File91 お弁当と崩れる感覚
二つ並んだ大小の曲げわっぱのうち、大きい方を僕に手渡し星崎が口を開く。
「どうぞ……」
「どうも……」
曲げわっぱはゴムバンドで封をされていて、そこには箸が挟まっていた。
それと、あの日焼き肉屋から失敬した袋入りのおしぼりが一枚。
意外というか、なんというか、細かいところに気が回る星崎の一面に、僕は素直に感心した。
先ほどからじっとこちらを窺っている星崎の視線に気づかないふりをして、僕は黙って蓋を開ける。
中にはホウレン草の御浸し、きれいなクリーム色の卵焼き、そしてアジのフライが入っていた。
ご飯の上には手作りらしき鰹節のふりかけが掛かっている。
「すご……これ、全部星崎が作ったのかよ?」
思わず僕が尋ねると、星崎は自分の弁当を開けながら早口に答えた。
「ある材料で作ったから……味は保証できない。アジだけに……」
「おい……寒くなるだろ……?」
「さっさと食べるヨロシ」
星崎が風に吹かれた赤い頬を膨らませて僕を箸で指しながら言う。
どうやら緊張しているらしい。
可愛いところもあるじゃん……
誰に言うでもなく内心つぶやいた言葉に、僕は自分で戸惑いながら箸を運んだ。
まずはご飯から。
鰹節のふりかけは甘辛くて丁度いい味加減だった。
それを受けて僕はご飯とおかずのバランスを考え直す。
これなら、メインのアジフライは大胆に食べても問題なさそうだ……
続いて僕はホウレン草に箸を伸ばした。
しっかりと水分を切られたホウレン草は、適度に歯ごたえが残っていて、カツオの出汁が効いていた。
「もしかして、このふりかけ……」
「うん。出汁を取った後のガラで作っている。捨てるのはもったいないから……あまり美味しくない?」
「いや、すっげえ美味いよ」
本心だった。
そんな僕を彼女は目を細めて窺っている。
「なんだよ……?」
「少し意外。コンビニ食ばかりだから、アジフライ以外は口に合わないかと思った」
「自分でも驚いてるよ……」
久々に食べた手料理の味。
いつ以来だろう……?
僕はそんなことを考えながら、青い空を見上げた。
答えが映っているわけでもない、青いだけの空。
僕は視線を戻して弁当の続きに集中した。
卵焼きは甘くないタイプで好みだったし、アジフライは言うまでもなく最高で、タルタルまで手作りだった。
「タルタルって自分で作れるんだな」
がっつきながらそう言った僕を見て安心したのか、星崎もいつも調子に戻って僕に言った。
「ふふふ……このタルタルには秘密がある。空野はわかる?」
「おい……! 食べ終わってからいうのはズルいだろ⁉ 隠し味ってことか?」
「そう。どうせ、絶対に、当てられない」
アクセントの位置が作為的で腹が立つ。
「なんだと?」
僕は意地になって弁当箱に残ったタルタルを箸でつつきながら頭をひねる。
けれどすぐに勝ち目が薄いことを悟った。
そもそもタルタルソースの中身なんて考えたこともない。
悔しいけれどまったく分からない。
僕は観念して星崎の方に視線を向けた。
「ふっ……そのタルタルにはラッキョウが入っている!」
「嘘だろ⁉ ラッキョウ大嫌いなんですけど⁉」
星崎は勝ち誇ったように口角をにやりと上げて、僕に決め台詞を言い放った。
「これでわかったはず。空野がそうだと思い込んでいる世界は、知らないうちに、形を変えて、いとも簡単に崩れ去る。自分の好みや感覚すら時には疑って然るべき」
へいへい……
僕は再び空を見上げた。
視界の端には星崎の手が見えるから問題ない。
真っ青な空には薄い透明の線が走っていて、そこから人影のような出入りしているのが見える。
「そういえば影送りって遊びあったな」
僕はふいにそう言った。
「悲しい国語のお話にもあった」
「そうそう。空とか砂漠とか、何にもない場所だと錯覚っておきやすいのか?」
僕は空に見える奇妙な影を目で追いながら星崎に尋ねた。
星崎は弁当箱を包みなおしながらそれに答える。
「人間は変化がないことに耐えられない」
「なるほど……じゃああれもやっぱり錯覚だよな?」
僕がそう言うと星崎は僕の指さした先を見てピタリと固まった。
「何が見える……?」
カンカラカン……
遠くで鉄パイプの落ちる音がした。
「透明な線と……人影みたいな……」
カァアン……
バットにボールが当たる音が聞こえた。
「あれは人影じゃない……」
星崎が僕の隣で身を固くしてつぶやく。
「じゃあ、あれは……?」
僕は星崎の方に視線を移して囁くように小声で尋ねた。
「あれは……フライングヒューマノイド……」
星崎の声には確かな緊張の色が現れていた。
カン……カン……
どこかから、あの警告音が聞こえた気がした。




