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銀の娘と緋の剣士  作者: 星影さき
第一章 新たな世界へ
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事態は突然に

 あぁ、着いてしまった。愛しの我が家に。

 こっちの世界に来てからこんな重い気分で帰ってきたことはあったっけ……いやたぶんないな。


 犯罪者かもしれない人の手助けをしてしまったなんて話したら、ルース夫妻はどう思うのだろう。


 私は家を前にして、ドアノブを握ったまま立ちつくしていった。

 ドアノブを右にひねって、軽く前に押す。ただそれだけの動作が、ひどく難しいことのように感じてしまう。



 扉の向こうにある酒場のフロアからは、真っ昼間から男の人がお酒を飲んでいるのか、騒がしい声が聞こえてくる。



 いつもなら彼らの楽しそうな声に自分もつられて笑ってしまうのだけれど、今日ばかりは自分と正反対のその様子に苦しさを感じずにはいられない。



「そのお気楽さを私にも分けてほしいくらいだよ……」

 そう一人ごちて大きくため息をつき、肩を落としていった。


 

 だけど、ずっとこのままでいるわけにもいかないよね。

 トマトが足りなくて、ルースが困っているかもしれないのだから。


 意を決して扉を開け、遠慮がちに帰宅を告げていく。


 ルースやいつものお客さんに顔を会わせづらくて下を向いていたけれど、酒場のフロアに入り、ふと顔を上げてみて愕然とした。


 驚きのあまり、抱えていたトマトがばらばらと音をたてて木目の床に落下し、放射状に転がっていく。



 何これ、いつものお客さんじゃない……!


 フロアの至るところに剣や槍、弓といった武器が散乱しており、テーブルの上は食べ物とお酒で散らかされていて、彼らがトラトス市民ではないことはすぐにわかった。



 そんな見知らぬ男性客たちは一斉に私の方を見て、まるで火が着いたかのようにやかましく騒ぎ出していった。


「おいおい、かわいい娘じゃねぇか!」

「お嬢ちゃん、俺たちと飲もうぜぇ」

「隣来なよー、ここで俺に酒ついでくれ」

「ぎゃはははは! てめぇそれ下心丸出しだろ」


 立ち尽くす私をよそに、下品な会話が飛び交っていく。

 だんだんエスカレートしていく男たちの会話の内容も、私を見てくるその視線も何もかもが気持ち悪く目眩がしてしまう。



 この人たち、昼間見た兵士さんたちだ。

 何で……いままでこんなこと一度もなかったのに。

 そうだ、ルース!

