66 VS 雹ノ目朔良1
覚醒して初めに感じたのは肌を焼くような灼熱の熱さだった。
私が気を失う前は雹ノ目君の凍てつく魔力で周囲は氷結の世界だったはずなのに、一変した魔力の気配に私は跳び起きようとしたが体がそれを許してくれなかった。
自分の意志で体を動かせない。魂は確かにこの体に戻ってきているのに私の動けという命令を体が受け付けてくれないのだ。
傷がそれほど深いのだろうか。痛みはまったく感じないのだが。
『…………大丈夫か?』
その声、もしかして黒霧?
頭の中で聞き覚えのある声がして問いかけようと思ったが口も開かなかった。だが、黒霧には私の言いたいことが伝わったらしい。
『そうだ。強引なやり方を使ったがお前の命を繋ぎとめるにはこれしかなかった』
? えっと……詳細を聞きたいんだけど。
『一言で言えば……憑依させてもらった』
憑依!?
『僕は位の高い大妖怪だから様々なものに憑りつけるんだ。もちろん人にも。人間と一体化なんて死んでも御免だから今まで一度も使ったことなかったけど』
もしかして私の体が私の意志で動かせないのって……。
『うん、今この体の支配権は僕にある。動かせるのは僕だ』
な、なんでそんなこと。
『こうしないとお前が死ぬから。人間は弱い……だからお前が負った傷は僕が引き受けるよ』
引き受ける、だって?
私は黒霧の言葉に震えた。私が負った傷は決して軽くない。一度死にかけてあの世の入口まで行ったのだ。その傷を代わりに受けるなんて大丈夫なんだろうか。
『……大丈夫、と言いたいところだけど正直雹ノ目朔良の力は予想以上だった。傷の深さよりも魔力の浸食の方が問題だ。癒すのに少々時間がかかる』
徐々に聞こえてくる声が弱弱しくなってくる。ユリウスさんは黒霧が私を助ける為にかなり無茶をしたようだと言っていた。
黒霧、私の代わりに死んだりしないよね……?
『馬鹿を言わないで欲しい。僕は君なんかの為にこんなことしたわけじゃない』
ああ、そうだね。黒霧は雹ノ目君を助けたかったんだもの。
『…………ふん。お前は少しそこで見てなよ。この火の中じゃ、弱い人間には地獄に等しいだろ』
黒霧が瞳を開けた。
真っ先に目に飛び込んできたのは鮮烈なる赤。
轟々と燃え盛る炎の中で私は一ノ瀬君に抱きかかえられるようにして彼の腕の中にいた。本来なら一ノ瀬君の傍は何よりも安心できる場所のはずだったのに、今はとても恐ろしいものの傍にいる気がした。一ノ瀬君が操っているとは思えない激しく猛り狂う炎の渦に容赦なく身を焼かれる錯覚が起こる。
『面倒なことになった。一ノ瀬勝はお前が死んだと思って怒りで我を忘れたようだ』
――――一ノ瀬君!
ユリウスさんが言っていた『どうにもできない事態』とはこのことだったようだ。彼の魔力量ではあるはずのない量の魔力が全身から吹き出し、一ノ瀬君自身が炎の固まりのような装いになっている。
一体この魔力はどこから……。
『……魂の内側。あいつの残骸だ』
……ユリウスさんの。
『あいつの魔力は強すぎた。代償を払ってもわずかな残骸が残っている。……残骸であの威力だ、生来の力を想像するだけでも恐ろしくなる』
黒霧、それでも私、一ノ瀬君を止めないと。死んでないって、黒霧が助けてくれたって伝えなきゃ。
『分かってるよ。…………はぁ、なんでこんなことになってるんだろ。痛いのも怖いのも嫌なのに』
ヘタレてないの! 里を出たら助けてくれたお礼になにか美味しいものおごるから!
『美味しいもの? ……お稲荷さんとかある?』
好きなんだお稲荷さん、さすが狐。うんうん、美味しいとこ探すから一緒に行きましょう。一ノ瀬君と、もちろん雹ノ目君も一緒にね。
『……君と、一ノ瀬勝と――雹ノ目朔良か。うん……悪くはないな』
努めて冷静に言葉にしていたが言葉の端からにじみ出る浮かれた様子を私は逃さなかった。誰かと一緒に食事をするということもなかったのだろう。遠足前の子供みたいになっている黒霧を微笑ましく思いつつも、私は気を引き締めた。
みんなでご飯を食べるには目の前の大きな問題を片づける必要がある。
『僕と君は今一心同体。君を痛みから逃がす為に体の支配権は僕が持っているけど君がこう動かしたいと思えば僕がその通りに動くようにする。君の思うようにすればいい』
ありがとう、黒霧。
『……早く痛みから救ってやってくれ』
この言葉はきっと雹ノ目君への言葉だ。私は心の中で力強く頷いてみせた。
「―――君、一ノ瀬君!」
一声は喉が掠れて上手く発音できなかったが二回目は上手くいった。だが一ノ瀬君はこちらをちらりとも見ない。激情に呑まれた瞳は真っ直ぐに仇の姿を見詰めている。
叩いたり揺すったりそれなりに暴れたのだが私を抱き上げた腕は固くびくともしない。
黒霧! ちょっと力を貸して!
