、王道のパターンが決まっている。そう、『夢』だ。うん、極平凡な俺にはそういうパターンが実にしっくりくる。よくよく考えれば、こんなの夢に決まっている。思い出せば、授業中にうとうとしていた俺が、そのまま爆睡していると考えるほうが無難じゃないか。ははは、何を焦っていたんだろう、俺は。
それならば簡単な話だ。ここで机に頭でもぶつければ一気に目が覚めて俺はいつもの教室の中ってわけさ。そうと決まれば...って待てよ。更に王道を考えれば、頭を打った瞬間に、うとうとしていた俺は机に頭をぶつけて目を覚ます。となれば、大きな音を立ててしまって、さっき危惧していた状況に追いやられる、つまりみんなに笑われるか、教師に注意されるか、どちらかの運命が待っているわけか。
...。
......。
......うん。なんて平々凡々な結末だろう。いや、もうここまでセオリー通りなら、それはすでに芸術の位置に達してしまっている。我ながらホレボレするほどの平凡さだ。
俺は一度深呼吸して、再度机に腰を掛ける。そうして深く息を吸い、狙いを定めた。狙うは、机上平面のど真ん中。額を思いっきり...打ちつけたっ!
‐3‐
...。
......。
.........。
......痛ぇ。
空気はしんと静まり返っている。しとしとと降り続いていた雨はもう止んでいるのか、窓の外からは何の音もしない。机に突っ伏した状態で居た俺は、顔を上げるのを少し躊躇った。クラスメイトに笑われるのは覚悟していたが、それでもやはり目立つのがイヤな俺としては若干の勇気を必要とする。
深く息を吸って、覚悟を決める。おずおずと、ゆっくり頭を上げた。
......。
.........。
.........おい。
笑えない。笑われるのは覚悟していたが、はっきり言ってまったく笑えない。
そこは相変わらず、時間の止まったままの、不可思議な教室だった。
‐4‐
...マジか。こんな状況で、超の付くほどの一般ピープルな俺にどーしろと言うのか。いや、それ以前にこんなことがあっていいのか。百歩譲って、まだ一般常識が通じるようなトラブルなら認める。どこぞの時代遅れな柄のよろしくない連中に絡まれただとか、家が火事になっただとか、そんなことが望むべくして起こるなんてのはもちろん御免だが、とにかくこの状況はそんな範囲を遥かに越えて一気にやってきたわけだ。考えろ。有り得てしまったからには受け入れないとならない。普通な俺は普通なりに、この状況をどうにかしなければならない。
...。
......。
......アリエナイ。
ダメだ、いくら考えてもその言葉しか浮かんでこない。俺はさすがに自分自身の普通さにがっくりとうなだれてしまう。
と、その時―――。
「―――ぷっ。」
誰かの声が聞こえた。それも吹き出すような、何かを堪えるような。俺は突然のことに驚いて、身体を大きく跳ねさせながらも、声のしたほうを見た。
「―――っぷはははは!!あーはっはははははっ!!」
...声の主は、俺が振り向いたとたん、大声をあげて...文字通り、笑い転げていた。
「あははは...ごめ、ごめん、あは、あははははは!!」
...なんだ?つか、笑われる覚悟ができてたって言ったってまさかここまで大爆笑されるとは思ってなかった。いや、そんなことよりこいつは誰だ?なんで俺を見て笑ってんだそんなとこで。クラスの奴じゃない。それどころか、恐らく高校生でもないんじゃないか?小学生...せいぜい中学ってとこだろう。おかしな服を着た緑色の髪をした少女が、教室の入り口で腹を抱えて笑っている。余りに脈絡が無さすぎて、俺はしばらく口を開いたまま言葉をなくしていた。
「あはははっはははっ...ごめ、マジごめ!い、いやさ、あ、あんた...ぷぷっ...ぷわーっはっはっははははは!」
「...。」
...少し冷静になってきたら、なんかムカついてきた。なんで俺が見ず知らずのガキに指を差されて大爆笑されなければならないのか。
「......おい。」
ふっと口をついて出た言葉は、不機嫌以外の何物でもなかった。
「ぷっ...くっ...ちょ、ちょいまって!お、お腹が...よ、よじれ...くくっ...は、ひぃ...。」