 ルースは無事なのだろうか。


 兵士たちが市民に乱暴を働くことはないと思いたかったけれど、目の前の様子を見るとそれも否定できないことのような気がしてしまう。



 心配になってフロアを見渡してみるけれど、どこにもルースの姿はない。


 最悪の結末を想像してしまい呆然としていると、騒ぐ声をかき消すかのように、パンパンと手を叩く音が酒場いっぱいに響いていった。


「ほらほら、兵士さん方。この子びっくりしちゃってるじゃあありませんか。お戯れはおやめくださいな。それに、こっちにもかわいい娘はいるでしょう? ほら!」


 あぁ、ルースだ。

 よかった……キッチンの方にいたから見えなかっただけみたい。


 いつもと変わらない彼女の笑顔にほっとして、泣きそうになった。



 自分の可愛らしさを得意気に話すルースを見て、兵士たちは楽しそうに笑い出す。

「そうだったなぁ、俺たちにはこんなべっぴんがいたもんなぁ!」

「ははは、違いねぇや」

「おばちゃん、ビール追加ね」

「あ、俺も」


「こらこら。あたしゃ、おばちゃんじゃないよ。まだまだ立派なお嬢さんさね」


 ルースのお陰で、途端に和やかなムードになり、兵士たちの不気味な視線も徐々に薄れていく。



 もう大丈夫だ、そう思ったのもつかの間……がしゃんと何かが倒れたような大きな音がフロアいっぱいに響き渡っていった。


 キッチン近くの方を見やると、蛇のような鋭い目つきをした男が立っていて、その足元には椅子が転がっていた。

 恐らく、椅子は蛇のようなあの男が倒したのだろう。



「貴様ら、何を騒がしくしているんだ。これは遊びじゃねぇんだぞ。この隊が出世するチャンスなんだ! わかってんのか?」


 蛇目の男は倒れた椅子を勢いよく蹴り飛ばして、兵士たちを見渡し怒鳴っていく。

 そして驚いたことに、乱暴なその男の右胸に光っているのはルグド王国軍のエンブレムだった。


 兵士って、国民のために戦うような人たちじゃないの?

 こんな暴力的な人、一国の兵士とは思えない。これじゃまるで山賊だ。


 


 酔っぱらっていたはずの兵士たちは男の怒鳴り声を聞いて表情を変え、すぐさま立ち上がり敬礼を行いだした。


「もちろんであります隊長! 我らの隊は町の出入り口やその他至るところに厳重に警戒を張っております。ヤツを逃がすことは万に一つもあり得ません」


 兵士の一人がそう返事をすると、蛇目の隊長はにやりと笑んだ。



「よーっくわかってるじゃねぇか! そうさ、ヤツはこの町からは出られねぇ。強烈な運だけでここまで生き延びてきているが、もう奇跡は終わる。ここでジ・エンドだな」


 そう言い終わると同時に首を切る動作をし、高らかに笑う声が酒場中に響き渡っていった。


 凶悪で自己顕示欲の強そうなその男に触発されたのか、兵士たちの目つきも鋭くなっていき、徐々に恐ろしく不気味な笑みを浮かべていく。



 怖い……こんなところいたくないよ、早く逃げなきゃ。


 震えだす体を自分で抱きしめるようにしながらそう思うけれど、ルースはあんな遠くにいて、ルースのもとへ行くにはこの不気味な兵士たちをすり抜けていかなければならない。



 だけど、私の後ろの方にはドアがあって、隙をついて走れば私は安全な外に逃げることができる。


 このまま逃げてしまおうか……


 私は混乱と焦りで上手く動かない頭を必死に働かせていく。




「おっ、なんだァ? なかなかいい女じゃねぇか」


 迂闊うかつだった。後ろのドアに気を向けていたせいで、近寄る隊長の存在に気づけなかったのだ。



「……痛っ!」


「ナミネちゃん!」



 混乱していた私は、顔に感じる痛みでようやく、蛇目の男が私に何をしているのかを理解することが出来た。

 男は私のあごとほおとを乱暴につかみ、持ち上げていたのだ。


「銀髪なんてなかなかお目にかかれやしねぇ。おい! 顔よく見せてみろよ」



 私は必死に男から視線をそらしていく。男の視線は、まるで見定めるかのようなねっとりとしたもので、恐ろしく不快だった。



「ふぅん。なるほどな」

 頭の先から足の先まで、男は私を舐め回すように見てそう呟き、私の顔から手を離していった。


 触れられた部分が痛み、じっとりと気持ちの悪い感覚がする。 

 


「おやめくださいませ、隊長様。この子はまだ何も知らぬ子どもなんです」

 ルースが男のもとに駆け寄り、懇願(こんがん)していく。

 いつも明るく自信に満ち溢れたルースが、青白い顔をして震えている。

 こんな姿、一度だって見たことがなかった。



 ルースの言葉を聞き、男はにやにやとゲスな笑いを浮かべていった。

「ははは、そりゃあいい! 子どもっつったって十五過ぎりゃ立派な女だ。銀の髪で美しい女なんて、他のやつには渡せねぇなァ」


 何この人、本気でそう言ってるの……?

