5 Escape 雹ノ目 朔良4
ダーク展開です。
少量の流血描写がありますので、ご注意下さい。
三月一日。雹ノ目君は来なかった。
毎日のように一緒にお弁当を食べていたから、一人っきりのお昼ご飯は久しぶりだった。
どうしたんだろうと思いつつも、私は彼の連絡先を知らないし、わざわざC組へ行くのも気が引けた。
寒さに強いとはいえ風邪をひいたのかもしれないし、とその時はそんなに気にもせずお弁当を平らげたのだった。
その日の午後、Cランク者の魔法訓練授業があった。
可もなく不可もないランクである私達Cランク者は和気あいあいとした感じが強く、他のランク授業よりは気を使う必要の少なくて楽だ。
マジックガードが施された特殊な運動着に着替えて、魔法特訓室に私が足を踏み入れると生徒の人だかりができていることに気が付いた。
なにかあったのだろうか?
小さな背丈で頑張って飛び跳ねてみた、がよく見えなかった。
しかし、なんだろうこの背筋を這い登るような異様な冷気は……。
「ねえ、これどうしたの?」
「Sランク者の子が魔力暴走させたんだって」
聞き耳を立てれば口々に生徒達が噂を漏らしていた。
『魔力暴走』、私のような平々凡々な魔力しか持たない魔法使いにはあまり馴染みがないが、魔力が強い者だと時折、魔法を暴発させて酷いことになる。魔力暴走の原因は、色々あるが代表的なのは、魔力過多や操作ミスによる詠唱の失敗、造形の失敗、そして精神不安定によるものである。
教師によって別の魔法特訓室へ変更になったことを知らされた生徒達が徐々に移動し、ようやく私の目にその全容が映った。
特訓室が氷漬けになっていた。
先ほどから感じていた冷気は、この氷の魔法だったようだ。
…………でも、この魔力……覚えがあるんだけど……。
『Sランク者の子が魔力暴走させたんだって』
Sランク、氷の魔法。
この二つで一瞬にして一人の人物が私の脳裏に現れた。
もしかして、雹ノ目君が?
氷に触れれば、痛いほどの冷たさが指先に走った。それと同時に言い知れない不安が私の胸中を支配する。
「なんでもないよね? ただの失敗……だよね」
自分に言い聞かせるように呟いて、私は早足でその場を立ち去るのだった。
三月二日。雹ノ目君は今日も来なかった。
耳が痛いほどの沈黙の中、私はお弁当を平らげた。
彼のいない沈黙は苦しかった。
三月三日。雹ノ目君は今日も来なかった。
お弁当は…………喉を通らなかった。
三月四日。雹ノ目君は……やっぱり来なかった。
さすがに気になって、躊躇していたC組を覗きに行った。三クラスしかないがA組とC組は離れたところに教室がある。それぞれのクラスに専用の教室があるからだ。
普通の学校から編入してきた身にしてみれば、すごく贅沢で無駄だ。
他のクラスに知り合いなどいるはずもないので、通るふりをしながらチラリと教室を覗く。
彼の容姿ならすぐに目に入るはずたが、どうやらいないようだった。
ガックリと肩を落として、ついでにトイレで用を済ませようと個室に入ると、後から来た二人のお喋りな女子が偶然にも私の欲しい情報を口にしてくれた。
「雹ノ目君、今日もお休みだったね」
「うん……確か、お母さんの具合が悪いって話だったけど」
「あれ? お父さんの具合が悪いんじゃなかった?」
「家族だし病気でもうつったのかな。あーあ、それにしてもあの綺麗な顔を三日も拝めないなんてぇ」
「目の保養だったんだけどねー」
さして心配もしていなさそうな女子達はきゃあきゃあと、雹ノ目君の美形度とエリート具合をはしゃぎながら喋っている。
…………そんなにいいなら、友達になってあげればよかったのに。
彼女達に不快感がこみ上げてきて、私は口を尖らせた。
彼女達は好きじゃないが、聞きたかった情報が手に入ったので少しだけ、うんほんのちょっとね、感謝する。
両親が共に病気で倒れたなら、雹ノ目君は学校を休んで実家に戻ったのかもしれない。一緒に演奏旅行をするくらいだから家族仲は悪くないのだろう。
先生に雹ノ目君の住所を聞いて、なにかお見舞いの品でも送った方がいいかな。
…………お、おこがましいかな……どうしよう。
友達が彼しかいない私は、こういう時どうしたらいいのか見当がつかない。
なんて、やるせないのだろう。
結局、私はなにもできないまま、日だけが過ぎていった。
三月六日。その日は、不気味なくらい雲一つない快晴だった。
一人のお弁当も慣れた。元々一人だったのだ、前の状態に戻っただけ。
黙々とお弁当を咀嚼していると、普段は静かなはずのこの一角にまで甲高い悲鳴と何かが破壊される破裂音が響いて、地鳴りがした。
何事かと慌てて廊下に出ると下の階から焦った声が聞こえた。
「魔力暴走だ! 校舎内から生徒を出すな!」
叫んでいるのは教師のようだ。
四階に駆け下りれば、窺うように窓の外を見る多くの生徒達がいた。皆一様に下を見ている。この第二特別校舎の下には休憩スペースの一つ、憩いの広場があったはず。
私も気になって窓に駆け寄り、下を見た。
――――異様な光景が広がっていた。
辺り一面が氷で覆い尽くされ、氷の柱がいくつもそびえ立っている。氷柱の中に何人かの生徒の姿もあった。広場で休憩中だった生徒達が巻き込まれてしまったようだ。