『……はいはい』
私の腕と黒霧の腕が重なって見えた。そのまま力一杯、一ノ瀬君の逞しい胸板を押す。黒霧の妖としての力を使っているにも関わらずなかなか押し切れなかったが、なんとか彼の腕を開かせることに成功し、そのまま緩んだ腕から逃れると転がるように脱出した。
私が逃れたにも関わらずまだ私の生存に気づかない一ノ瀬君に私は途方に暮れた。どうしたら気づいてくれるだろうか。
大声で叫んでみる?
いや、あれだけ暴れたのに気付かなかったのだこれでは無理だろう。ならば一発、頬に平手でも食らわせようか。意識を回復させるには荒っぽいがいい方法だ。しかしそれを実行する為にはあの灼熱の炎をなんとかしなければいけない。
あの熱では私も燃やされかねないのだ。
黒霧、鈴白が一ノ瀬君に渡していた鈴はどうなった?
『割れたよ。一ノ瀬勝の発した力に耐えられなかったみたいだ。古いものだし』
……そう。
ポケットに手を差し入れて、ちゃんと持ってこれたことを確認した。あの世の位置口でユリウスさんから貰った鈴。
彼がくれたこの鈴ならあの炎をなんとかできるかもしれない。
『…………その鈴、どこで?』
あの世でちょっと。
『なにそれ、つくづく君って妙な人だね』
妙な人とは失礼な。妙なことにはなんだかよく巻き込まれる気がするが。天性とかだったら嫌だなぁ。
私は鈴を握りしめ、一ノ瀬君へと躊躇なく突進した。私の体は黒霧が守ってくれているらしくそれほど熱さ感じない。
「ユリウスさんの鈴、お願いこの暴れまくる魔力を封じて!」
この鈴を使う為の詠唱を私は知らない。けれどきっとこの鈴には正しい詠唱はないと思った。ただ強く願う。必要なのは思い一つ。
――――リィン。
涼やかな優しい音色が響く。いつもこの音に救われていた。ここに来てからずっと多分私はユリウスさんに守られていたのだろう。
ユリウスさんもまた鈴白と黒霧を救いたいと思っていた。だからこそユリウスさんは同じような思いを持ってここに来た私に力を貸してくれたのだ。
鈴の音が炎を包み込む。暴れまわるだけだった炎は音色に導かれるように線を描き、ゆっくりと鈴の中へと消えていく。
一ノ瀬君が纏っていた火も弱まり、私はなんとか彼の前へ立つことができた。
そして思いっきり平手をお見舞いしてやった。
右手にしなりを作って、風の武装魔法を施し、黒霧の力を合わせて一発。
パーンと高い良い音が鳴った。普通の人間が受けたら首が飛びそうなほど強力だったがユリウスさんの魔力の残骸に呑まれ暴走状態になっている一ノ瀬君にはそれで丁度良かったらしい。
赤く染まった頬に茫然と手を当てて、ようやくこちらを見てくれた。
「…………はな……もり?」
「そうよ、花森李」
「生きて……る?」
「生きてるわよ。黒霧のおかげだけど」
自分の頬に当てていた左手を今度は私の頬に当てた。温もりを確かめるように一ノ瀬君の指が私の頬を撫でる。
「…………生きてる」
私が体温のある生者とようやく確かめられた一ノ瀬君は気の抜けたように、白い煙を上げながら彼の炎は完全に鎮火した。
崩れるように膝をついた一ノ瀬君の傍に寄って、私もしゃがみ込む。
「…………馬鹿ヤロウが」
「……ごめん」
「俺を庇うとか何やってんだ、やること違うだろうが。なんでお前が怪我するんだよ」
「ごめんってば」
「いーやその顔あんま反省してねぇ! だいたいお前は…………いや、違う。あれは俺のせいだった、ごめんな」
言いたいことを言いながら落ち着いてきたのか、自分の非を詫びてきた。でも私は一ノ瀬君に詫びられる覚えはない。
「なんで謝るの」
「余計なこと言って、状況を悪くした」
「……あれ、余計なことなの? 私は嬉しかったけどな」
正直な気持ちだった。状況的には良くなかっただろうが、言ってくれて私は本当に嬉しかったのだ。怒ってくれるのは、彼が私をしっかりと見ていてくれているからだ。心にちゃんと私を置いてくれている。
その事がとても嬉しい。
「さ、一ノ瀬君。この状況なんとかしようか」
「そうだな、やっちまったことは自分できっちり片づけねぇーと」
私と一ノ瀬君は支え合いながら立ち上り、煙の向こうで佇む雹ノ目君を見た。彼はあれほどの炎の中にあったというのに傷一つ付いていない。
彼の傍だけは変わらず凍り付いていて誰一人として進入を許さないような強固な拒絶が感じられた。
そしてもう一つ、雹ノ目君の力に違和感を感じた。氷の中に混ざった黒い気配。ゆらゆらと蜃気楼のように揺らめいては踊るように消えていく。
その力には覚えがある。あるが、雹ノ目君には持ちえないはずの力―――。
彼は確かに闇の魔力を纏い始めていた。