 頭が真っ白になり、自分のことを言われているという実感がまるでわかないまま立ち尽くしていく。



「お止めください、血の繋がりはなくとも大切な娘なんです!」

 ルースが隊長の腕につかまり、必死に頼みこんでいくけれど、無情にも隊長に軽々と突き飛ばされていった。


「ルースっ!」

 悲鳴のような声で私は叫ぶ。


 幸い彼女はすぐに意識を取り戻したけれど、体を強く打ちつけたため動けず、うずくまりながら必死に隊長をにらみ付けている。



「まぁそう睨み付けるな。さぁて」

 男は怪しい笑みを浮かべ、一歩ずつ私に近寄りはじめた。

 男の手から逃れようと、私もじりじりと後ろに下がっていくけれど、それで逃げ切れるはずなどない。

 とうとう背中が壁に当たった。


 退路はない。




「ナミネ、と言ったな」

 自分の名前を呼ばれる、ただそれだけのことがこんなにもおぞましいことだったなんて。

 この男に呼ばれることで自分の名前がだんだんと汚されていくような気さえしていった。



「そう怯えずとも大丈夫だ」


 ぽんと私の肩に手を乗せ、男は今までのことが嘘だったかのように優しく肩を撫でていく。


 不思議に思った私が顔を上げると、男はいやらしく口角を上げ下卑た笑いを見せていった。


「安心していいぜ、いずれ俺なしじゃ生きられねぇようにしてやるからよォ!」


 そう言って、先ほど私が散らばらせた真っ赤なトマトをぐしゃりと踏みつぶしていった。


 原型の無くなった真っ赤なトマト。

 泣いているかのように種が流れていく。

 そんなトマトの姿に私の未来が重なった。


 立つ力を失くし、膝をついて座り込んだ私はもはや人形のようだった。

 未来を失くし、光もついえた。 


 ルースは力なく倒れ、床に突っ伏してわめくように泣き出していく。


 そんな私たちの様子を見て、兵士たちも隊長と同じように笑いだしていって……フロアは異常な笑みで満たされていった。



 こんな人の側にいて、死ぬような思いをするくらいなら、いっそ……


 そんなことを思いかけたその時。



「伝令、伝令! ヤツだ、ヤツが大通りに現れた。犠牲者が出ている、早く応援を」


 突如、酒場の外から兵士らしき人の声が聞こえてくる。

 応援を頼む、ってことは……

 

 私の死んだ目に光が再び宿っていった。


 まだ望みは残っている!




「ちっ」

 応援要請のその言葉で男と兵士たちは一気に興醒(きょうざ)めしていったようだ。


「てめぇら、ようやく隠れていたヤツが現れた。この機会を逃がすんじゃねぇぞ!」

 隊長と兵士は立ち上がり、急ぎ外へと向かう。




「ナミネ、お前は俺のものだ。今晩迎えに来るから楽しみにしておけ。逃げたらどうなるか……わかってるよな?」

 扉を出ていく前に男は振り返って私を睨み付け、恐怖を植え付けたままルースの酒場を去っていった。



 突然の恐怖と突然の救いに、私とルースはその場から動けなくなって、呆然としているしかできなかった。



 そんな恐怖の嵐が過ぎ去り、二人きりになった静かな酒場にどこからか、カタカタと物音が響き渡る。


 この不思議な音は何?

 どこから聞こえてきているの?


 耳をそばだてて聞いてみる。

 今度ははっきりわかった。天井裏のほうから物音がしている。



 不審に思い、天井を見上げようとしたその瞬間ぴたりと音が止み、すぐさま大きなかたまりが勢いよく降ってきて。


 正体不明のかたまりに私とルースの体は恐怖でこわばり、強く目を瞑っていった。



 地面との衝突で大きな音がするかと思っていたけれど、聞こえてきたのは軽い着地音とどこかで聞いたことのある声で。

 柔らかいのにどこか芯のあるその声はとても耳に心地良く、緊張した心に不思議と安心感をもたらしてくれる。



「はぁ、頭の足りないやつらで本当によかった」



 恐る恐る目を開けていき、私の目に映っていったのは……先程町で出会った緋色の軍服をまとった青年がゆったりと立ち、穏やかに微笑んでいる姿だった。

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