この学校には防御結界が張り巡らされており、もしも予期せぬ事故で魔法が生徒の身を襲った時、自動的に生徒を守るよう結界が発動する。氷柱に閉じ込められた生徒達もすぐに救出できれば無事だろう。
しかし、それを阻む者がいた。
ここからでも感じられる、痛烈で息苦しくなるほどの魔力圧を発する魔力暴走を起こした魔法使い。
遠目だった。だけど……すぐ分かった。
「……雹ノ目……君?」
快晴の空に浮かぶ太陽に照らされた銀の髪が魔力によって生み出された魔力流によってなびき、キラキラとした光が飛び散る。
あんなに綺麗な髪を持つ魔法使いを私は他に知らない。
私はもんどりうちながらも階段を駆け下りた。
心配してた。会いたかった。
でも、なぜかすごく怖かった。行ってはいけない気がした。けれど立ち止まっていることもできなくて、私はついに止める教師の言葉も聞かず広場に飛び出した。
襲ったのは、震え上がるほどの冷気。
心臓を押しつぶされそうなほど重い魔力圧。
あっという間に、私の膝は氷の地面についた。防御結界が発動しているのか、多少痛みは感じるが傷にはなっていない。普通ならおそらく、私の皮膚は裂け、血肉が凍り、ボロボロと崩れさっただろう。
冷気と魔力圧に押しつぶされそうなのを必死に堪えて、両腕で自分の体を抱きしめながら、私は顔を上げた。
すぐ近くに――――彼はいた。
私と目があった雹ノ目君は、とても嬉しそうに口角を上げ…………笑った。
ゾクリ……と、悪寒が背筋を這い登る。
笑っているのに、笑っていない。
彼のいつもの優しい笑顔ではない。透き通った宝石のような青い瞳は、今は魔力暴走のせいか、昏く濁っている。
美しい笑みはそのままに、まるで作られた美術品のような、そんな笑顔に私は震えた。
怖い、怖い、怖い。
一歩、雹ノ目君が私に近づけば、私は尻もちをついて後退る。
その様子に雹ノ目君が首を傾げた。
「李ちゃん、どうしたの? ……ああ、ごめんね。ずっと休んでて、両親がちょっと大変だったんだ。お昼、寂しかったでしょう? 僕も寂しかったよ。でも大丈夫、今日からまた一緒だよ」
優しい声音はいつもの雹ノ目君だった。だから少し、安心してしまった。異様であることに変わりはなかったのに。
私は震えながらも声を振り絞った。
「ご両親…………は?」
私に近づこうと歩いていた雹ノ目君が立ち止まった。顔から……笑顔が消えた。でもそれは一瞬で、瞬きの後に見た彼の顔は、恐ろしいほど美しい笑顔だった。
「父さんね、死んだんだ、今日の朝」
息が詰まった。言葉が……出ない。
「二月に入ってすぐ、父さんが事故で意識不明の重体になった。母さんはひと月、つきっきりの看病をしたけど、そのうち心労が重なって……僕の事を忘れちゃって、ビックリしたよ。僕が話しかけても誰? って聞くんだよ。母さんはまだ十六歳の学生で、結婚もしてないし、僕みたいな子供もいないってさ」
クツクツと喉を鳴らして、まるで笑い話のように語る雹ノ目君に私は愕然とした。
あの子は本当に……雹ノ目君?
「父さんが起きたら、きっと母さんも戻って来るってそう思ってたのに。……ダメだったよ。父さんも遠くへ行っちゃった。……泣いたけど、でも平気だよ。だって僕には李ちゃんがいるから、友達がいるから。僕は一人ぼっちじゃない」
すごく嬉しそうに雹ノ目君が私を見る。
でも、私は気がついていた。彼の心は狂気に満ちている。
雹ノ目君が歩くたびに魔力の渦が逆巻き、氷が砕けて、また形成されていく。
近づく雹ノ目君に、私はただ恐怖に震えながら待つしかできなかった。
私の目の前まで来た雹ノ目君は、しゃがみ私と目線を同じにした。間近で見た彼の顔は本当に美しかった。こんなに近くで見たのは初めて会った時以来だ。
けれど彼の今の美しさは、私を殺しに来た残酷な天使に見えた。
「ねえ、李ちゃんは僕と一緒にいてくれるよね? ずっと一緒だよね、友達だから……」
彼の目を見れば、その瞳は不安げに揺れていた。そこだけはわずかに人間味を感じられた。縋るように伸ばされた手に、私はそっと手を伸ばしかけた……が。
バチンッ!!
鋭い痛みが体中を走った。
痛くて痛くて、一番痛みを感じられた頬に指を当てれば、真っ赤な鮮血が指先についた。
……頬が裂けていた。
至近距離まで近づいた雹ノ目君の魔力に、ついに防御結界が悲鳴を上げ始めたのだ。これ以上、近づいたら、触れてしまったら私は―――――。
「李ちゃん……」
「……い、イヤ――――いやあぁぁぁっ!!」
死の恐怖に私は思いっきり雹ノ目君を拒絶する悲鳴を上げた。
ビクリと雹ノ目君の手が止まる。
と、同時に――シン、と周囲の空気も時が止まったように静かになった。
魔力暴走が治まっている。……どころか彼からまるで力を感じない。
恐る恐る彼を見れば…………
雹ノ目君は、嗤いながら―――――泣いていた。
痛みが胸に走った。
私は、私は…………選択を誤った。
「ひょうの……め……く――」
ゴウッ!!
震える右手で彼に手を伸ばしかけた瞬間、雹ノ目君は豪風に体を絡め捕られていた。
これは、風の魔法だ。
「捕縛した! あのガキ早く確保してくれ!」
誰かが叫ぶ。魔法を使った人間だろう。
気が遠くなる。
壊れてしまった友情と、自分の情けなさに、意識を保っていられなかった。
――――――願わくは、目が覚めたらすべが夢でありますように。