第一話 序
終わりは、思いのほかあっけなかった。
冷たく硬い石の床を蹴り、魔王の懐に入る。大ぶりに振った魔王の腕の動きがまるでスローモーションのように見えた。これはスポーツ選手がよく言うやつだな、とそんなことを考える余裕がダイヤにはあった。
バスタードソードの柄を両手で握る。
ここに至るまでだって、そういう場面は何度もあった。だというのに、あとから添えた左手がぎこちなく感じた。こんなことは初めてだ。
違和感を振り払うようにいっそう力を込めた。
軽く頭を上げる。
ダイヤの動きを拾ったのか、魔王の目がぎろりと動いた。
一瞬、確かに視線が合った。
奴の瞳は『絶望』を宿していた。怒りのようにも見えたが、たぶんそちらの方が相応しい色合いに見えた。
ああ、そうか。魔王でも、そんな風に思うんだな。
感心しながら、ダイヤはバスタードソードを魔王の腹に深く突き刺した。
仲間たちが「ダイヤ!」と叫んでいた。広間に反響したその声の端が完全に消え入ってしまう前に決着はついた。
あっという間だった。
もう一度「ダイヤ!」と呼ぶ声が聞こえた。
その声を、野太く荒々しい魔王の叫びが踏み潰す。
まるで獣だ。猛牛の角。肉食獣の牙と爪。人の身体を丸飲みするほどの大きな口と、それをすっかりおさめてしまう肚を持つ巨大な体躯。――まさにその姿に相応しい、禍々しく獰猛な絶命の声が辺り一面に広がったのを聞いて、ダイヤはなぜだか哀しくなった。
最後の最後、魔王はただの獣だった。人類を苦しめ、ダイヤたち討伐隊を追い詰め、この世の矛盾を突いた。そういう者の最後がこんな風だとは。勝利を喜んだのはもちろんだが、その裏で幾ばくかの虚しさも感じていた。
知性の欠片もない啼き声を響かせたのち、魔王の身体は石と化した。それを見て、仲間たちはようやく体の緊張を解いたようだった。
よろよろと近寄る者。
小走りでそれを追い越す者。
こんなときにまでマイペースで最後に皆の輪に合流した者。
その中心に、ダイヤはいる。
「すごいよダイヤ!」
「まさかそんな技を隠していたなんてね」
「隠して、いたのか?」
口々に言ってはダイヤの頭やら背中やらを叩いたり撫でたりする。
魔王討伐の長い旅を共に歩んできた仲間たちだ。いつもやたらとダイヤのことを子ども扱いする彼ら。ひとつかふたつくらいしか違わないのにと、これまで何度抗議したことか。こんなときくらいは、とダイヤは期待したが、こんなときでも彼らの『弟扱い』は変わらない。しつけ通りにうまくやったペットを可愛がるような、そんな態度でダイヤを労った。
やめろよと言いながら、ダイヤは彼らの手から逃れた。彼らは顔を合わせ笑った。
ダイヤはふんと鼻を鳴らす。
拗ねた顔で彼らから視線を逸らすと、石化した魔王を見遣る形になった。
「いいのか?」
とマルテロが言った。大きな体はパーティーの誰よりも大きく厚く、死角から現れれば魔物と見間違うほどだ。
そのマルテロが、誰よりも繊細にダイヤを気遣う。視線は、魔王というよりはその腹に深々と刺さったものに向いていた。
旅の途中で、世界の理を司るという賢者から授かった剣は魔物を倒すたびに強度が増し、動きは軽やかになりしかし斬撃は重くなり、やがて魔力すら得るようになるという不思議な力が宿った剣だった。
ここまで共に戦い、共に成長してきた。いわば相棒のようなものだ。
今はダイヤの手を離れて、石像と化した魔王の腹に収まっている。言われてみれば、空のままの鞘が寂しく見えた。
「仕方ないさ」と答えようとしてやめた。
ダイヤは今、この世界の『勇者』だ。
そんな台詞では格好がつかないじゃないか、と己に言い聞かせる。
今一度、相棒に目を遣った。
「もう、この世界には必要ないだろ」
ダイヤが言うと、仲間たちが同じように視線を向けた。
マルテロが淋しそうな顔をする。
