89 sports day 体育祭準備9
『アヴァン戦記』。それは今から千年ほど前に詩人メルティウスが書いた魔法大戦を下敷きにして作られた物語である。
物語の主人公アヴァンは幼い頃に戦争に巻き込まれ両親を失い、流れ着いたのは魔法使いの王国、アルカディアだった。アルカディアでは魔法使いが人間を奴隷として使役し虐げており、奴隷の身となったアヴァンはそれはそれは酷い目に合ったのだ。魔法使いへの憎しみをつのらせる中、彼が出会ったのは同じ奴隷の身となっていた同い年の少年ヴェイルディ。同じ牢屋のような狭く汚い部屋に押し込められていた事もあり二人はすぐに仲良くなった。そして二人は誓い合うのだ。
『俺達が人間を救おう』―――と。
アヴァンが巻き込まれた戦争も魔法使いが関与した戦いであり、世界中に広がりつつある戦のほとんどが魔法使いによって引き起こされている。
魔法使いなど、この世にいてはならない。
魔法はあってはならない力。彼らはそう強く感じていたのだ。二人は監視の目を盗み日々、戦う為の力を身に着ける為に努力した。そんな中、アヴァンは一人の魔法使いに買われ、ヴェイルディとは離れ離れとなってしまう。
最後の別れの時、いつか必ず再び出会い約束を果たそうと二つに割れた一対のリングをそれぞれ手にしたのだった。
けれどその後、アヴァンは買われた先の貴族の魔法使いの元で養子として慈しまれ、魔法使いにも良い人と悪い人がいるのだという事を理解する。オルフェウスという魔法使いの親友も出来、彼はいつしか魔法使いの殲滅ではなく共存の道を見出していくことになる。
成長し、人間の身でありながらわずかなりにも理解のある魔法使い達に囲まれ幸せな日々を送る中、遂に人間の奴隷達は魔法使い達に反旗を翻す。
奴隷解放戦線。それは日を追うごとに激しさを増し、陰惨な事態を引き起こしていく。双方ともに親しみを持つアヴァンはその惨状に胸を痛め、これの鎮圧に向かうことになったオルフェウスについて出陣する。
そんな混迷極める戦場でアヴァンは再会してしまうのだ。奴隷達を率いて魔法使い達を殲滅するべく戦うあのヴェイルディと。
ヴェイルディはアヴァンとの再会を涙ながらに喜んだ。これで積年の望みが叶うと。二人でならば約束が果たせると。しかしアヴァンの心はあの時とはだいぶ変わってしまっていた。
人間と魔法使いの共存。アヴァンの口から告げられた言葉はヴェイルディにとって裏切り以外の何物でもなかった。
ヴェイルディはアヴァンに深く失望し、絶望感を味わったがそれでも彼が魔法使い達に騙されているに違いないとアヴァンを取り戻す為に一時的にオルフェウスの元に下るもアヴァンを取り戻せないと知ると最後は彼に戦いを挑んだ。
結末は――――。
「カットぉぉーーー!! もう、花森さんそこはもっと感情豊かにお願いって言ったでしょう!? アヴァンがヴェイルディとの友情と人間と魔法使いの共存という願いの板挟みに苦しみながら剣を合わせる大事なシーンなのよっ!」
プラスチック製の安物のメガホンを片手に丸めた台本をイスにバンバン叩きつけながら興奮気味の三年女子の先輩が声を荒げた。
私はというとジャージ姿に髪をシュシュでポニーテールに結い上げる運動スタイルで切れない刃がついた剣を手に羽田さんと向き合っている。羽田さんもまたジャージ姿だ。
体育祭を三日後に控えた放課後。今日のこの地下ホールには一年D組、二年B組、三年C組の女子しかいない。総勢二十名程度の人数ではこのホールもかなり広々として見えた。昨日の男子の組体操ではきっと暑苦しかったんだろうなと予想できる。
昨日の放課後は散々な目に合った。木塚君が助けに来てくれなかったらと考えると今でも背筋が凍る。しかしあの後どうして私は一ノ瀬君に横抱きにされて帰ったのか記憶がない。恐怖で色々記憶がぶっ飛んだようだ。おかげで朝は皆に冷やかされてしまった。
男子は今日は放課後練習がないが、一ノ瀬君は昨日の事があったからか朝から私に付きっきりで今もホールの廊下の方で待ってくれている。
そのせいでクラスメイトどころか先輩方にまで冷やかされる始末だ。一ノ瀬君は先輩達にも人気があるようだがこの中には本気で狙っている人はいない(いても予防線張られた後)らしく私に対する風当たりはまるでないのがありがたかった。
