4 Escape 雹ノ目 朔良3
「それでね、えっと……悩み事があるなら聞くよ?」
雹ノ目君とお昼休みだけの秘密の友達となって数日、私と雹ノ目君は今日もお昼休みを第五音楽室で過ごしていた。
私の言った我儘を実行して、こうしてヴァイオリンを聞かせてくれている。
演奏が終わり、余韻を楽しんでいたのだが彼の一言で私はパッチリと目を開いた。
「悩み事?」
何のことだろう。
一応、雹ノ目君と友達になったことで面倒は起こっていないし、そもそもまだ誰にもバレてはいない。
問題はないが。と訳が分からず首を傾げると、雹ノ目君は言いにくそうにしながらも、はっきりと言った。
「最初にここで会った時…………泣いてたから」
そういえば、と思い出す。彼のヴァイオリンを初めて聞いた時、私は泣いてしまったのだ。今でも原因は分からない。現にさっきまで聞いていたが、 聞き心地のいい音色で寝てしまいそうなくらいだった。
あの涙は一体なんだったのか。自分自身ですらも謎だ。
「別に大したことじゃないよ」
とは言ってみたものの、雹ノ目君の目が全く納得していなかったので、付け加えた。
「雹ノ目君のね……ヴァイオリンの音色が素敵で、たぶんそれで涙が出たのかな。今まで音楽で泣いたことなかったんだけど……今でも不思議なんだ」
「僕の……音色で?」
なぜか、雹ノ目君の表情が曇った。自分のせいだとでも思ってしまったのだろうか。私は慌ててそれを否定する。
「雹ノ目君のせいじゃないよ! それに悲しくて泣いたわけじゃないし、なんかこう胸にじーんとねっ」
「………………いや、僕のせいだよ。李ちゃん、僕の扱う魔法の一つに魅惑の音色っていうのがあるんだ。今は意識してコントロールできるし、アンチブレスレットもつけているから普段は問題ないけど、あの日……久しぶりに戻った学校ですごく……孤独で、無性にヴァイオリンを弾きたくなったんだ。あの音に僕は抑制をかけなかった。魅惑の音色は聞いた人間の一番聞きたい音を作り出す。そして操るんだ。あの時はブレスレットもあるし、無意識だったから、李ちゃんを操るんじゃなくて、僕の感情が李ちゃんに映ったんじゃないかな……」
申し訳なさそうにする雹ノ目君に、私は妙に納得していた。私好みの心地いい音、その音に呑まれて、私は涙を流した。胸の奥から沸き起こった感情は、きっと雹ノ目君と同じように私も孤独を感じていたからだ。
孤独を望んで、孤独に慣れても、孤独を悲しいと思う。相反する気持ち。私にはそれがある。
「……そっか、うんじゃあ雹ノ目君のせいかな」
「ご、ごめん」
「でも、今日の演奏でチャラだから」
「え?」
しゅんと縮こまった雹ノ目君からちょっと視線を外した。言うのがちょっと恥ずかしいが、言わなければいけない。
「能力使ってなくても、雹ノ目君の音色は私好みだったし、心地いい気分にしてくれたから! だからチャラ、ねっ」
感情が高ぶりながら喋ると上ずる癖をどうにかしたい。耳まで真っ赤になっているだろう私を見て、雹ノ目君は声を上げて笑った。
そんなに可笑しいか、私の照れた姿は!
キッと、雹ノ目君を睨んだが、彼がとても楽しそうに笑うので、睨めなくなってしまった。
「……あ」
しかし、次の瞬間なぜか今度は雹ノ目君が耳まで真っ赤になってしまったので、何事かと思ったら。
「す、李ちゃん……笑った」
「…………え?」
私はバッと両手で自分の顔を触った。…………緩んでいた、明らかに。
「良かった……李ちゃんずっと無表情から変わらないから、笑わないのかなって思ってた。……す、すごくカワ……カワ」
川がどうした。
と突っ込む余裕もなく、私は自分の顔をこねくり回していた。
雹ノ目君の言うとおり、私が笑ったというのならそれは……。
それは実に一年ぶりの笑顔だったことになる。
……そっか、私、笑えるんだ。
雹ノ目君につられたとはいえ、もう浮かべることができないかもしれないと思っていた。浮かべる必要性もなかった。
ちらりと雹ノ目君を見れば、赤くなった顔のまま、微笑み返してくる。
その日以来、お昼休みの雹ノ目君の前でだけは、時々ほんの少しだけ笑えるようになった。
* * * * * *
雹ノ目君とお昼休みだけの秘密の友達となって四か月、冬休みも無難に一人で過ごし、正月の一日と二日は実家に戻った。ニ月に入って冷え込みは増し、雪もしつこいくらい降った。今日も辺り一面雪化粧。
「だ、だだだだ暖房っ」
「設定温度、三十度のフル回転にしてるんだけど……」
なかなか暖まらない。普段から使われていない第五音楽室は、手動で暖房をつけなければならず、お昼休みの前の時間が空き時間ならば予めスイッチを入れておけるが極寒並みに冷え込んだ今日に限って不運にも二人とも前の時間は空いていなかった。
お弁当が凍るっ!!
ぎゅっとお弁当を抱きしめて震えていると、雹ノ目君が自分の制服のポケットから四角い物を取り出して差し出した。
「あったかカイロ。同室の子から貰ったんだけど僕にはちょっと暑くて」
「暑い!? こんな冷え冷えでよくそんな言葉が……」
「普通の人よりは寒さに強いみたい。氷属性だからかな」
確かに属性と体質は密接な関わりがあるらしいから雹ノ目君が寒さに強いのも頷ける。対する風属性である私は周囲の風の温度の影響を受けやすいので総じて風属性は寒さと暑さに弱い傾向がある。
雹ノ目君のあったかカイロをありがたく頂戴し、私はゴシゴシカイロを摩りながらお弁当を広げた。
うう、ご飯が冷たい。
購買部周辺の休憩スペースならレンジがあったと思うが、そこまで行く気力はない。我慢して冷たいお昼ご飯を食べる。
いつも通り、会話の少ないお昼ご飯を終え、お弁当を片づけていると雹ノ目君が何か言いたそうにじっとこっちを見ているのに気が付いた。
「なに?」
「あ……えーっと……その」
なんだか表情が暗い。そういえば、最近、雹ノ目君が笑わなくなった気がする。私が見れば、微笑んでくれるがそれもなんだか作り物っぽかった。
なにかあったのかな。と思ったが、どうしても立ち入ったことは聞き辛くて、そのままにしていた。
けれどやっぱり少し気になる。
「……なにかあった?」
勇気を出して聞いてみたが、雹ノ目君は笑顔を張りつかせて、
「なんでもないよ」
と、言ってしまったので私はそれ以上、聞くことができなかった。
きっとすぐにいつもの雹ノ目君が戻ってきてくる。そう思うことにした。
本当は怖くて立ち入れなかった。立ち入って今の関係が壊れるのを恐れたんだ。
――――私はこの選択を、一月後に後悔することになる。