一体何がそんなにツボに入ったんだか、少女は呼吸困難一歩手前くらいの勢いで尚も笑いを止めようと必死であがいている。
「......。」
一瞬ムカっとした俺ではあったが、余りにも盛大に笑い続けやがるので、ムカつきを通り越して逆に呆れていた。
「ひ、ひぃ...ふ、ふあっ...。」
ようやく落ち着きを取り戻してきたのだろう。少女は深呼吸を始めると、呼吸を整えだした。
「...ふう...はぁ...。」
「...。」
「...こほん。...で、なんだっけ?」
「―――そりゃこっちの台詞だっ!!!!」
「だってーー!さっきから見てたらあんた、なんかぶつぶつ笑いながら呟いてると思ったらいきなり机に頭ぶつけたりまたボソボソ言いだしたり、かと思ったらいきなり落ち込んじゃったり...なんかすんごい面白かったんだもんっ!」
...見てやがったのか。
「んなこと言ったってこんな状況でまともな行動できる奴がいるかっ!」
「だから説明しよーとしたんじゃんかー!そしたらあんたいきな...っぷ、お、思い出したらま、また笑いが...っ。」
「説明すんならさっさと声掛けやがれよっ!!...って、え?お前...。」
そこで気付く。相変わらず俺とそいつ以外のクラスの奴らは止まったままだ。つまり、動いているのは俺とこのガキだけ...?
「だ、から、声掛けようとしたのっ!そしたらあんたが勝手に自分の世界に入っちゃったんじゃん!...あー苦しかったぁ...。」
「ちょっと待て。ってことはお前、今の状況がどういう状況だか理解してんのか?」
「え?あ、うん。だってあたしがあんたを連れてきたんだもん。」
「...は?」
今、あっけらかんととんでもないことを口にしなかったか?
「だーかーらー!あんたをこの『亜空間』に連れてきたのはあたしなんだってば!」
...うん、確かに言い切ったな。
「あー...ちょい待て。今頭ン中を整理する。」
つまりあれだ。この極凡人たる俺の精神状態を錯乱させた元凶はつまりこの少女だと。更に付け加えるとそんな俺を見ながら腹がよじれるくらい大爆笑しやがっていたのもこいつだ。
二つのことを繋ぎ合わせると、俺をからかうためにこんな手の込んだ超常現象を用意したってことになる。...わざわざ?何のために?
自慢じゃないが俺には取り柄がない。そりゃもう可もなく不可もなく。当たり障りもなく、居ても居なくても分からないくらいに平凡な人生を送ってきた俺だ。余りの存在感の薄さに、いつぞやの修学旅行では集合時間に遅れ、バスに乗れなくて置き去りにされたくらいだ。その時はなんとか途中で気付いてもらい、タクシーで追い付くことができたんだけど。
...まぁとにかく、それくらいに超越した凡人な俺を陥れる理由とはなんなのだろうか?
「...で、何が目的だ?あいにく俺にはこんな妙なとこに拉致されるようなことなんて身に覚えがないんだが。」
少女は何故だか一瞬目を丸くして、少し考えた後、にこやかに答えた。
「簡単に言うとね、あんたを殺しにきたの。」
「ほほー...。」
あー、なるほど。そういうことなら理解出来る。まぁこの状況において考えられることってのは対して幅も無いんだが。
「...で、何の為に?」
極々冷静にそう返すと、少女は少しつまらなさそうな顔をした。
「あれ?妙に冷静じゃん。なんで〜?」
「なんでったって、それが今の状況から推測するに、最も『普通』だからだ。それとも何か?お前は俺をからかうためだけに、こんな手の込んだ超常現象を用意したってのか?」
少女はまたもや丸い眼を更に丸くすると、口を開いた。
「―――へ〜、驚いた。最初はどんなバカかと思ったけど、単なる馬鹿じゃないのね、あんた。」
「...そりゃ、どうも。」
あんまり馬鹿だ馬鹿だと言われるのは癪に触ったが、ここで喚いても仕方ない。どうやら、この異質な状況に於いて、この少女が鍵を握っていることに間違いはない。ここは合わせてやるべきだろう。
「―――で?質問の答えがまだだ。お前は俺を殺しに来たと言ったが、それは何故だ?理由も無しに殺されたんじゃ俺も浮かばれんぞ。」
少女は少しだけ考えると、俺のことをジロジロと眺めだした。
「―――な、なんだ?」
「...う〜ん、そうね...見てくれは平凡だけど...うん、まぁいいや。決めた!」
...?なんだ?何を決めたって?
