73 番外 柳生先生の憂鬱
先生ってのは難儀なもんだ。
背を向けて職員室を出て行く花森と一ノ瀬を俺もまた背で送って、扉が閉まる音を聞いた瞬間、物が乱雑に置かれた机の上に突っ伏した。
額に固い物が当たったが気にせずゴンゴン打ち付ける。
「……先生」
ゴンゴン。
「……柳生先生ー」
ゴンゴンゴン。
「…………よっしー」
「…………なに」
「あだ名の方で反応するなんて子供返りしすぎじゃない?」
「童心に返りたい時もあるさ」
俺は赤く染まった額を机から離して声をかけた人物を見上げた。頬は机についたままなので上体は起こしていない。完璧な拗ねモードである。
声をかけた坂上はいつも通り感情の薄い表情で小さく溜息を吐いた。
初等科かからの付き合いである坂上ソハヤとは親友の間柄である。小さい頃から血筋や高すぎる能力のせいで煩わしいことが多かった俺にとって、俺にあまり突っかかって来ない彼の性格は一緒にいて穏やかな気分にさせられて、長く共にいても嫌いにならなかった。かといって表面上の付き合いというわけじゃなく、坂上という男は大地に染み込む水のように自然に俺の中に溶け込んでいく不思議な奴であった。
だからこその親友だ。
「……先生でいることも大事だとは思うけど。君はよっしーなんだから、よっしーとして接する時間もありだと思うよ」
坂上はそれだけ言うとさっさと行ってしまった。
彼の小さなアドバイスに俺はもう一度額を机にぶつけると、すぐさま職員室を出た。
俺がなにかをする前にD組の連中ときたら揃いも揃ってバカでお人よしな所を発揮して面白いことをしでかしていた。
さっすが俺のクラス! いい子だなお前らっ!
先生もう、涙と鼻水を禁じえねぇーよ。
「……柳生先生、大丈夫ですか? 汚いですよ」
「可哀想なものを見るような目でこっち見ないでくれ」
通りすがりの女子生徒に不審な目を向けられたが気にしてはいけない。
花森と一ノ瀬にああいった手前、彼らにはばれないようにしなければいけないが、D組の連中はどうやら二人の為に魔法具を錬成するようだ。ちょこっと手伝うくらいは反則にはならないだろう。ちょこっとだから、ちょっと、ちょこちょこっと手を加えるだけだから!
という言い訳甚だしい呪文を唱えて、俺は深夜遅くまで錬成に励む教え子たちの輪に突撃したのだった。
俺が手伝ったことは絶対に言うなとは言ったがちゃんと守ってくれただろうか。
一ノ瀬は勘がいいから近くまで見送りにはいけなくて、校内からこっそり超遠目で彼らの無事を祈りながら見送るほかなかった。
彼らが出発してから数日は落ち着かない日々を過ごし、うっかり足を滑らせて足首をひねった時は神城先生にこっぴどく叱られてしまった。
あの人本当、男には容赦ないんだから……。
正直、事の顛末を戻ってきた一ノ瀬と九十九から聞いた時は心臓が止まる思いだったが、死者が出なかっただけ良かったと言うべきだろう。後で千葉刑事にはお礼の電話を入れておこう。
二人は近々、神城先生の元で治療を受けるべくこの高等科校舎に搬送される手はずとなった。花森はすぐに目覚めるだろうし、雹ノ目は魔力浸食が酷いが神城先生は魔力浸食治療においてその筋では有名な治療士だ。彼女の元で治療を受けた方が快癒の早道と判断されたらしい。それにここには豊富に魔力がある。彼に味方する氷の精霊も多いだろう。
俺としてはそれ以上に近くに花森の存在があった方が、彼の目覚めは速くなると感じていた。親しきものの声はなによりも覚醒への導き手となる。
しかし気になるのは一ノ瀬と九十九が懸念していた件。あの依頼の手続きを行った役員に話を聞いてみたが別段、九十九氏に変わった様子は見られなかったらしい。まあ、ただの役員に魔力の変動や異質な気配を感じられるわけがないので仕方がないといったら仕方がないことなのだが。
確かに一連の事件は妙な感じがするのは確かだ。
俺が動きたいのは山々だが、独断でうろちょろするのは魔法省のお偉方の許可が下りない。そもそも俺が教師になったのは奴らが俺を監視するのに便利だからと提示した職業の一つを選んだからだ。俺に自由な将来なんて初めからない。
慣れ親しんだ場所がまだマシだと、思っただけだ。
まさかそこに、坂上と一緒に同じ教師として配属になるとは夢にも思わなかったが。あいつが教師になりたかったなんて一度も聞いた事なかったし。
