第十話 全力で私を楽しませてちょうだい
タイトルを考える。
何を今さらと思いながらも、やってみるかと頭に浮かべる。
「展開は決まってるから、あとはそれをどううまく言葉にするかで――」
そう呟いてから、大埜は首を傾げた。
「展開、決まってるよな?」
最初から、目標は『御神籤を引いて元の世界に帰る』だったはずだ。
しかし心は揺れていた。
この世界は大吉の世界で、元の世界は大吉ではない。
そのことは思っていたよりも、厄介なトゲとなって深く胸に刺さっていた。前の世界でアルコたちに言われたことも手伝って、元の世界に帰ることが本当に『正解』なのかと不安になってきていた。
「……ああ、ダメだ! わかんねえ!」
頭を使うのは得意じゃない。
「考えるより動く。何だかんだ言って、前の二つと一緒でこの世界の人の願いごとを叶えたらおみくじ引けるかもしれないし。今はできることをやろう」
よし、と気合いを入れて部屋を飛び出す。この世界に来てから二日目の朝は、どこまでも青空が広がる気持ちのいい朝だった。
しかし事はそう簡単にはいかなかった。
そもそも、この世界は今、状況的には願いを叶えたあとなのだ。人々の生を脅かす魔獣の王とやらが倒され、生きていくことを少しだけ楽に出来る魔法も広く住民に与えられた。
細々とした願いはあるかもしれない。
ただそれが末吉や中吉の世界で叶えた願いと同等の価値があるかというと、きっと違うだろう。
「世界を救って欲しいとか、戦争を終わらせて欲しいとか、そういうでっかい願いごと、ないのかなあ」
大通りにある店のテラス席に座って、道行く人々を眺めた。
「それは難しい話ね。だってダイヤ様のおかげで、みんなもう十分しあわせなんだもの」
向かいにはムリエルが座っていた。焦る大埜とは正反対で、ゆったり優雅にハーブティーなんぞを味わっている。
「それにしたって、どうしてそんなに人助けにこだわるのかしら? 今は、昨日話していた悪い者の対応だってあるっていうのに」
ムリエルは知らない。悪い者のことは作り話であること、大埜が元の世界に戻るために動いているということを。
本当のことを言ったならどんな風に思うのだろうと考えていた。
せっかく自分に好意を持ってくれているのに、元の世界に帰ると言ったら、どうなるのだろうか。
――申し訳ないと思う前に『もったいない』という言葉が浮かんで、大埜は自分が嫌になった。
「この世界の人たちの願いを叶えるのが、俺の……この世界でするべきことなんだよ」
ぼやかして誤魔化して、大埜はちらりとムリエルの反応をうかがった。
ムリエルは初め驚いたような顔をしたが、すぐに甘い笑みへと表情を変えた。丸みを帯びた顔の輪郭を包み込むように両手で頬杖をついて、うっとりとこちらを見つめている。
「さすがは私の愛する人ね。立派だわ」
「あ、ありがとう」
あまりに真っ直ぐに言ってくるものだから、大埜は照れて視線を逸らした。
逃げるなんて許さないから、と甘やかな囁きが耳に届く。
「…………あのぉ、お二人とも、私たちがいることをお忘れではないですか?」
呆れた顔で頭屋が言った。その隣で「使用人とはそういうものです」とグラヴィが言う。頭屋は「自分は使用人ではない」と言いたそうだったが、この世界での設定を思い出し悔しそうに口をつぐんだ。
恨めしそうに大埜に視線を送る。
それを受け取って、大埜は苦笑いをするしかなかった。
「今日は一日ここでこうしているの?」
口を挟まれたからか、ムリエルは少し機嫌が悪くなっているようだった。頬杖を解き、その手をティーカップへ添える。その格好では落ち着かなかったようで、両手を膝の上に置きすっと姿勢を正した。
「そうね。この世界の人の願いを叶えてくれると言うのなら、まずは私の願いではどうかしら?」
「ムリエル様の?」
「ええ。他ならぬ私のよ。フェリキタス王国の王女の願いだもの、世界平和には及ばないけれど、それなりに『でっかい』のじゃないかしら」
不敵な笑みを浮かべるムリエル。
「まあ、当てがあるわけでもないからありがたい提案ではあるけど……」
「あるけど、なあに?」
「無理難題を押しつけられそうで怖いっていうか」
アルバムから得た記憶によると、ムリエルはそういうところがあるようだった。
「ちなみにどんなお願いなんだ?」
恐る恐る訪ねてみる。
ムリエルはニコリと笑って立ち上がった。グラヴィがさりげなく椅子を引く。
「全力で私を楽しませてちょうだい」