「―――あんた、あたしと契約しなさい。」
―――へ?
契約?なんだよそれ?
俺は少女の言っている意味が、全くもって理解できず、惚ける。
「簡単なことよ。今から言う言葉を、あんたの口から復唱するだけ。ね?簡単でしょ?」
いや、簡単だとか難しいとか―――
「―――そういうことじゃなくて!ちゃんと説明しろよ!意味がわかんねぇっ!!」
少女は、きょとんとして、何やらまた考えだす。―――いや、だからきょとんとしたいのは俺のほうなんだっつーの。
「―――あ、そっか。あんたは何の『記憶』も持ってなかったんだった。...そっかそっか、あははは...あー危ない、またアトゥラに馬鹿にされるとこだったわ...。」
...何やらよく分からんが、説明する気にはなったようだ。
「えーと...じゃあ何から説明しようか?...うん、まずはあたしのこと。...そうね、あたしはあんたたちの言う―――神様ってとこになるのかな?」
―――神様ぁ!?...こいつが?...いや、別に俺が本物の神様を見たことがあるってわけじゃないが...にしたってこいつを神様と呼ぶには、いくらなんでも...。
「けど、あたしたちを神様なんて呼ぶのはあんたたち人間だけ。あたしたちは、『裁定者』って呼んでる。あくまで、人間の言葉を借りて言うとだけどね。」
「『裁定者』...裁きを定める者?...一体、何の?」
「...大昔、それはそれは遥か昔に...永遠の命と、大いなる力を持った生命体がいたの。それが、『旧きものども』。彼らは、永遠に等しい時間の中で、同じくらいに無に等しい自分達『旧きものども』を哀れんだ。どれだけ永い時間を生きられようが、どれだけ果てしない力を持っていようが、所詮、永遠なんて『無』に等しいことに気付いたのね。」
...当然だ。有り余る力を持っていようが、永遠の命を持っていようが、役に立たなければ宝の持ち腐れ。しかも死ねない分だけ性質が悪い。
「でもそれに気付いた時には遅かった。『旧きものども』は、すでに永い時を生き過ぎたの。そこにあったのは、限りない『混沌』でしかなかった。」
つまり力は暴発を重ね、死ねない故に増殖して、後戻り出来ないとこまで行っちまったわけだ。
「そんな中、一柱だけ、なんとか理性を保っている生命体がいた。それが『クゥルトゥル』。この世界を造った、創造主よ。彼は、自らが力に呑まれ、溺れてゆくことを忌み嫌った。だから、自分の理性が消え去る前に、この世界―――地球を創造し、自らの魂とその肉体を分けて、『生命』を産み出したの。」
「...とんでもないスケールの話だな。世界を造った神様がいて、その神様自身が分かれたのが生命―――つまりは俺たちだってのか?」
少女はこくりと頷き、更に続ける。
「『クゥルトゥル』が産み出したのは、まず最初に魂の分身。『始まりの子』ら二十八体。そして、その後に自らの肉体を七つに裂き、魂を導く為の役割を持たせたあたしたち『裁定者』を造り上げたのよ。」
―――スケールのでかすぎる話だが、ここまではなんとか理解出来た。キリスト教や他の宗教なんかでも似たような話があったからだ。
「―――ちょっと待て。そこまでは理解出来たが―――肝心の、俺が殺される理由が全く解らん。あと...なんだ?その、魂を導くってのはどういうことだ?」
すると少女はクスリと笑って、続けた。
「―――言ったでしょ?簡単に言うと、って。この話には続きがあるの。―――無から生命を産み出した『クゥルトゥル』を、他の『旧きものども』は気に入らなかったの。自分達以外の生命体を認められなかったんだと思う。すでに彼らは理性の欠片も無い、傲慢で貪欲な、醜い獣に成り下がっていたから。」
「...俺にはよく解らんが、あれか?悟りを開くって意味が、要らない感情や感覚を捨てるってことだとしたら、それの極論ってことか。つまり、永い年月を生きる為に、要らない感覚や感情を少しずつ削り取って、残ったのが『己の保存』だけになっちまったと。」
