#9
未知の領域というのは、つまるところ無知と理屈っぽさが生み出してしまった世界のことなのかもしれません。
日中、中里中は陽光にさらされる。
丘の上という立地のせいで、さらに上の方に住んでいる生徒を除き、毎朝かなり勾配のきつい坂を登って登校しなければならない。冬には氷が張り、一分の隙でも見せればたちまち足を滑らせてしまう天然滑り台と化す。
あたりは閑散としていて、人の目もまばらだ。つまり登下校時以外の人通りはほとんどない。
しかし今日は違った。
否、人通りがないのは変わらない。坂を登りきり、校舎の近くで立ち止まってその場から動かない人間がいることが、普通ではないということだ。
「―――大山はもう見つかったのか」
中里中学校の玄関から20メートルほど離れた場所に、二人組の男が立っていた。
風貌はいたって普通な東洋系の二人組だ。校舎を見つめて呟いた方ではないもう一人の男は、一方の男と比べると随分背が高かった。
「構わんさ。奴はどうせ捨て駒だ。どうなろうが知ったことか」
煙草をくわえた口から空に向かって白い煙を吐き出した長身の男は、そのまま空を目で追いやる。今日は雲ひとつない晴天であった。
風貌はいたって普通な二人組ではあったが、その目つき、眼光から醸し出す空気は、あまりに一般人間と異なっていた。
「女のガキ一人に、ここまで神経質にならなくてもいいと思うんだがな……作戦開始といくぜ、ハーフ」
「了解」
長身の男に言われて片手に提げていた小型のアタッシュケースを持ち上げながら、ハーフと呼ばれた男はレシーバーに手を添えた。
「監視カメラは潰したんだろう?俺たちの周辺に怪しい人間はいないか」
レシーバーは男の組織の本部に繋がっている。校内すべての監視カメラを手中に収め、組織本部からのオペレートをたよりに校内を探るというのが、今回の作戦だった。
しかし、レシーバーの向こうから信じられない言葉が返ってきた。
「いや……それが、カメラの映像が、受信できなくなった」
「なんだって?」
「おい。もたもたしてると気を逃すぜ。さっさと行くぞ」
長身の男が素知らぬふうに玄関に近づいていく。ハーフと呼ばれた男は慌てて追いかけた。
「それが、カメラが全部死んでるらしい」
切羽詰った声にも長身の男は鼻で笑い、まだ火の燻る煙草を素手で握り潰した。残骸をポケットにつっ込みながらハーフを振り返る。
「どうせワーグがしくじったんだろう。こんな場所、そんなものに頼らなくても楽勝だろうが」
長身の男は軽くそう言ったが、そんなもので不安は拭えなかったらしい。ハーフはなおも男に食ってかかった。
「状況がおかしい。過去に何度か同じようなことがあっただろう。潜入した部隊と連絡が途絶えて、なにが起きているのかわからないうちにその部隊が全滅したっていう不可解な」
「“蟷螂”って奴か?メディアのヤツらが騒ぎ立ててたな、そういや」
長身の男はまるで他人事のようにそう呟いて、開けっぱなしの玄関の中へ歩いて行っってしまう。
その背中が玄関の奥に消えるのを見てあきらめのため息をひとつつくと、ハーフは仕方なくそれを追いかけた。
天気が良いせいで、玄関の中は濃くなった影の分だけ暗い。
ハーフはそのひやりと暗い影の中へ一歩、踏み出した。
ぶつり。
レシーバーの奥で、あきらかに無線の切れる不快な音がした。
「……!!」
心臓が跳ね上がった。
思わず立ち止まり、必死に動揺を隠そうとする。
無線が切れた。その意味と、それに伴う結果を、ハーフはひとつしか知らなかった。
荒くなった呼吸を整えて、目の前で立ち止まった長身の男に必死の形相で声をかけた。
「おい―――」
だがふいに、その長身はのけぞるようにその場に崩れる。
ごとり、と床に頭が落ちた音に、ハーフの頭は一気に冷えた。
「おい。どうした?」
驚いて後ずさったハーフは、おそるおそる男の顔を覗き込む。
無表情に目をひらいた長身の男の眉間には、漆黒のナイフが突き立っていた。―――死んでいる。
馬鹿な。ナイフが……飛んできた?
空を切る音も、ましてや直接刺さる瞬間の音さえもしなかった。この男だって、きっと気づかないまま死んだに違いない。
しかし、ただ投げただけで柄が皮膚にめりこむほどの威力があるのか。そのうえこれほどの威力を保持しながら正確にターゲットに命中させる、常人とは思えぬ荒技は一体?
ハーフは体中から嫌な汗がふきだすのを感じた。人間技とは到底思えない。だがこれではまるで―――
恐怖から逃れようと顔を上げたハーフは次の瞬間、眉間に稲妻のような衝撃を受けて絶命していた。
漆黒のナイフが突き立つその一瞬。
暗がりの玄関とは対照的に陽光に照らされたフロアの空間に、人影を見た気がした。
短い文章なのに場面が飛び飛びでわかりにくい仕様で申し訳ありません。
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