どうかお赦しください
これは私事の少し長い手記ですが、どうぞお付き合いください。関ヶ原の戦い以降、徳川家康を筆頭とした江戸幕府が開かれ、世は平和と言う漢字ニ文字を象徴する時代にもなり得るほど平穏でいました。
ただ、平和や平穏と申し上げたのは、無論世の中であって、この広義で使われる世と言う言葉から個人へと縮小化すると、私の様なものは、決して平和な時代と反した生活を送っていました。
岡山藩に生まれた時、既に親はいなくそれどころか、血の繋がりのある人物と言う存在自体がいませんでした。
戦死した先祖の屍から、這い上がっていく様に現世に生まれてきまして、育手がいない無力極まりない私を、人気のいない在所の里から救いの手を伸ばし、白物を崩さない様に抱えてくれたのは、庵主の源三郎という男でした。まともに育ったかと言われてみれば、自信を持ってはいとは言えませんけども、源三郎は私含め孤児のみんなに等しく、親しく、血の繋がった親同然。同時期に引き取られたその庵には、私と年が近く、境遇も似ている孤児が五人いました。
皆が男でいて、六歳程の年齢に至ると、それはもう血気盛んで私を除いた四人が隣の村人と取っ組み合いなる事が日課になりつつありました。源三郎一人では到底手に負えない厄介者の様になると、普段天使の笑顔を振り撒く源三郎も限界を越えたのか、顔を真紅色に変え、鼓膜を突き刺す程の怒声を浴びせられた思い出があります。
それでもやはり人間という生き物は滑稽なもので、その怖気に満ち満ちた思い出も時が過ぎ、日が経つと忘れていく物でございます。
四人ははしゃぎ周り、他所様に迷惑を掛け、その地域一帯からは「うつけ四人衆」という不名誉な肩書きまで頂く始末です。ここで一つ疑問に感じられると思いますが、四人衆と言うのは私以外の孤児達の事であります。
以前、私も年を言い訳にするのは卑怯ですが、兄弟同然の孤児四人達と遊ぶのが、とにかく楽しく一切苦渋の無い幸せな生活を送っていました。しかし、そんな私達に対する一度目のもしかすると、源三郎にとっては一世一代とでも言えよう、説教には鬼気迫るものがあり、孤児四人もそれは感じ取った筈ですが、私だけは何故かその怒りの表情が源三郎の本性であるかの様に感じできたのです。
以来自分が極度の脆弱心であると分かり、大人しくと言うよりも源三郎の機嫌をとる様なそんな役割になっていたような気がします。
他四人が悪戯に耽っている間、庵内の掃除、食事の準備等、積極的に行うようになります。それには勿論、先程伝えたように、源三郎の内に潜む鬼を起こさぬように、はたまたその鬼が自分に向けられないようにと言う理由であります。
紹介が遅れましたが、五人の孤児、一つ年上の兵之助、同列三人蟻部江、道太、私青太、一つ下の久八と言う名でございます。
年上且、体格も一回り大きな兵之助が自動的にリーダーの様になり兄貴の様でしたので、外に出ない私を何度も何度も誘ってはくれるのですが、「なんであの鬼が見えないの?」と言うと、「鬼なんているわけないだろ」と迂闊とも頼り甲斐があるとも言える返しを受けました。
その後も、兵之助は懲りる事なく、何百回、日に日にエスカレートし何千回と誘う様になってきたのですが、その度に気分が悪いやら、暑いやら寒いやらと適当な理由をつけて幾度の誘いを断ってきました。
時が流れ、源三郎鬼の形相から三月が経とうとします。相も変わらず、私は庵内に引き籠り、源三郎の手伝いの日々です。時々源三郎の目を盗んで、泥に塗れた素足、手には竹刀を模した木製の長棒と言う訳のわからぬ姿で兵之助達が手招きしてくるのです。
この頃には蟻部江、道太、久八もお迎えに来てくれていました。
しかし持っている箒を横に振り、行かないと言う合図をして目を逸らしました。すると「こらぁー」と女の舌を巻いた怒声、次第に足音が聞こえてきまして外を見ますと、兵之助率いるうつけ四人衆が追いかけ回されているのです。
白髪で右手に胴張り型竹刀を持った老婆が、殺意に溢れた顔、源三郎に似た表情をしています。四人に比べてと言うよりも、平均的な同年代の男に比べ、私は極度の虚弱体質でありました。
もしうつけ五人衆になっていた事を想像すると、私が真っ先に捕まり、滅多打ちにされていたでしょう。それにしても、ここ最近の兵之助達の行動は過激化していまして、遂には源三郎も諦めているご様子です。
そして私も次第にうつけ四人衆の事を心内で蔑むようになっていましたが、今思うとそれは悪戯をしたり走り回れる様な遊戯心とそれに見合う体力を持っている四人に対しての嫉妬心だったのかもしれません。