少女はまた目を丸く見開いた。
「...あんた、頭いいわね。...そう、その通りよ。...己への執着だけが残ってしまった彼らにとって、この世界はまさに異分子だった。―――だから滅ぼそうとしたのよ。遥か昔、『ルルイェ』という『旧き神』を使ってね。『旧きものども』は、兵器たる『ルルイェ』をこの世界に落として、『クゥルトゥル』の分身である全ての生命―――あたしたちを含めて、全てを飲み込もうとした。...ま、なんとか食い止められたから今のこの世界があるんだけどね。それでも大きな犠牲を払ったわ。ほとんどの『始まりの子』の魂や...『裁定者』の半数が、『ルルイェ』を封じる為に犠牲になった。」
「滅―――っ!?―――け、けどちょっと待て!『旧きものども』ってのはあれだろ?とんでもない力を持ってたんだろ?なのになんでそんなまどろっこしいやり方を?やるなら自分でやりゃいいのに。」
「...出来ない理由があった。それは『旧き盟約』。彼らは、互いに干渉しあうことを恐れた。『己への執着』の為に、盟約が必要だったの。」
...なるほど。そう言われれば解る。同じように大きな力を持った者同士が激突すれば、消滅、融合、反発...どちらにしろ、何が起こるか解らない。互いの保存の為に用意したルールってわけだ。
「そして、現在。『旧きものども』が動きだしたのよ。再び、『大いなる災い』を引き連れてね。」
「―――っ!!...なんだって?ってことは...その、『ルルイェ』の時みたいに...世界が滅ぶかもしれないってことか―――っ!?」
「そうさせない為に、あたしたち『裁定者』は、『始まりの子』を集めてるの。この世界で、彼らの陰謀を防ぐにはあたしたちと『始まりの子』の力を使うしかないから。」
...なんとなく、流れが読めてきた。つまり、こいつが探してるのが『始まりの子』で、俺の前に姿を現したってことは―――。
「―――俺が...その、『始まりの子』だと...?」
「その通りよ。手間が省けるわね。あんた、実は頭の回転恐ろしく早いでしょ?」
まてまてまてっ!!
「ちょーっと待て!?いや、俺はこの通り凡人中の凡人、キングオブ凡人だっ!俺にそんな凄い力があるわけないだろ!?」
「『始まりの子』の魂はね、オリジナルの魂なの。オリジナルの魂はコピーと違って、消滅することはない。それどころか、コピーの魂を使って集めた『記憶』や、オリジナルの魂が宿った肉体の『記憶』を全て保存して、貯蔵する。最も、肉体が死ねば次の肉体に自動的に移って、表向きの記憶はリセットされるから、どの『魂』であっても普通は変わらないんだけどね。『クゥルトゥル』がそう造ったから。...つまり、肉体の力はほとんど関係ない。肝心なのは『魂』の力。即ち、『保存』している『記憶』の力ね。人間が独自で造った『魔術』なんかに関しても同じような理論を使ってるわ。最も、その場合は補助的な役割として『呪文』であったり『紋様』であったり、外的な『記憶』を引用してるけど。」
「つ、つまり...俺が何であれ、俺の魂にはそれだけの『力』が宿ってるということか...?」
「そゆこと。...まぁ...無理強いはしないわ。ほんとは首に縄付けてでも連れて行きたいとこだけど...アトゥラに強く止められてるから。―――でも。もしあんたが断ったら、どうなると思う?」
...『ルルイェ』の時は、『始まりの子』のほとんどと、『裁定者』の半分が犠牲になったって言ってたな?ってことは、今残ってるのは俺と...あとどれくらい残ってるかは知らないが、『ルルイェ』の時ほど戦力が居ないのは間違いない。それと『裁定者』が、この少女を含めて、三人か四人。...つまり状況的には圧倒的不利ってことか。俺が断れば、その状況は更に悪いほうへ傾く。...それは即ち、この世界の滅びを指すってことだ。...くそっ!どちらにしても俺にとっては悪い状況には違いないってことかよ!
