#17
「エレベーター動きました。電気回線異常なし……うん、すぐに到着すると思います」
遠江の報告に、岸谷は頷いた。
「よし。黒沢くん、衛生係に搬送用ベッド準備させて」
「はい」
「それから遠江君。彼らが到着したら、ダミーのストライカーに3人分の死体を乗せてエレベーターで車庫に上げておくよう手配しておいてくれ。装甲車はそのまま放置」
了解しましたあ、とデスクひとつ向こうから間延びした声が返ってくる。
岸谷はやれやれと自分の椅子に腰を下ろした。湯気の立つブラックコーヒーを口に含み、めちゃくちゃな熱さだったようで寸前で声を押しとどめる。ひりひりする舌を垂らしながら冷蔵庫に向かった。
「……しかし、予測はできても避けられなかったか」
顔をしかめて、パックの牛乳をコーヒーのマグにどぽどぽと注ぐ岸谷。カップの液体を器の縁から溢れそうなほどたぷたぷさせて、一方の手でパックにはいっていた残り少ない牛乳を一気に飲み干した。空のパックをデスクに置いて不純物入りコーヒーを口に含んだ岸谷の顔は満足げにほころんだ。
「あ、やっぱり知ってたんですか?岸谷さん」
遠江の声はどこまでも呑気である。先程の相模との会話を回想してのことらしく、岸谷は頷いてみせた。
「エージェントリーダーから、可能性を少しね。まさか本当に学校が襲われるとは思わなかったが」
「しかもあの学校ですしねー……あ、モギュアールさんってもう事実上Oreilgのトップみたいに思えますけど」
「いや、彼が補佐の体勢を変えることはないだろうね」
さらりと岸谷が言う。それに対して遠江がさらに質問を投げかけようとしたが、それよりも先にオフィスの自動ドアがひらいた。
ドアの開く空気が抜けるような音で一気に視線が集中する中、1人の男がオフィスに入ってきた。
「やあやあ皆さん!お久しぶりですー!!」
悠々と片手を挙げながら登場した男は、寝癖のつよい黒髪に白衣、無精髭のせいでだいぶ老けて見えるがどうやら20代後半のようだが。
ぺたんぺたんと黒いスリッパの音を響かせながら、男はぐるりと室内を見渡した。遠江、黒沢はスルー。岸谷の顔を見つけると、無精髭はにかっと笑った。
「675時間と24分ぶりだ!ところで今は朝と夜のどっちだい?」
男の声はオフィスを突き抜けてるようにしてよく響いた。
「そこまで時間計算しといてわからないのかお前は」
げっそりした声で岸谷がつっこみをいれるのを聞いて、遠江が不思議そうな顔をした。
「誰ですか?」
岸谷が口をひらきかけたが、それよりも先に白衣の男が(岸谷も白衣だが)ひょろりと細い体を傾けた。
「初めまして。君の顔には一度写真でお目にかかったよ。なんの資料で見たのかは忘れたが、うん、とにかく僕は知ってたんだよ君のこと。よろしく遠江さん」
「名乗れ関島」
手をひらひらさせて喋べる男に岸谷が放った一言に、遠江が目を丸くした。
「関島さん、なんですか?」
「いかにも」
そう答えたのは岸谷ではなく他でもない関島本人―――オフィスに入ってきた男だ。
関島が遠江に近づくためにデスクに一歩近づくと、なぜか白衣の裾下から黒い羽がひらひらと床に舞い落ちた。
「僕が関島だ。ちなみにペンを握るのは左手だが、箸を使うのは右手だよ」
わけのわからない自己紹介をされて、さすがの遠江もぽかんとしていた。
そしてぽつりと一言。
「発明家ってアフロにグルグル丸メガネの人だけじゃないんですねー」
ちょうどひと口コーヒーを口に含んだ岸谷が変な音を出した。
「うむ、たまには世論のいう根本的イメージにかえるのもいいかもしれないな」
比率がおかしなことになっているマグカップの中身をあやうくこぼしそうになりながらむせ返っている岸谷などどこ吹く風な関島の発言に、ぎろりと睨みをきかせる岸谷。
「……ところでだ関島。頼みがあるんだが」
「なんだい?」
いらいらを押し殺すようにして言う岸谷に、あくませ関島はひょうひょうとして首を傾ける。岸谷はため息をついた。
「相模勝が無線機を壊してしまってね。まあいつものことなんだが、のちのち支障が出るといけないからまた準備しておいてほしい。……もっと言えば壊すのをやめさせたいんだがね」
低い声で岸谷が付け加えた一言に、関島は白衣のポケットに両手を突っ込んだまま天井を見上げて数秒考えた。そしてぱっと思いついたように岸谷を見た。
「じゃあ今度は歯にでも仕込んでやろうか。思いきり噛んで壊そうとしたら濃縮ゴーヤジュースが出るような仕掛けはどうだい?」
楽しそうに笑ってはいるが、連日徹夜なのか目の下の隈のせいで見た目が半分狂人である。ハイドのいたずらのような関島の発想に、岸谷はすこし難しい顔をした。
「……ぜひお願いしたい」
「岸谷さん、3人が到着しました。それから珈怜に明日から紫野崎の代わりを務めさせるようにと。モギュアールから伝言です」
「ん、わかった」
黒沢の報告に岸谷は頷く。遠江は思い出したようにつぶやいた。
「相模くんて物静かなイメージがあったんですけどねー」
「あいつは二重人格だからな」
岸谷は冗談めかしてそう言ったが、遠江には半分は本当だろうと伝わったようだ。
さて、と岸谷はマグカップの中身をひと口飲んで、自らの行為になんの感慨も感じていないようにデスクに降ろした。腕時計をちらりと見やり、一人呟く。
「とりあえず、収束に向かわせなければいけないな」
そんな岸谷を、関島が面白そうに見ていた。