弓の名手のアルコは、いつも通りのすかした感じでフンと笑った。その隣で口を真一文字に結んだのはクァナ。彼女の魔法にはここまでどれだけ助けられたか。表情の変化こそ小さいが、思ったことはすぐに口にする性格だから何を考えているのかと探る必要がないことにも助けられた。
ありがたいことに、最後までそれは変わらない。
「それは、君自身のことも言っているのか?」
クァナが言った。すぐにアルコがため息をついた。
「本当にクァナは情緒も何もないな。別れを語るのはもう少しあとでもいいじゃないか」
「そうだよ。せめてコメッサァの街まで戻ってからでも」
呆れ顔で言うアルコにマルテロが続いた。マルテロは今にも泣き出しそうな顔をしていた。
二人の反応を見届けてクァナが体ごとダイヤの方を向く。表情はほとんど変わらない。眉根をわずかに寄せたことだけはわかった。
「それが普通か?」
クァナの口癖だ。少し変わった環境で育ったらしく、他の人の常識と彼女にとっての常識が重ならないことが多かったからだ。
しかし今回ばかりは、クァナだけでなく他の二人が内心思っていたことも代弁する形となった。
「そうだなあ。たぶんそれが普通なんだろうなあ」
そう答えながらダイヤが思い浮かべたのは、彼らやこの世界にとっての常識などではなく、ダイヤが元の世界で慣れ親しんだ『異世界』の常識だった。
ダイヤがよく知る『異世界』では、魔王を討った一行は街へ凱旋し人々から祝福を受けるというのがお決まりのパターンだった。
そして――
「では君との別れもそこでなのか」
「クァナあぁ。だから、まだそういうことは言わないでくれよぉ」
「クァナが言おうが言うまいが事実は変わらないのだから、そう取り乱すなよ。ダイヤが言うには、彼は僕らとは違うらしいしね」
アルコがマルテロの肩に手を置いた。
「ダイヤはダイヤの世界に帰らなければならないらしいからね。それがいつかはわからないけれど、いつかは必ずね」
アルコの言いぶりは、まるでお伽話の一節をなぞるようだった。『ダイヤの世界』を知らない彼らにとっては、ダイヤという存在はまさにお伽話の登場人物や何かに見えているのだろう。
ダイヤは他の世界からこの世界に召喚された勇者だ。目的は、魔王討伐。だから目的が果たされれば元の世界に戻るというのが『異世界』の『常識』だ。この世界で生まれ育ちこれからも生きていくマルテロやアルコやクァナとはまったく異なる存在なのだ。
「せっかく仲良くなったのになあ」
マルテロの口から吐き出される言葉はどれも湿っぽくて、仲間たちの間に流れる空気をどんよりとさせた。アルコのすかした態度も物言いもしばしの間鳴りを潜める。
クァナの表情は変わらなかった。
「嘆いたところで何も変わらない」
言うなりその場を去ろうとする。
「どこに行くんだい?」
アルコが尋ねる。
「事は済んだ。コメッサァへ帰還する」
「そのセリフの意味を理解しているかい?」
「街へ戻るという以外に何か意味を含むものか?」
「クァナにそのつもりがなくっても、受け取る側はそうではないということさ」
クァナはアルコの顔を見ていた。
理解したのかそうでないのか、視線を逸らさずに「それが普通か?」と言った。アルコは困ったように笑うだけだった。
『コメッサァへ帰還する』とはつまり仲間との別れを意味するのだと、アルコはそう言いたかったのだろう。
それを理解したマルテロの目には早くも涙が滲んでいた。
「まあいいさ。クァナの言うとおりだ。みんなで帰ろう。泣くなマルテロ」
アルコは言ってクァナの後ろについた。
マルテロは目元をごしごしと拭ってあとを追う。
ダイヤは、自分との別れを惜しむ仲間たちの背中を見ていた。
心の内には少なくない罪悪感があった。
「ごめん、みんな」
別れを惜しむ気持ちはもちろんある。
しかし、今はそれ以上に喜びを噛みしめていた。
やっと終わった。
これでようやく――御神籤が引けると思った。




