疑惑の銀
「ねぇねぇ。あんた、上嶋のこと好きって本当? 噂んなってるよ」
授業が終わり黙々と帰り支度をしていると、田口さんが突然やってきてそう言った。
胸のあたりまで伸びたウェーブがかった髪をかき上げながら、田口さんはにやにやと笑っている。
何かを企んでいるかのようなその笑顔に、一瞬にして私の身体がこわばっていくのを実感する。
「上嶋君……? 好きなんてそんな。話したこともないのに」
呟くようにそう返すと、田口さんは両方の口角を思い切り引き上げて、大声で窓際にいる上嶋君に呼び掛けていった。
「ケンゴ聞いたー? こいつあんたのこと好きじゃないってさ。良かったね」
「あー、すげぇびびったわ。好きとか言われたら超迷惑だったし」
「だよねー」
田口さんの言葉に上嶋君は、ほっとしたように胸をなでおろして笑い、そんな様子をクラスメイトたちも興味なさそうに眺めている。
こんなのは日常茶飯事で慣れたつもりになっていたけれど、まだ胸が刺されたみたいに痛い。
ああ、まただ。
時空が歪む。
黒板のあたりがぐにゃりと歪み、オレンジの光と不気味な笑い声が聞こえてくる。
――私は大丈夫、早く逃ゲテ
今度は女の人の声だ。
何だろう、すごく怖い……
耳を塞いで、強く目をつぶった。
「ちょっと、そのへんでやめときなよ」
その声に驚いて顔を上げると、野田さんが気味の悪い虫を見るような目で私のことを見おろしていた。
「たぐっちゃん。あんまりやると妖怪女に呪われるよ。早く行こ」
下校中のクラスメイトたちが楽しそうに笑い合う声を聞きながら、誰もいない静かな図書室の端の椅子に座っていった。
ここだけが誰にも干渉されずに安全に過ごせる場所なのだ。
ぱらりと本をめくる音だけが、広い図書室に響きわたっていく。
そのまま日が暮れるまで、興味もない本を眺めていった。
――・――・――・――
「おい、レイナはどこだ? 欲しがっていたゲームを買ってきてやったぞ」
がちゃりと家の玄関の扉を開けると、リビングの方から上機嫌なお父さんの声が耳に飛び込んできた。
正直なところ、私は田口さんより、野田さんより、お父さんが苦手だ。
見つからないようにそっと廊下を歩いていくと、今度はお母さんの声が聞こえた。
「レイナなら上で寝てるわよ。テストで八十八点とったんですって。だから今日はごちそう作っちゃった」
レイナは一つ下の私の妹で、可愛くて明るく、クラスでも人気があるようだ。
高校は電車を乗り換えていくほど遠く、私とは違う高校に通っている。
お姉ちゃんを知っている人がいる学校には行きたくないから、だそうだ。
「アレは?」
お父さんの言葉にびくりと身体を震わせていった。
「あの子のことは知らないわ。部屋にでもいるんじゃない」
お父さんはどうして私のことを名前で呼んでくれないのだろう。
お母さん、私たったいま帰ってきたばかりなんだよ。
それに二人とも私のテストが百点だったの知っているはずなのに。
どうして?
誰にも聞こえていないのに、私のその疑問に答えるようにお母さんは声をひそめてこう話していった。
「ねぇ、あなた。あの子一体誰に似たのかしら。髪の生え際見た? 銀色だったのよ。それを毎回自分で染めてるみたい。本当に気味が悪いわ」
「なるべく外に出さないようにしておけ。妙な噂がたったら困る」
もうこれ以上何も聞きたくなかった私は部屋に戻り、ベッドへと寝転んでいった。
やっぱり私は普通じゃないのかな。
誰とも友だちになれなくて、家族からも気味悪がられて。
こんな生活が十七年間も続いたものだから、いつの間にか涙も枯れてしまった。
机の上にあった手鏡を手にとって、髪の生え際を見つめていく。
「また、銀色……」
銀色の髪の人なんて日本どころか、海外にもいるなんて聞いたことはない。
私は本当に人なんだろうか。
ああ。どうして、私ばかりがこんな目に遭うのだろう。
大きく息を吐いて、ぐっと目を強くつぶっていった。