飛ばされた先は
「ナミネちゃん! 大丈夫かい!?」
頭の上の方から、やや低めの女性の声がする。
声の主は私の名前を知っているようだけれどこんな声の人、全く記憶にない。
意識が朦朧としている中、横たわっていた私はむくりと起き上がり地面に座っていった。
どうやらここは屋外のようだ。
心地よい風が吹き付け、地面はひんやりと冷たく、ところどころに背の低い雑草が生えている。
起き上がってすぐは視界がぼやけていたけれど、それも徐々にはっきりとしてきて……
ようやくピントが合うと、目の前には心配そうに私を見つめる、恰幅のよい壮年の女性がいた。
「あぁ、目を覚ましてくれて良かったよぉ。あんた急にずっこけてさ、頭を地面にぶつけるんだもの。貧血でも起こしたのかい?」
彼女は私の様子に、ほっとしたのか緩んだ表情になっていった。
はじめて見た人だけれど、なんだか明るくて優しそうな雰囲気の人だ。
彼女は栗色の髪を下の方におだんごにまとめ、北欧の民族衣装のようなふわりとして鮮やかな、刺繍入りのスカートをはいていた。
その姿からは日本を全く感じられず、強い違和感を抱いてしまう。
あぁそっか、私は元々いるはずだった世界に飛ばされたんだっけ。
新しい世界はどういうところなのだろう。
周りを見渡してみるけれど、森の中なのか一面木ばかりで見当もつかない。
「ナミネちゃん、キョロキョロしちゃってどうしたんだい。どこか悪いのかい? あたしのことわかるかい?」
一言も話さず、辺りを見回してばかりの私のことが心配になったのだろう。彼女は不安そうに私の手を握っていった。
どうしよう。でも日本から来たって言ったって、きっと信じてくれないよね。
だって、この人はなぜか私のことを知っているみたいだし……
そう思った私は、話すのは今後機を見てから、ということにして少しだけ嘘をつくことにした。
「……ごめんなさい。自分の名前の他には何も思い出せないんです。あなたのお名前も。それに、ここがどこなのかもわからなくて」
私の言葉に目を見開き、彼女は驚きを隠せないでいる。
痛いところはあるかと心配そうに尋ねられたけれど、私はないと答えた。
彼女は参ったとばかりにふぅと大きく息を吐くと、困ったように笑って話し出す。
「頭を打って記憶が混乱してしまったのかもしれないね。まぁいずれ戻るだろ。カールも似たようなことあったけど、ちゃんと治ったしさ。とりあえず二、三日様子見て戻らなかったら医者行きだね」
こくりと私はうなずいていった。この世界ではじめて会った人が話のわかる人で本当に良かった。
幸先のよいスタートがきれた気がする。
「えぇっと、あんたに自己紹介するのもなんか変な感じだけど、あたしはルース。旦那と一緒にトラトスで酒場を経営してる。あんたはうちの看板娘で良く働くって近所でも評判なんだ。ちなみに今日は料理に使う山霧の実を取りに近くの森にやって来た」
「そしたら、急に私がこけて頭をぶつけて、記憶喪失になってしまったってことですか」
なるほど、リツ君うまい。ちゃんと私がこの世界に溶け込めるようにしてくれたんだ。
「そういうことさ。よかった、記憶以外は問題なさそうだね。ところで、あんたに一個お願いがあるんだけど」
ルースさんは何故か複雑そうな表情をしている。
「なんですか? ルースさん」
なんだろう……無茶なお願いじゃないといいけど。
しばしの沈黙が流れ、ルースさんは再び口を開いていった。
「そのしゃべり方やめてくれないかい? あんたに敬語で話されるなんて、なんだか気持ち悪くてしょうがないよ。普段通り話しておくれ。あたしとあんたの仲じゃないか! それに"さん"付けも禁止!」
彼女は私の顔に向かって、ずいっと人差し指を突きつけて大声で笑っていったのだった。