File88 不吉とシママース
教室には戻らず、僕らは人気のない廊下の隅でメモを広げて中身を確認することにした。
中には想像の三倍くらいきれいな文字でこう書かれていた。
1、屋上の鍵は番号式の南京錠で番号は423。
2、屋上に行く時は必ず二人以上で行かなければならない。
3、屋上では必ず誰かの視界に入っていなければならない。
4、屋上のフェンスを越えてはならない。
5、屋上に行くときは、必ず塩水を口に含んでドアをくぐらなけばならない。
6、屋上で名前を呼ばれても、絶対に振り返ってはならない。
読み終わったとき、僕は思わず鳥肌が立っていた。
星崎の方を見ると、彼女もどこか表情が強張っているのがわかる。
「なあ、これどういうことだよ……?」
僕がそう言うと、星崎は真顔でこう答えた。
「どうもこうもない……《《出る》》と考えるのが自然……」
「塩……用意しないとな……ちょっと買ってくるよ」
僕はそう言い残してコンビニに走った。
沖縄の天然塩とテーブルソルトで迷った挙句。僕は天然塩を手に取ってレジに向かう。
なんとなくこっちの方が効きそうな気がする……
いつの間にか大真面目に超常の存在を信じている自分に驚いたけれど、大塔病院の事を思い返せばもはや死活問題だ。
わりと大きいシママースの袋を抱えて走る僕を、何人かの好奇の目が捉えているのが分かっても、僕にはそれを気にする余裕は無かった。
「沖縄の天然シママース! 効くと思うか?」
「シママース……」
開口一番にそう尋ねると、星崎はシママースの袋をまじまじと見つめて言った。
「残った分を少し分けてほしい……」
「え……?」
僕の脳裏に様々な想像が駆け抜けた。
もしかするとあれ以来、なにか霊障のようなものがあるのだろうか……?
僕がごくりと唾を呑むと、星崎は真面目な顔で僕を見つめて言った。
「調味料を変えると料理の味が一変する……シママース……」
唐突に理解した。
こいつ……塩に夢中になってやがる……
よく見ると星崎の右の口角から涎が垂れている気がしなくもない。
「塩で涎垂らす女子……初めて見たよ……」
星崎はその言葉でハッと我に返ったようで、慌てて袖口で口を拭い赤い顔で僕を睨みつけてつぶやいた。
「空野のエッチ……女子の涎が大好物の変態……いつもそういうところにばかり意識がいっている……」
待て待て待て……⁉
僕は何も悪くない!
そう言い返そうと思った時。りんどん……と重たいチャイムが鳴り響き、ホームルームの開始を告げた。
僕らは慌てて教室に向かい、何食わぬ顔で席に着いた。
相変わらず誰もが何かに夢中で、僕らのことを気に留める者は一人もいなかった。
それはある意味で健全なのかもしれない。
それでも、目を凝らせば異常はそこかしこに存在している。
それを見て見ぬふりで、あるいは気にも留めず素通りするのは本当に健全と言えるのだろうか……?
僕は自分が上手く馴染めない世界の正体が何となく透けて見えたような気がした。
けれどそれにはっきりとした輪郭が付く前に、その事象に名前が与えられる前に、教室のドアがガラガラと音を立てて開きアリ先が入ってくる。
同時に僕が捕まえ損ねた世界の正体も、ガラガラと無音の響きをあげて、頭の中から崩れ去っていった。




