79 sports day 体育祭準備5(木塚視点)
俺は花森を女子寮の入口まで送った後、一応念のために時任が戻ってきているかどうか彼の部屋を訪ねることにした。
男子寮は女子寮と違って個室ではない。三人~四人で一つの部屋を使う集団生活だ。俺の場合は周囲の騒がしさが煩わしいのでカーテンを引かせてもらって自分のテリトリーを守っている。同室の人間も俺が騒がしいのを好まないのを嫌というほど知っているので部屋の中で会話はほとんどなく、といよりも彼らが自室にいること自体少ないので寝る時以外は一人部屋のようなものだった。
三階にある時任の部屋の前まで行くと中から大勢の人間の騒ぐ声が聞こえた。漏れ聞こえる内容からしてカードゲームでもしているようだ。
彼らに聞こえるよう少し強めにノックする。
数回は聞き逃されてしまったが何度かノックしているうちにようやく気付いてもらえたようで誰かが扉を開いてくれた。
「あ、なんだふかみどり君じゃん! どーしたの?」
開けてくれたのは目的の人物である時任だった。
「途中でいなくなっただろ。一応確認の為だ。榊原と一緒に戻ったのか?」
「うんうん、だってさーふかみどり君ってば花森さんと仲良さげーに話込んじゃってこれ、俺ら邪魔じゃね? ってことで先に上がらせてもらいました」
「そうだな、お前達二人に会話に入り込まれたら邪魔以外のなにものでもない」
「…………照れもせず思った事を口にするふかみどり君はちっとも面白くないと思う」
「お前を楽しませるためにいるのではないからな」
なぜか時任は口を尖らせてぶーぶー文句を言う。なんなんだお前は。呆れて溜息をつきながら目的を達成した俺は自室に戻ろうと踵を返そうとしたのだが、腕を時任に掴まれてしまった。
「なんだ?」
「で、で、花森さんとはどうだったの?」
「どうだった……とは?」
「ちゃんと仲良くなれた!? 距離は縮めてきた!?」
「意味が分からん」
「もう、なんのために二人っきりにしてあげたと思ってんのさー! ふかみどり君の朴念仁!」
「お前がなにを期待しているのか知らんが、花森とは通じそうな会話をして調合をすませて帰ってきただけだぞ」
あからさまにガッカリされて意味が分からず俺は眉間に皺を寄せた。昔から時任も榊原も意味の分からないことをする。理解しようとすると疲労がたまるだけだと過去のできごとから学んでいる俺は深く聞こうとは思わなかった。
「ようがないなら戻るぞ」
「…………深緑はさ、もう少し自分のことに気を向けるべきだと思う」
久しぶりに、本当に久しぶりに時任からきちんとした自分の名を聞いた。多少驚いた俺は戻ろうとしていた足を止める。
「自分勝手にみえて他人のことばっか『診』てる。だからそんなに自分のことには疎くなっちゃうんだよ。俺は花森さんいいと思うけどな」
「なにが」
「お前と話ができるって時点でもうすごいんだけど、共通の話題が多いじゃん? 俺と榊原はある程度医療関係でお前と会話できるけど、花森さんほど本の虫じゃないから図書館系じゃ話せないし。……あんなに長く会話してて深緑が煩わしいって思わないの珍しいじゃん」
確かにそうだ。今日はこちらの都合で花森に面倒を押し付けることになった。沈黙は普通の人間にとっては重く感じるらしいと知っているし、花森が相手だから少しだけの会話で大丈夫だと思った。だから彼女と関わりがあって俺もまた懸念していた話題である雹ノ目の話題を振ったのだ。
まさかあそこまで話をしてみたいと思うとは自分でも思わなかった。彼女と話してみた話題がぽんぽん頭に浮かんできた時はそれが自分の意志ではないような気さえしてしまったのだ。
花森は俺が振る話題に詰まったりしない。それどころかしっかりと返してくるのだ。それが心地よくてならなかった。
「共通の趣味を持っている。気の合う人間、ということなのかもしれないが」
「そう! だからこそ深緑は花森さんともっと仲良くするべきだと俺は思う!」
「……仲良くうんぬんはともかく、花森には今日紹介した本についての感想を聞こうとは考えていたが」
「なに悠長なこと言ってんのさ! 花森さんには仲良しの男が結構いるんだよ? とられちゃったらどうすんのさ」
「別に本について会話するぐらいだ。関係ない」
「甘い! 甘いよ、深緑! 嫉妬は怖いんだからね。花森さんが誰かの彼女になった時点でもう近づけないと思った方がいい。だから――」
時任はそこで一旦言葉を切って、にんまりと微笑んだ。
なんだか嫌な予感がして思わず一歩下がってしまった。
「明日から毎日、花森さんと朝昼晩とご飯を一緒に食べよう、そうしよう!」
なにを馬鹿なことをと言おうと開きかけた口を時任に人差し指一本で塞がれた。
「大変ならそのどれか一回でもいいよ。とにかく一緒の時間を増やそう。まずはそこからだと俺は思う」
時任という男は通常は誰かの少し後ろにいてはやし立てながら賛同するような性格だ。自分からこういう風に強く押しに出ることは珍しい。そして彼がそうする時は絶対に必要なことなのだと訴えている時。
こうなると俺でも逆らうことは難しい。
痛みが強くなってくる額を抑えながら、俺は本日一番の深いため息をついた。
「……朝、花森の近くの席が空いていたらな」
「うんうん、素直が一番だよ、ふかみどり君」
満足そうに頷くと時任は「おやすみー」と言って扉を閉めた。
まったくもって面倒なことになった。そもそも朝食の席を一緒にして花森がどんな顔をするのか。
彼女と昼を一緒にしていた初等科六年の頃を思い出す。会話のない咀嚼音だけが響く教室で感情が抜け落ちた死人か人形のような横顔をしていた花森。
病を克服した今の彼女はどんな顔で飯を食うのだろうか。
「…………いつものように『診』るだけだ」
そうだ回復の経過を診る医者のようなものだ。時任がなんのつもりか知らないが俺にとって花森は話の合う『患者』だ。
…………それ以外の関係を俺は知らないのだから。
* * *
時任は木塚が去ったのを確認してすぐに一階の食堂脇に備え付けてある電話でとある人を呼び出していた。
「――あ、紅葉さんですか? 俺です、時任です。はい、お久しぶりですね。――深緑君ですか? ええ、元気にしてますよ。――――あはは、まあ彼が自分から電話するような性格じゃないですからねー。そんな寂しがらなくても」
弾むような楽しげな声音で電話の相手、木塚の兄である木塚紅葉と話をしていた。
「今度の体育祭、今年こそは来れるんですか? ――良かった! 実はですね、今日電話したのは深緑君の事で――」
微笑む瞳に一筋の企みの光を宿して時任はもったいぶった後、とんでもないことを口走った。
「深緑君に、彼女ができそうですよ!」
波乱の体育祭まで、後五日。