翌る日、私の虚弱体質はイタズラをしまして、夜中に尿意を催しました。庵内には便所がなく、尿意を催した際は、庵から数十メートル先の坂を下り、専用の建物まで行かなければいけません。恥ずかしながら夜中にそこまで1人で行くのは怖くて仕方がありませんでした。生まれた時から視力も悪かったもので、夜中に外を出回るのは危険なほどです。
川のせせらぎ音、虫の鳴き声でさえ怨霊のうめきに聞こえて来てしまいます。
義兄弟たちは立派なほどの熟睡加減で起こすのはやや芋が引けまして、夜の暑さに少し寝苦しそうにしている源三郎を起こすことにしました。
寝苦しいのは当たってたようで、私の呼びかけにすぐに起き、事情を説明すると即席の笑顔で私を情けなく揶揄し、便所まで同行してくれました。
源三郎はこのように私たちを本当の子供かのように親しく愛で溢れた行動をしてくれました。
夜中催し事件から一月が立ち、私の体調は良好は愚か、悪化するばかりです。
源三郎も私の体調がすぐれない事を憂いてるようで、大袈裟にいえば数分ごとに体調を心配してくれるような発言をしてくれました。ただ、今思えば源三郎の心配してくれるような発言からは〈医者〉という言葉が一切出てこなかったようにも感じます。ただ、当時の私は心配してくれるだけでもありがたいの一心でした。
しかしある日を境にこの源三郎の行動が全て自分の利害関係に侵されているものだと知るようになります。というのも、そう考えるきっかけとなった事件がありました。
夜中、いつも通り浅い睡眠をとっていたときです。夢の中で深い底の川で溺れてしまいました。その苦しさはとても現実味があり、到底夢の中でこれは夢だと気づくことができませんでしたが、苦しさを感じてから数秒後にふと目を覚ましました。すると、源三郎が血管が浮くほどの力量で、私の首を大きな両手で丸めるように締めていました。声が出ませんでした。単純な苦しさによるものと、あの優しくて愛情深い源三郎が今こうして私を殺そうとしている光景との両方によるものでです。
目が覚めたばかりというのにまた視界がぼやけてきました。脳の酸素が滞っていく感覚が身に沁みています。
でもその薄い光景の中で、源三郎の後ろにもう一つ人影があることに気がつきました。最初は源三郎と組んでいた仲間だと思いましたが、その考えは刹那に消えました。
その人影はこっそりと音を立てないような動きで源三郎の背後に周りました。そして、源三郎のしわがれた首を太い腕が締めていきます。
源三郎は数十秒でおとなしくなり、その場にストンと倒れ込みました。全身の力が抜けた源三郎は大きな土人形のように体をしならせ、白目を剥いています。
私を深底の川から手を差し伸べ、救いだしてくれたのは兵之助でした。
よく見ると、私の部屋の隅に他の義兄弟3人がこちらの様子を伺っていました。
「大丈夫か?」
初めて人を殺した兵之助がくれた一言目は、私に対する心配事でした。
源三郎は恐らく私たち孤児をどこかへ売り飛ばすために、私たちを育てていたと後になって考えました。最初に見せた源三郎の鬼の表情、それが紛れもなく源三郎の本性だったのです。
病弱な私は売れないと分かり、これ以上生かしておく必要はないとの判断だと今になって思います。
そして、兵之助達他3名の義兄弟は、最初に源三郎が見せた鬼の表情に気付かず、迷惑行為をしていたのではありませんでした。
むしろその逆で、兵之助はあの日、初めて見せた鬼の表情からいち早く本性を感じ取っていたのです。これは偽りの愛情だ。
夜中にこっそり逃げ出したとはいえ、人間の命を商売にしているような連中な為、追っ手が来ないとは限らない。それに生計も立てれない。兵之助達は仕方なく迷惑行為を続け、正式に追い出されるのを待っていました。迷惑行為を続ける兵之助達に対する蔑みの目から、信頼、尊敬の目と変わった瞬間でございます。だが、この私を殺し未遂に終わらせた事件がきっかけで、私たちはこの庵から出ていかざるを得なくなりました。
源三郎を殺害し、庵を出てから2年と2月が経ちました。私たちは、岡山藩、津山藩、備前藩と複数の藩にわたって勢力を現出させている盗賊に下っぱとして入りました。盗賊の頭である大介という男はおっかない目つきにいつでも人殺し可能だとでも言わんばかりの表情をしていました。私を殺そうとした源三郎の顔が少し恋しく感じるほどです。
私と義兄弟達は主に実行係として動かされました。脇差を備えて村を襲ったり、移動中の馬車を襲ったりといわゆる盗賊の所業を先立って行ってきました。