「柳生先生、次クジひいてください」
ぼうっと考え事をしていると目の前にボックスが差し出された。驚いて顔を上げれば一般教養担当の三年C組担任、高梨先生が微笑んでいた。
「えっと、なんですか? なんのクジ?」
「ああ、柳生先生は初めてでしたね。来週、体育祭じゃないですか。うちの体育祭は一年、二年、三年で一チームになって争うんですよ。それで、一年の担任がどのクラスとチームを組むのかクジで決めることになってるんです。こっちの青いボックスが二年のクラス、でこの緑のボックスが三年のクラスの組が書いてある紙が入ってますので引いてください」
「へー、チーム分けですか。でも俺が引いていいんですか? 別に順番とか決めてませんよ?」
「順番はもう決まってるんです。この間実力テストがあったでしょう? あのクラス平均準なんです。D組は二位ですから二番目に引いていいんですよ」
ああ、そういえばそうだった。D組は圧倒的に馬鹿が多いが羽田を筆頭に頭のいいのも何人か揃っている。それを総合すると二位だったってことか。
俺はまず青いボックスに手を入れ紙を一枚引き出した。
なぜか職員室にいた教師全員が俺の手を見詰めている。
……なにこの妙な緊張感。
「で、何組でした?」
「…………B組ですね」
「わあぁぁぁっ!!」
「ぎやあぁぁっ!!」
なんで断末魔!?
B組と書かれた紙を見た瞬間、教師陣が床に崩れ落ちた。異様な光景に俺が引いていると。
「――くっ、D組が引いてしまったか。あれを相手にするくらいなら同チームだったほうがまだ良かったのに!」
一年B組の担任、郷家先生がそう呻いたのでようやく得心がいった。
ああ、そういえば糸堂が二年B組だったな。ウォークラリーでの活躍っぷりは俺も目にしている。確かにあれは相手にしたくない種類の人間だ。
仲間内にいるのも若干嫌だが、敵になるよりはマシ。良かった、俺くじ運良くて。
「唯一対抗できる園宮のクラスはA組の坂上先生が引いちゃったからな……」
「もう、終わったな俺らの体育祭……」
担任が最初に諦めてどうするのか。確かにあいつ怖いけど。
「ほらほら、次は三年のボックスを引いてちょうだい」
葬送の列みたいに暗い面持ちの教師が出て行くのを見てから俺は三年のクジを引いた。三年には面倒なのはいないらしく、二年のボックスを引いた時のような威圧感はなかった。
「……C組です」
「あら、私のクラスね! よろしく柳生先生」
「よろしくお願いします、高梨先生」
こうして来週の体育祭でチームを組むクラスが決まった。
二年B組と三年C組か。後でどういう生徒がいるのか確認しとかなきゃな。忙しくなりそうだと初めての教師としての体育祭に思いを馳せた。
そんな明るい気分になっていたというのに坂上に沈み込まされることになるとは俺はきっとあのくじで運を使い果たしたに違いない。
いや、坂上が言ってきたことはめでたいことこの上ない話だった。
そう、彼は六月に結婚式を挙げるそうだ。
…………俺の長年の思い人、初恋のあの子と。
ハハハ、ジューンブライドとかやるじゃねぇーか。意外とそいういうところこだわるんだなお前! めっちゃ幸せになれよ! ブーケトスは俺が全力でとってやんよ!!
「……………で、またお前はなんで階段で頭から転げ落ちたんだ」
「もう……いっそ……殺してクダサイ」
「傷心過ぎて怒る気にもならないな……」
またもや足を踏み外して豪華に階段を転げ落ちた俺を神城先生は珍しくも憐れんだ目で少しだけ優しく治療してくれた。
その優しさが今は痛いです。
いつまでもズルズル引き摺るわけにもいかない。これを機に彼女の事は思い出にしなければ。きっと晴れやかで幸せそうな二人を見れば心のアルバムに押し込めることができるだろう。
それまでこの傷心を押し込めて、今は教師として体育祭を盛り上げないとな!
ぐすん。
「…………柳生先生、大丈夫ですか? 汚いです」
「――――また君かっ! だからそんな目で見ないで!」
「私の可愛い姪っ子に怒鳴るんじゃない!!」
この子、神城先生の姪っ子だったの!? 驚きと共に俺は神城先生の拳を受けて本日二回目の豪快な転がり方をした。
俺の人生、幸か不幸か…………。




