第六話 もちろん、そのどちらかがダイヤの世界なんだろう?
末吉、中吉と続いて、今度はいったい何が出るのでございましょうと頭屋が言った。
「こちらの世界より良いのか悪いのか。楽しみでございますねえ」
大埜たちの間に流れる空気など露も気にせずはしゃいだような口ぶりで続けた。
そんな頭屋の言葉に、珍しく誰よりもクァナが興味を示した。
「オミクジというものには良し悪しがあるのか。ここは良いのか? 悪いのか?」
ぐいと顔を近づけて大埜に詰め寄る。
「ええと、ここは中吉だからいい方から数えて――あれ? 中吉って何番目だ?」
いちばん嬉しいのが大吉でガッカリするのが大凶だということはわかっているが、それ以外はといえば実はあまり気にしたことがなかった。
「末吉と中吉だったら中吉の方がずっと良さそうな感じだけど」
一つめの世界と比べて大埜は言った。一つめの世界も悪くはなかったが、ここよりはギスギスしていた印象が強くあった。それでもそれが答えだとは自信が持てなくてすかさず頭屋に助けを求める。
頭屋はニコリと笑顔を作った。まるで待ち構えていたかのようだった。
「まあ神社によっても違いがございますが、私のところでは良い方から大吉、吉、中吉、小吉、末吉ときて最後に凶でございます」
「え、大凶は?」
「こちらには入れてございません」
「……神社によって違うって言ったか?」
「ええ」と頭屋はしっかり頷く。
「俺、大凶引いたこと何回もあるんだけど」
「同じ神社でなくてでございますか?」
「全部違う神社だった」
「それはまた、知らずに大凶が入っている神社ばかり参拝していらしたとは、引きが強いと申しますか、とても貴重な体験をしたんでございますねえ。いやあスバラシイ」
「それ、絶対馬鹿にしてるよな」
「滅相もない。そんなことはございませんよ」
慌てた様子で否定するがヘラヘラと笑いながらでは説得力に欠ける。
大埜が疑るような視線を向けると「まあまあ」とマルテロが間に入った。
「僕らの世界が一番悪いんじゃなくて良かったあ」と胸をなで下ろしつつ「チュウキチってことは……」と、吉凶の順番を復唱しながら指を折る。
「そこそこ、ということだろうね」
マルテロが正解にたどり着く前にアルコが言った。腑に落ちないといった顔をしていた。
「魔王討伐なんて偉業を成し遂げて、世界中に祝福され――これほどまでに祝福されてそれで『そこそこ』だというのかい? それはそれは。上の二つはどれほど素晴らしい世界なのか」
アルコの言いぶりは皮肉めいて聞こえた。
「もちろん、そのどちらかがダイヤの世界なんだろう?」と続ければなおさら。
「今すぐ戻りたいくらいなんだから、大吉に決まってる」
と言ったクァナの一言さえ、アルコの言葉に加勢するように聞こえた。
「そうなの、ダイヤ?」
下がり眉でマルテロが言う。
それらの言葉に、一瞬、大埜の頭の中は真っ白になった。咄嗟に発したのは「えっ」という、声というか音というかそういうものだけで、その先はすぐには出てこなかったし頭にも何も浮かばなかった。
不意打ちを食らった気分だった。
「えっと」
彼らの問いかけに即答できなかった。
もちろんとか、決まってるだろとか、言ってやりたいはずなのに、そんな気持ちにブレーキがかかる。
一つめの世界は末吉だった。
二つめのこの世界は中吉だった。
それでは大埜が生まれてこの方生きてきた世界は、戻りたいと思っている世界は、本当に彼らの言うとおり『大吉』の世界なのだろうかとふと疑ってしまったのだ。
大吉でなかったとしたら? 小吉でもなかったとしたら? もっと下、一番下の凶だとしたら?
もしもそうだったとしたならば、ここで別れを選ぶのは正しいことだろうかと、そんな考えがちらついてしまった。
夜深くなって、街の広場に静けさが戻った。
店が並ぶ大通りの方にはまだ人通りがあるようだ。祭りの興奮から抜け出せない大人たちが、いくつかの食堂に押し寄せて大騒ぎを続けているらしい。
広場の片付けは明日の朝になると誰かが言っていた。置き去りにされた食べ残しを目当てにやって来た野良猫がこちらの様子をうかがっている。
俺は見ていないぞと、視線だけではなく顔の向きも変えてやった。右手の方に意識を向けたせいで手の中に握った神籤箋が気になった。
大埜はまだ八十一番の御神籤を開いていなかった。
みんなとあんな話をしたあとではどうにも気まずい感じがあって、その場で中身を確認することができなかった。
なかなか開けられずにいると、アルコは大埜の逡巡を察してくれたようで
「別れを言えたから満足した。ダイキチの世界に帰るというんだから、僕らはもう引き留めたりはしないよ」
と二人を連れて立ち去った。
「そろそろいいのではございませんか」
一緒に待っていた頭屋がふわあっと大きなあくびをした。つられそうになった大埜はくっと歯を噛む。
深呼吸をした。
落ち着かせるための呼吸だったのに、どうしてか鼓動が早くなった。
「それじゃあ、開けるからな」
大埜が言うと
「どうぞどうぞ」
頭屋は商人の顔をする。
丸まった神籤箋を、恐る恐る開いた。
くるんと付いたクセを伸ばすように上下に引く。目の高さまで持って来て運勢の欄を確かめた。三回目ともなると迷わずにたどり着くことができた。細長い神籤箋の、真ん中から少し上に上がった所。
月明かりが真っ白な神籤箋の表面を、強く強く照らす。
夜も更けて家々の窓から漏れる光もほとんどないという状況なのに、その二文字ははっきりと見えた。
八十一番の御神籤には『大吉』とたしかに書かれていた。
一瞬の間を置いて、大埜は大きな声を上げた。その声が広場のあちこちにぶつかって戻ってくる。思いのほか大きな声を出してしまったことに気がついて、大埜は慌てて辺りをうかがった。
幸い「うるせえ!」などと怒鳴りつけられるようなことはなく、さっきの野良猫が驚いて逃げていっただけだった。
大埜はほっと胸をなで下ろすともう一度神籤箋を見た。まじまじと見つめて見間違いでなかったとわかると頭屋の方を向いた。
「大吉だった」
「そのようでございますね」
「やっと戻れるのかな」
「さて。それは私にはわからないことでございます」
商人のように腰を低くしているくせに客が喜ぶようなことは言わなかった。
「……まあいいや」
大埜は神籤箋に視線を落とした。
いつもの流れだと、いずれかの項目が浮き出るはずだ。
しかししばらく待ってみても神籤箋に変化はなかった。
願望も待人も、書かれているすべての項目を確認できる。
「これは、普通?」
これじゃあクァナの口癖みたいだと思いながら大埜は頭屋に尋ねた。
「はて。私もすべてを開いて見たわけではございませんので」
頭屋が興味深そうにのぞき込む。
「それにしても、どれもこれも、良いことばかり書いているではございませんか」
「言われてみれば、たしかに。まあ大吉だからなあ」
願望は叶うし失物は見つかる。学業、商法、お産に転居、ありとあらゆるものが吉と――いや『大吉』と出ている。
はたしてこれが本当に元の世界に通じる神籤箋なのだろうか。
「食われてみればわかるか」
考えても仕方ない。大埜は腹をくくった。夜の空気を受けとめてひんやり冷えた石畳の上にどっしり腰を据え、御神籤に食われるその瞬間を待った。




