#8
一般に、彼らは一組織として捉えられていますが、
彼ら自身は自らの意思で動いています。
紫野崎が発した警報を、相模は玄関フロアで聞いた。
思わず顔を上げて天井を見上げる。天井にはさながら夏の大三角のような巨大な空間がひとつ空いていて、そこから紫野崎が見えれば意思の疎通ができると考えたからである。
しかし当然ながら、そこに紫野崎の姿はなかった。逐一連絡を取り合っているわけではないし、あちらも相模の居場所を知らないのだから仕方がない。
のどかな昼休みが一転、張り詰めた空気を帯びたものに変わった。慌ただしく職員室に逃げ込む教師。教室に戻ろうと、窓ガラスづたいの階段を駆け上がる生徒。
混乱のさなかのフロアで、相模はひとり、自転車の鍵をポケットから取り出した。
「来たぜ、岸谷」
通信相手は総司令室長の岸谷草一郎だ。岸谷の隣では、レシーバーをぶんどられて不満たっぷりの遠江がじとっとした目で睨みをきかせていたのだが、岸谷はそれに気づいていない。
「そのようだね。紫野崎君の安否はどうだ?」
言いながら岸谷が見ているのは、モニターに映し出された中里中の監視カメラの映像だ。玄関フロアに立つ相模の姿が鮮明に映し出されている。映像の中の相模は、校内の様子をぐるりと一瞥した。
「警報入れる余裕があったんだから、無事なんだろ。聞いた内容だとおそらく侵入者は一人。典型的な陽動作戦だな」
中里中の放送機器のみならず、街中のあちこちの放送機器や拡声機材にも、関島の発案で手が加えられてあった。Oreilgは手元のマイクひとつで簡単に警報を出すことができる。警報発信者を特定させないように変声機能を加えさせたのは、モギュアールの発案だった。
「俺は俺の判断で動く。応援はタイミング見計らって入れてくれ。今から通信を完全に切る」
「相模……監視カメラが死んだ状況で、そういう無茶を頼むなって言っているだろう」
通信を切る、という言葉の意味を汲み取って、レシーバーに添えられた岸谷の手に力がこもった。
相模の近く、玄関のすぐ隣の職員室のドアが、炭酸ガス入りボトルを開けたときのような音をたてて閉じた。教師は全員避難できたらしい。おそらくこちらが安全を告げるまでは開くまい。ほかの教室も同じだ。
すべての教室が、独立した砦。
こんな設備を間近に見て、相模はぞくぞくしていた。これほど素晴らしい仕掛けは、政府機関の建築物以外にほとんどお目にかかれないだろう。
しかし今、この校舎に侵入した人間がいる。滅多に見られない設備を目にして感じた寒気もかき消してしまうほどに、その事実が相模の集中力を極限にまで高めていた。
「ここから先は俺の独壇場だ。―――好きにやらせてもらうぜ」
それだけ言うと、相模は自転車の鍵を床に放り投げ、思い切り踏み潰した。
◇●◇
「やっぱり来やがったっ!!」
岸谷がレシーバーを頭から引っぺがして、天井に向けて思いきり放り投げた。
悲鳴を上げる遠江。
「ちょっと!壊したら関島さんに怒られちゃいますよ!」
しかし遠江がそういうや否や、宙に投げられたレシーバーから金属を擦るような音が炸裂した。遠江は思わず耳を塞いだが、わけがわからないので怒りの矛先はとりあえず岸谷に向けられる。
「きゃあっ……なんなんですか一体!?」
すでに両手で耳を押さえていた岸谷は肩で息をしながら、まったくあいつは、などと悪態をついて椅子に腰を下ろして前髪をかきあげた。床に落ちたレシーバーを拾い上げて、椅子の背にもたれかかる。
「いやあ……危なかった。こうなる前に相模君に替われて本当によかったよ」
「どういう意味ですか?」
遠江はふてくされたままだ。
「さっきだって、警報入ったら説明もしないでいきなりレシーバー取り上げるし……あたしから仕事奪う気なんですか?」
「いや、そんなつもりはまったくないよ」
大きく息をついて、岸谷はあきらか不機嫌な遠江に向き直った。
「あいつ……相模は、戦法柄で仕方ないんだが、戦闘にはいるときに無線機を壊すんだよ。思いっきりね」
「あの、それと一体どういう関係が……あ」
遠江はなにかに気づいたらしい。岸谷はそんな遠江を嬉しそうに目を細めた。
「そう。相模もそうだけど、我々が持っているのはあの関島がつくった精密機械だ。精密な電波機械というのは、壊れるとさっきみたいにかなり強い音を出すことがある。軽く気絶させてしまうほどの威力でね。……とはいえ、向こうが重要な情報を伝えてくれるかもしれないんだ、これを耳から離すわけにはいかないだろう?あっちがいつ壊すか、向こうの空気を正確に読まなきゃ相模の相手は務まらないってわけだ」
「それで、新人のあたしから親切でレシーバーを奪ってくれたってことですか」
「まあ、そういうことだ」
ふうん、と少し納得した顔になった遠江の背後から、冷たい声がとんできた。
「偉そうなこと言ってますけど、過去に岸谷さんは空気読み違えて何度か倒れましたからね」
「そうなんですか?」
耳栓を抜きながらたんたんと言った黒沢に、岸谷は渋い顔をした。
「まあ、3回ほどね」
「へえ」
なるほどそうですか、と遠江は頷いた。
「じゃあ、今度から相模くんの無線の相手は岸谷さんに任せますね」
滅多に笑みを見せない黒沢が、くすりと口元を隠したのを岸谷は見た。
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