「...お前、俺を殺しにきたって言ったな?俺が断れば...どうするつもりだ?」
少女はニコリと微笑む。
「別にどうもしないわ。でもあんたが断れば、この世界は確実に滅ぶわね。...要するに、死ぬのは同じよ。みんなで一緒にね。」
...なるほど。逆に受け入れれば、俺は今までの生活を捨てなきゃならない。それはある意味、今までの俺が死んだのと同意だ。...悪くすれば、本当に死ぬようなこともあるかもしれない。その時点で、世界も滅ぶ。―――つまり俺には―――。
「―――くそっ!選択は始めから一つってことかよっ!!」
俺が下唇を噛むと、少女は満面の笑みで微笑んだ。
「―――やっぱあんた、頭の回転、早いわ〜。―――安心して。あんたは誰にも殺させない。あたしと契約してくれるなら、あたしはあんたを護る。それがあたしの『力』だから―――。」
―――もうどうとでもしてくれ。俺は、半ば投げ遣りに少女に問う。
「―――で?どうすりゃいい!?」
「簡単よ。―――あたしの名は『イァクグァ』。さぁ、あたしの名を呼んで。あんたの名は―――?」
『イァクグァ』の身体が、エメラルドの光を放った瞬間、理解した。契約というのがどういうことか。―――俺は、少女に向かって『命令』する。
「―――俺の名は、『向井明』っ!!我が名に於いて―――『イァクグァ』よ!力となれッッッ!!!」
エメラルドの光は一度広がり、段々と収縮して一本の棒になる。棒はゆっくりと姿を変え―――。
「―――っ!こ、これは―――?」
『我こそが主人の刄。我こそが主人の楯。我は、『イァクグァ』。帝を守護する者なり。』
まばゆい光に包まれて、手に残ったのは、エメラルドに輝く、三つ又の槍だった。
「―――っ!...イァクグァ...お前か...?」
『...ま、仕方ないよね。ほんとは不本意だけど、力を貸したげるわ。感謝しなさい?』
...よく言う。始めっからそのつもりだったくせに。
『―――ほらっ!さっそく来たわよっ!気合い入れてっ!?』
―――へ?
「...来たって、何が?」
『...あれ?言ってなかったっけ?最初にあたしたちがすることは―――。』
と、説明を受けるより先に、奴はやってきた。ドゴンと地鳴りを上げて、校舎の外に見えたのは―――。
「―――なっ―――なんだありゃあっ!!??」
そこに居たのは、見たこともない化け物だった。
『―――『断片の欠片』よっ!!すぐ外に出て!!『亜空間』とは言ってもダメージは残るわ。早くしないと、この教室ごと吹き飛ばされるわよっ!?』
「―――なっ―――っ!?」
―――なんだとぉっ!!??
と、言うよりも早く俺は教室を飛び出していた。
マズい、非常にマズいっっ!!!あんなのがここで暴れ回ったら―――それこそ、笑い事じゃ済まされない。
俺は必死で走って、校舎を後にする。走りながら―――。
「―――っと、とにかく説明しろっ!簡潔にっ!可及的速やかにっっ!!!」
『あ〜...っと、えとね?あたしたちが最初にしなきゃいけないのは、ある『魔本』の断片探し。その魔本ってのがまた厄介な代物で―――。』
―――ズガーーーッンッッ!!!!
ぐあっっっ!?―――くそっ、攻撃してきやがったっっっっ!!!
十メートルはあるんじゃないかと見られる化け物が、これまたとてつもなく長い腕を振り回す。なんとかグラウンドまで出てこれたので校舎に直接的な被害は無かったが、力任せに振り回した腕は、地面にどでかい穴を開けた。
「―――っ!!―――マジかよっ―――!?」
化け物は地面に腕を突き立てて、態勢を建て直そうとしているのか、ゆっくりと腕を引き戻してゆく。―――だが動き自体は愚鈍だ。避けられないほどじゃない!