私もあんなことがあって学校に来るのが怖かったが寮を出た瞬間から一ノ瀬君がみっちりがっちりガードしてくれたので不安も和らいだ。朝のランニングで千葉君と木塚君に会った時は木塚君が運動している姿に驚いたがなんとなく突っ込んじゃいけない気がして昨日のお礼だけを言った。相変わらず無愛想だったけど。
そして本日女子の合同練習は『演劇』である。
体育祭の中で行われる演目で、それぞれのチームの女子が総出でパフォーマンスをする。チアとか舞踊とか内容は様々だがうちのチームが選んだのは演劇だった。
役者は一年が務め二年と三年はモブと演出魔法を担当する。演目は幅広い世代に人気のある『アヴァン戦記』が選ばれ、パフォーマンスの最長時間が十分と決められているのでワンシーンだけを選び取って演じることになった。
選ばれたシーンはアヴァン戦記の中でも取り分け有名なアヴァンとヴェイルディの最後の決闘。他にも有名シーンの候補はあったが体育祭だし戦いのシーンの方が盛り上がるとこれに決まったのだ。
そして私が主役のアヴァンに抜擢されてしまい、ヴェイルディ役には羽田さんが選ばれた。
「さすがお姉様は悪役が似合うわ」
うっとりと羽田さんの勇姿を見ていた平間さんがそう零し、周囲からは賛同の声が次々上がる。監督役の先輩に怒られてばかりの私とは違う。羽田さんは本当に演技達者だ。何かやってたんじゃないかと思うくらい。
「や、やっぱりアヴァンは羽田さんの方が……」
「なにを言うか、私が似合うのは悪役であってヒーローではないぞ?」
と私の申し出はあっけらかんとした様子で羽田さんに流された。配役自体は少し前に決まっていたのだがそこでも私は抗議した。絶対に主役とか無理だと。だがD組女子メンバーは譲らなかった。
羽田さんはまあ、本人が言うように悪役が良いと最初からヴェイルディ役をかって出ていたので候補は自然と私、須藤さん、榊原さん、平間さん、土倉さんとなった。シーンは決闘なのでもちろんアクションをこなさなければならない。この時点で運動神経のない榊原さんは除外される。次に問題なのは台詞だった。それほど長い台詞ではないと思うのだが絶対覚えられないと須藤さんと平間さん、土倉さんがギブアップ。
…………消去法だ。
空気のように隅っこで大人しく暮らしていた私にとって主役なんてものは重過ぎて今にも吐血しそうです……。
「花森さーーん、台詞は間違ってないけどもっと感情込めてーー!」
またしても監督役の先輩の喝が飛ぶ。動きも台詞も頭に叩き込んだがやはり役をこなす為の演技力が私には決定的に足りていない。十分にも満たない時間と言ってもやはり主役をこなすなんて私には無理過ぎる。
しかし今更代役など立てられない。もうやるしかなかった。
「はーい、皆お疲れさまー! 本当はもっとみっちりやりたいけど消灯時間過ぎそうだから今日はこれでお開きね」
監督役の先輩の終了の声に私はそのまま前のめりでマットの上に倒れた。全身から汗が吹き出し前髪はぐっしょりと濡れてジャージも気持ち悪い。しばらく毎朝走っているけれどこんなに疲労したことはなかった。なんというスパルタ稽古。
しばらく声もなくマットに沈んでいたが慣れ親しんだ気配に顔を上げた。そこには予想通り一ノ瀬君の苦笑した顔がある。
「大丈夫か?」
「…………大丈夫に……見える?」
「ぜんぜん」
一ノ瀬君の手が私の腕を掴み、易々と上半身を起こさせると私をその場に座らせた。座るだけなのに気力が足りなくて傾いだが一ノ瀬君はそのまま私の支えになってくれる。
汗臭いのではないかと気になったが一ノ瀬君がまったく不快そうにしないのとタオルで頭をガシガシ拭いてくれるのであまり気にしないことにした。
「おお、さすが一ノ瀬君甲斐甲斐しいねー。そのまま花森さんをおんぶか抱っこで寮に連れ帰ってあげてよ」
ニヤニヤと平間さんが冷やかしに来たが、一ノ瀬君はたいして恥ずかしげもなく。
「花森が良いって言ったらな」
とか言うので思いっきり背中をつねってやった。
……恥ずかしいのは私だけだというのか!
