始まりの時
「あのね、リツ君」
私は、うつむいて落ち込んでいる彼に声をかけていく。
すると彼は顔を上げて目を見開き、私の顔をじっと見つめていった。
先程までとは違う、何かが吹っ切れた私の声と表情に驚きを隠せないでいたのだ。
「リツ君の言う世界に連れて行ってくれる? すごく怖いけど」
苦笑いをしながらそう彼に伝えていくと、心配そうにリツ君は私のことを見つめていて。
「どうしたの? 急に……」
「リツ君の話を聞いて、ちょっとわかった気がしたの。日本で上手く生きていけなかったのはそういう理由だったんだなって」
思い返してみれば、これまで不思議なことはたくさんあった。
小さい頃からずっと、周りには見えない世界の歪みが見えていたし、半年ほど前からは髪の色が少しずつ抜けはじめ、栗色だった髪が銀色に染まってきていたりもしていた。
これは若白髪だ、と自分に言い訳していたけれど、日々強くなる銀色が白髪ではないということを物語っていて……鏡を見るのがすごく怖かったんだ。
私はおかしいんじゃないか。
ひょっとしたら人間じゃなくて化け物なんじゃないか、って。
だけど、髪を必死に隠していても、好かれようと頑張ってみても、誰一人私に近づこうとはしてくれなくて。
それどころか周りには『幻覚が見える妖怪女』という噂ばかりがどんどん広がっていく。
どこにいたって、何をしていたって私はいつも一人ぼっちだった。
やることもなく興味もない本を読みつづけ、惰性のように毎日を送り続けていたんだ。
結局、あの世界で私は異質な存在でしかなくて。
周りの皆はそれを、どこかで感じとっていたんだろうな。
私がいないことが正しい世界。十七年間もいたのに悲しいけれど、あまり未練はないように思えてくる。
それなら。
私のいるべき世界に行こう。
今までよりはマシかもだなんて、妥協でしたような決断だから希望の光なんてほとんど見えないし、恐怖ばかりが押し寄せてこれからどうなるかもわからないけど。
「リツ君、私を見つけてくれてありがとう。本来いるべき世界なら、私も自分らしく生きられるかもしれない。また同じようになるかもしれないけど、新しい世界で自分を試してみたい……か……も」
話しているうちにだんだん自信をなくして、声が徐々に小さくなっていってしまう。
「そっか。前向きに考えてくれてぼくも嬉しい。次の世界では、きっと君らしく生きていける、君のことを心から大切にしてくれる人たちに出会えるってぼくは信じてるよ」
優しく微笑む彼を見ていると心が和み、大丈夫だという気がしてくるから不思議だ。
「というわけで、ここでプレゼントたーいむ!」
リツ君は人差し指をたてて、楽しげな声を出していく。
「へ?」
「君を見つけるの遅くなっちゃったし、これからの世界での生い立ちや職種をぼくの出来る範囲で選ばせてあげるよ。あ、ちなみに君自身を変えるのはダメ。男になりたいとか赤ちゃんになりたいとかさ」
「生い立ちとか職種って、例えば大金持ちのお嬢さんとか、学校の先生とかそういうの?」
「そうそう! 向こうの世界にない職種はそれに近いものになるけどね。お姫様でもお嬢様でも、勇者でも僧侶でも踊り子でも、なんでもいいよ。ぼくに教えて」
リツ君の話す職種が、ゲームの中の話みたいで微笑ましい気持ちになる。神様の手伝いしてるって言ったって、まだまだ子供なんだなぁ。
可愛らしい彼に思わず顔がほころんでいく。
『何でも選べる』という彼の提案に私は少しだけ悩み、彼に希望の職種を告げていった。
「うーん。ただのモブでいいよ」
「き……君、正気!? 変わってるにもほどがあるよ、やめときなよ!」
私の希望を聞いたリツ君は目を丸くし、すぐさま私の手を強く握って説得をしてきたけれど、私の意思は変わらない。
「変かな? だけど私は普通になりたかったんだ。小さな幸せを探しながらひっそりと生きられたらそれでいいの。奇異の目で見られるのはもううんざりだよ」
苦笑いをしながらそう彼に話すとリツ君は残念そうに頷いていった。
「まぁでも君がそう望むなら、そうしよう。あ、今更だけど君の名前教えてよ。ここでお別れになるし、名前知っておきたいんだ」
「ここでお別れなの?」
「そう、残念だけどね。でもぼくはずっとここから君のことを応援しているよ」
そう言って、寂しげに彼は笑い、私はそれにうなずいていった。
「私の名前はナミネっていうの。私もリツ君のこと、絶対に忘れないから」
彼の小さな手を握り、そう誓う。
「ナミネ、未来を変えられてしまって不安になっているだろうに、君はぼくにありがとうって優しい言葉をかけてくれた。そんな優しい君なら、きっとステキな未来が待っているはずだよ」
小さな彼は私の顔を見上げて笑ってくれる。
うん、きっと大丈夫!
なんてったってこんなに可愛い天使が満面の笑顔で祝福してくれているんだから。
私もリツ君につられて笑顔になり大きく頷くと、その瞬間に彼は空高く手を上げていった。
「さぁ、行っておいで。ナミネ、君のあるべきところへ!」
するとその途端、私はキラキラ輝く温かい虹色の光に包まれていって。
穏やかな天使の微笑みを見つめながら、私の意識は眠るようにだんだんと遠退いていったのだった。