ツンと鼻が上を向くような角度でムリエルは言った。
「楽しませるって、笑わせるとかじゃなくて……だよな」
「デートのお誘いでございますね」
頭屋が言う。
「まあ、そういうことかしら。びっくりするくらい楽しい時間を私にプレゼントして欲しいの。もちろん、ダイヤ様と一緒ならどんなことだって楽しいのだけど、二人で特別な時間を過ごしたい。他の誰も持っていない、二人だけの思い出を増やしたい。それが私の願い。いい? しっかり満足させてくれるまで帰してあげないんだから」
そう言ったムリエルはもうすでに楽しそうな顔をしていた。
「やってはみるけどさ」
そんなことで御神籤を引けるとはまったく思わなかったが、断るわけにはいかなかった。
「だってさ、それは願いってより命令だもんな」
断れるわけがないよとぼやきながら、大埜は頭屋と顔を見合わせた。頭屋も同じような感想を抱いたようだ。ため息をこぼすタイミングがぴたりと合った。
全力で私を楽しませてちょうだい。
そんな誘われ方をしてムリエルとのデートが始まったわけだが、楽しい時間をプレゼントして欲しいと言いながらも彼女は、自分の行きたいところに大埜を連れていき、そして食べたいものを大埜と共に食べた。
ムリエル主導のデートは、どう見たって『大埜がムリエルの願いを叶えてやる』という構図にはなっていなかった。
それでも彼女は花を咲かせるように笑ったり、どこにでもいるようなごく普通の少女の顔で恥じらったりした。
彼女は王女なのだと、大埜がそう気後れするようなタイミングはまったくなかった。同じ年頃の少女とデートをしている。まぎれもなくそういう感覚でムリエルとあちこちを見てまわった。
「二人きりならなお良かったのだけれど」
ふうっと息を吐いたムリエルの視線は、二人から少し離れたところにいる大柄な男たちに向けられている。
「そりゃあ、王女様だからな」
大柄な男たちというのは『王女』の護衛役の者たちだ。さすがに彼らを追い払うわけにはいかない。「邪魔しないでね」とムリエルに釘を刺されて、この距離での護衛となっていた。ちなみに頭屋はといえば、ムリエルに「二人きりがいい」と言われたら「それでしたら、どうぞどうぞ」とあっさりどこかに行ってしまった。
「俺に何かあったらどうするんだよ」
大埜が呆れてみたところで、頭屋は「はて」と首を傾げただけだった。
「ねえ、ダイヤ様。こんなのはどうかしら?」
露店なんかに並んだささやかなアクセサリーを指差してムリエルが言った。大埜が何か言う前に店主が「いやいや、王女様にこんな安物は……」と慌てだしたものだから、大埜は答えに困ってしまう。
「石の価値や細工の見事さも大切かもしれないけれど、いちばん大事なのは、私がこれを欲しいと思ったかどうかだわ。それに、今日こうしてダイヤ様と並んで、選んで、それで買うことに価値があるのだもの」
ムリエルは大埜の方を向いて微笑んだ。
眼差しから、隠すつもりのない好意がひしひしと伝わってくる。
「プレゼント、してくれるでしょ?」
「欲しいの?」
「ええ。……ってこちらから言わなくても、こういうときはさりげなく気を利かせるものよ?」
「こういうの、慣れてなくてさ」
「あら。今までのデートのときはどうしていたの?」
「だから、その『デート』に慣れてないんだよ」
「そんなに経験があるわけではない、と?」
ムリエルの目が輝く。
「そんなにとかじゃなくて――あれ? あったか?」
デートと呼べるものが、今までの人生の中にあったかどうか。振り返ってみるがそれらしいものは見当たらなかった。
「ダイヤ様の世界では、そういうことはしないのかしら? 例えば、好きな人を誘ったりとか」
好きな人、という言葉にやけに力が入っていた。
ムリエルに言われて、大埜は自然と由布季との約束を思い浮かべた。あれはデートだろうか。いやまだ付き合ったりしていないのだから、友だち同士でのお出かけか。
「それじゃあ、この私とのデートが、特別な経験になっているということね」
ムリエルはいいように解釈してうっとりとした表情を見せる。
「そうだとしたら、とても素敵なことね。……ねえ、そうでしょ?」
恋する乙女の顔をして、大埜の顔を見つめた。こんなに真っ直ぐに好意をぶつけられれば、悪い気はしない。それどころかむしろ――と考えて大埜はそのに浮かんだ言葉を飲んだ。
戸惑いながらも「そうなのかもな」と口にしていた。『さすがは大吉の世界でございますねえ』と言った頭屋の顔がよぎった。