「―――っちぃっ!―――イァクっ!説明の続きだッッ!!」
『―――っ!あいつはカルキ!『クルトゥース断章』の三番目のページ!存在自体は物凄く不安定だから、核を壊せば簡単に倒せるわ!核は―――っ!』
その瞬間、目の眩むような光が辺りを包み込む―――
「―――っくぅっ!?メガトンパンチの次は破壊光線かよっ!?ハ○イダー(古)かあの野郎っ!」
カルキの口から発せられた非常識な光線をなんとか躱すと、俺は槍を持つ手に力を込めた。
「―――核はどこだっ!?」
『―――額よっ!あの水晶体を壊せば断片に戻るわっ!!』
額―――ってことは、ヤツの懐に飛び込めってことか?―――いくらノロマだからってそうやすやすとは潜らせてくれそうもないが...ん?待てよ。...そうだ、その手があったか!
「...額だな?わかった。」
『どうするつもりっ!?離れればビームが、近寄ればあのとんでもないパンチが襲ってくるわよ!?どうやって―――。』
俺はイァクの言葉が終わるのを待たずに、カルキに向かって一直線に走りだした!
「―――こうすんだよっ!!」
『ちょっ!あんた、なにするつもりよっ!?』
一直線に向かってくる俺に対して、カルキは例の破壊光線を放とうと一瞬硬直する!俺はその瞬間、左に飛んで光線を反らした!
『っ!まさか―――っ!』
「―――ガラ空きなんだよっ!!」
俺は槍―――『イァクグァ』を大きく振りかぶると―――
『―――ちょっ、やめっ―――っ!』
―――投げた。
「―――飛んでけぇぇッッッッ!!!!」
『―――きゃあぁぁ〜〜〜〜〜ッッッッ!!!???』
―――。
......。
俺の投げた『イァクグァ』は、光線を放った直後に動きを止めたカルキの脳天を、文字通り、貫いた。
額の水晶体ごと頭を貫かれたカルキは、断末魔の叫びをあげながら光の粒になって、下から消えてゆく。カルキの真下にいた俺は、上から落ちてきたイァクを受け止める。
「―――っふう。なんとかなるもんだ。」
俺はその場に座り込むと、とりあえず息を大きく吸い込んで、吐いた。足には結構キていたが、動けないほどじゃない。相手が単純馬鹿で助かった。こりゃちょっと身体を鍛え直さないと保たないな。
『―――なんとかなるもんだ、じゃないわよっ!!なんて無茶すんのあんたっ!?』
「...いや、あの状況じゃ、誰でも思いつくと思うぞ?幸い、あいつ動きはトロかったし。」
何やらイァクはご立腹のご様子だ。
『そーゆー問題じゃないっ!!大体、普通投げないわよっ!?もし水晶体を外れたらどうするつもりだったのよ!?』
あー...そこまでは考えてなかった。確かに、もし急所を外れていたら手元に武器は無し、更にはあのメガトンパンチの反撃を食らってオダブツだっただろう。
「―――ま、上手くいったんだし、終わり良ければ総て善しってことで。」
『―――!...信じらんない...あんた、やっぱただの馬鹿よっ!バカバカバカ大バカっ!!』
「―――なにおぅっ!?」
『バーーーッカ!!』
「―――馬鹿馬鹿言いすぎだっ!大体、お前がちゃんと説明してりゃこんなことにならなかったんだろがっ!!」
『―――後先考えない大馬鹿者に言われたくないわっ!大体あんたの何が普通なのよっ!?まともな神経の人間にできることじゃないもんっ!!』
「―――俺のどこが普通じゃないって!?しかも今まともじゃないとか抜かしやがったなっ!?―――一番非常識なお前だけにゃ言われたくねぇっ!!」
――――――
―――
......。
売り言葉に買い言葉。結局、そのまま小一時間ほど、この妙竹林な口喧嘩が続いた。
...と、まぁこんな感じで俺の平和で平凡なこれまでの人生は幕を下ろし、この非常識なガキとの生活が始まったのである。
...ちなみに、無事家に帰れたのが、グラウンドに空いた穴を埋めたり着替えをして教室に戻って授業の続きを受けたりした後だったことは、言うまでもない。
続