幸い、年齢が幼かったとはいえ兵之助の体格は見事なもので、村人達も恐る恐る金銭を差し出してくれます。属していた盗賊団は口封じのための殺しが頻繁に行われていたのですが、兵之助率いる私たちの小集団は村人を殺すことなど考えてもいませんでした。一度源三郎という人間を殺した兵之助は殺人に快楽を覚えることなどなく、理性を保てていたことは立派だと思いました。
村襲撃の仕事が終わると、盗賊のアジトへと帰ります。庵にいた頃よりかは豪華な食材を味わうことができていました。ただ、人を襲って奪い取った食事に旨みを感じることはありません。結局質素であることには揺るぎないのです。
悲劇は突然起こりました。
このように人様に迷惑をかける悪手で傲慢なこの仕事が長く続くなんて思ってはいませんでしたが、いざ事件が起こってみると現実を受け入れるのに少々時間を要します。
起こった事件というのは、私と同年の蟻部江と一つしたの久八が藩士である足軽に捕まってしまった事です。
蟻部江と久八はいつもの盗賊業を先陣を切って遂行する兵之助、消極的だがしっかり仕事はこなす道太、そして病弱なため荷物持ちや監視をメインとしていた私のために、もっと豪華な飯物を食べさせてあげようとたった2人で夜な夜な馬車を襲っていたのです。
ですが、蟻部江、久八とて、口封じの為の殺しを行うことはしなかったので、襲撃をされた行商人はその状況を藩に伝え、助けを求めました。
これは当然のことです。
おかしいのは私たちの方であることは重々承知しています。
でもこの蟻部江達の想いを無碍にすることはできず、情けながらどう頑張っても襲撃された行商人の想いに寄り添うことは出来ていませんでした。
蟻部江達の今後は属している盗賊のこともあり、ただで済むことはないのは分かってました。
きっと処刑される、もう2度と会えないのだろうと。
兵之助、道太、私はその日の夜、両手には収まりきらないほどの涙を流すことになったのです。
これは分かっていた運命ですが、その覚悟に歯向かうかのように溢れる涙に目を熱くさせました。
源三郎の本性に気づいた時、野晒しに会った時、大介から軽視の眼差しを受けた時、その苦い境遇の際、ずっと一緒にいた仲です。
心地よい夜風に靡かれ、朧月が姿を表しています。その日は気温とは裏腹に寝心地が随分と悪い夜でした。
蟻部江達が捕まり、何日かたったある日の夜、いつも通り盗賊としての稼業を行うため、2人が欠けた私たち義兄弟は脇差を懐内にしまい、ある小さな村へ襲撃をしに行きました。
案の定、私たちに恐る村人達。
脇差だけでは心許無く、盗賊の倉庫から仕入れた火縄銃を持って行きました。
火縄銃はガタイのいい兵之助が持つことにしました。
食材を風呂敷に入れ、銃口を村人に向け、金を奪い取りました。
すると、殿を務めていた私だけが気づいたのですが、その村の中には私たちに抵抗しようとする同年ぐらいの青年がいました。
私たちが何もかも奪い去った後、背後を襲おうとしていたのです。私はその姿勢をたまたま目にし、慌てて脇差をその青年に向けると、青年は手を上に上げ、抵抗はしないの体勢をとりました。
確実にここで今殺さなければ、藩の人間に伝えられる、そんな男であることは一目瞭然です。
私は脇差を強く握りしめ、その青年に近づきましたが、手を脱力し、その青年に刃先を向けながらも、兵之助達に遅れぬよう、急いでその村を後にしました。
こんなことを仕事にしているのです。
いつでも殺される覚悟はありました。
ですが、そんな私でも人を殺す覚悟なんて持ってはいません。
足軽に、私を含めた義兄弟全員が捕まるという未来はそう遠くありませんでした。
一月後、勇気あるその村の青年の告げ口により、兵之助、道太、私は足軽に捕まってしまいました。
なんとも最後の盗賊人生はあっけない物でした。
しかし、兵之助や道太はなぜその青年を殺さなかったのか?と私を責めることは一切しません。
それどころか、兵之助は私に対し、「お前は間違っていない、それでいい」と声をかけてくれました。
そうです、兵之助と道太はあの青年の殺気に気づいていたのです。その上で私が殺さなかったのも知っていました。
きっと殺そうとしていたら止められていたでしょう。
今、私は牢内にて、藩士の目を盗みコソコソとこの手記を書いています。
処刑もすぐに行われます。
最後に、、甘えかもしれませんが、これだけは伝えさせてください。
私の人生は醜く、どんよりとした漆黒に犯されたものでした。
人様が恐怖に慄く姿を何度も目にしました。
人様の女子を人質にしたこともありました。
人様に刃物を向けたこともありました。
ですが、人を誰1人として殺さなかったという事実を考慮して、どうかお赦しください。