周りをよく見ればクラスメイトだけでなく先輩達まで生温かな視線を注いでいる。なんという居心地の悪さ。敵愾心を向けられるよりはマシだがこの視線もなかなか堪える。早く何とか自力で立ち上がろうともがいているとふと榊原さんの姿が視界に映った。皆がニヤニヤしている中で彼女だけがなぜか仏頂面だったのだ。
普段から穏やかな微笑みを浮かべている彼女からしたら珍しい表情で、私は気になったが榊原さんと目が合うとすぐにいつもの笑顔になってしまったので思わず微笑み返してしまった。
どういうことだろう。まさかのまさかで榊原さんは一ノ瀬君狙い……とか? 今の今までそんな気配がなかったので戸惑った。私はそういうことは疎いのだと自覚したので気が付かなかったとしても不思議じゃないが、一ノ瀬君は多分気づくだろう。けれど彼が榊原さんに対してなんらかの行動を起こしたようには見えなかった。
少し気になったがそれ以上に周囲の生暖かい視線に耐えられなくなり、動けるようになると一目散に一ノ瀬君を引き摺るようにしてホールから逃げ出した。
どこからかフクロウの鳴き声が響く外灯の明かりだけが頼りの薄暗い寮への帰り道。いつの間にか足元には獣姿の黒霧が一緒に歩いていた。
「黒霧も待っててくれたの? でもどうして獣姿……」
『こっちの姿の方が敏感に力の気配が読めるんだ』
黒霧の表情は獣の姿であるにも関わらず険しくなっているのが分かる。声音もどこか緊張を孕んでいるように鋭く固かった。黒霧にも昨日の事は話してあるから心配しているのだろう。
今朝、私は一ノ瀬君と共に神城先生に呼び出されたのだがそこでどうしてああいうことになったのかを知った。
『呪詛』。その言葉に最初は理解が追いつかずに固まってしまった。誰かから怨まれる覚えはないが知らず知らずのうちに恨まれていたのかもしれない。神城先生は忌々しげに唇を噛みながら『犯人は必ず見つけ出すから安心してなさい』と先生が女子を前にして言うには珍しく怒りを隠さない様子は、いかにその呪詛が悪質かつ陰湿だったかを物語っていた。
「黒霧、周囲に違和感はあったか?」
『今のところないな。だが昨日の事を考えると油断はできない。あれだけの呪詛だったというのに近づくまで闇属性の力に敏感な光属性の木塚深緑が気づかなかったくらいだ。上手く隠されたら見つけ出すのは困難になる』
一ノ瀬君は難しそうな顔で唸った。呪詛の事は生徒達より技量が上であるはずの先生方も気づかなかった。それだけ巧みに隠されていたのだ。またあんなことがあったらと恐怖で震えそうになったが心配をかけてはいけないと手を握りしめて耐えた。
「魔力感知の方は黒霧に全面的に任せる。俺にはどうしたってそっちの方は疎いからな。けど」
そっと私が堅く握った手を解きほぐすように一ノ瀬君は手を繋いできた。力を込め過ぎて手のひらに爪の痕が残ってしまった所を彼の指の腹が優しく撫でる。
「花森には指一本触れさせねぇーから安心しとけ」
『……なんとも過保護な護衛だな』
「うるせぇよ」
若干照れたように言うと手で黒霧をしっしと払った。黒霧は追い立てられて不機嫌になったのか黒い尾を地面にパシパシ叩きつけていたが私を一瞥するとこちらに背を向けた。
『他を見て回ってくる』
「あ、黒霧ありがとう! あんまり遅くならないようにね」
私の言葉に鼻をならしたように聞こえたが、そのまま闇夜に溶けるように消えてしまった。
「黒霧にもまた迷惑かけちゃってるな……」
「迷惑とか思ってないと思うぜ? なにせあいつ自分から見回りを引き受けたくらいだし」
「そうなの?」
少し以外だった。黒霧は雹ノ目君の事を大切に思っているから私が死にかけた時も傷を肩代わりしてくれたし、ここに残ったのも大人社会への恐怖心があったからだ。決して私の為とかじゃない。
「黒霧も口にしないだけで、花森のことも友達だと思ってるんだろうよ」
「……そっか……それなら嬉しいな」
緩んで綻んだ顔が元に戻せなくて気の抜けた笑顔になってしまったが一ノ瀬君は小さく笑っただけで私を導くように歩き出した。
そういえば手、繋ぎっぱなしだ。
「一ノ瀬君……あの、手……」
「寮の前まで来たら離す。……それとも俺と手なんか繋ぎたくねぇの?」
「…………そういう言い方はずるいと思う」
不機嫌に口を尖らせたが、私は一ノ瀬君の手を離そうとはしなかった。彼はいつでも私が手を離せるように緩めに握ってくれている。縋るように強く握れば応えるように彼の手も強く私の手を握り返して来た。
ほのかな温かさと深い安心感。周囲からどんな目で見られようと、どれだけ冷やかされようとも私が一ノ瀬君から感じる感情はそんな穏やかなものだった。
理由なんて知らない。けれど私はどこか奥深い場所で彼に恋愛感情を抱けない事を決定づけられているような、そんな得体のしれない確信があった。
遠い、遠い、遥かな場所で誰かが言う。
『――貴方を愛してる。永遠に叶わなくてもたった一人、貴方だけを』
貴方以外の愛などいらない。




