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宇宙猫は今日も宇宙(そら)に向かってアンテナを伸ばす  作者: 深川我無@書籍発売中
脳味噌chuchu〝INVASION〟

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File81 ジジイとマゴ

 二人並んで頭を下げてから僕らは道場を後にした。

 

 去り際に師匠が僕を呼び止めて言う。

 

「悠太」

 

「なんですか……? 不気味なんですけど……?」

 

 不意に名前を呼ばれて僕は身構えた。

 

 そう言えば今まで一度も名前を呼ばれたことはないように思う。

 

「今日の稽古で身につけたこと、忘れんなよ」

 

 夕暮れにはまだ早いぼやけた四時の太陽が師匠の顔を照らしている。

 

「身につけるも何も、ひたすらボコられただけなんですが?」

 

 それを聞いた師匠はニヤリと口角を上げてから、呆れたように天を仰いだ。

 

「かあー! 馬鹿弟子ここに極まれりだな。星崎さん、頼りない馬鹿弟子だがよろしく頼んだよ」

 

「承知した。わたしからもお願いがある……」

 

 いつの間にかすっかり打ち解けた星崎は、まるで自分のおじいちゃんにでも話すよう師匠に言った。

 

 師匠も師匠で、そのことに喜ぶでも気を悪くするでもなく、当たり前のように受け入れている節がある。

 

 二人にどこか似通った部分を感じて、なんとなく僕は不貞腐れたような気分になった。

 

「今度函館空港に着陸したミグ25戦闘機と昭和天皇の真相を聞かせてほしい!」

 

 そんな僕のことなど気にも留めず、星崎が両手を握って熱っぽくそう言うと、師匠は「ほほう……」と顎を撫でながら目配せする。

 

「そんな話まで知っとるのか? 星崎さんは。満足させられるかは分からんが、いずれ時がくれば話してあげよう」

 

「うん……!」

 

 それから僕らは再び自転車を二人乗りしながら、暮れていく裏道をノロノロと進んだ。

 

 興奮冷めやらぬ様子の星崎は、僕の背中で陰謀論が止まらない。

 

 僕はそれを聞き流しながら先ほどの稽古とぼやけた師匠の顔を思い返していた。

 

「はあ……結局一本も取れなかったな……」

 

 思わず口をついたその言葉に星崎が開きっぱなしだった口を閉ざした。

 

 微妙な沈黙を破って、星崎は言う。

 

「でも空野はカッコよかった。さすが県代表。本物の忍者には勝てなくて当然。気にするな」

 

 僕はその言葉に思わず苦笑した。

 

 夕日に虚栄を洗われた僕は素直に白状する。

 

「実はさ、県代表はちょっと盛ってるんだよ。本当は団体戦の大将戦で僕が負けたから代表にはなれなかったんだ」

 

「む……」と言葉を失った星崎の代わりに僕は独白を続ける。

 

 本当はずっと、後ろ暗かったのかもしれない。

 

 あるいは誰かに聞いてほしかったのかもしれない。

 

 僕の中でずっと重しになっていた、苦い過去。

 

 それが師匠に謝罪したあの日以来、なぜか前ほどの重さはなくなっていた。

 

 そんな自分に少し驚きながら、僕は背中の星崎に向かって語り続ける。

 

「両親が来る約束だったんだ。それなのに、二人は来なかった。それが気になって、唯一の勝ち筋を僕は逃したんだ。そこからデッカイ相手にボコボコにされて、仲間も皆諦めてて、なんで頑張ってるんだろうって自棄になったんだよ。それを師匠だけは見抜いてて叱ってくれたんだ。なのに僕は逃げた」

 

 星崎は黙って僕の背中に頬を寄せて聞いていた。

 

 夕焼けが僕らの影を長く伸ばしていた。

 

 それはいつかと違って、引っ付いて、溶け合った影だった。

 

「星崎……僕はもう逃げないから」

 

「うん。期待している……」

 

 駅に着くと夕日は沈んでいた。

 

 僕は駅前のファーストフード店を指さして星崎に聞いてみる。

 

「晩御飯食べていくか? 今日のお礼に奢るけど……」

 

「ポンタッキーはバイオ狸の肉を使っている。ラボで培養されたゲノム編集狸は足が八本あり体重は一〇〇キロあると言われている。それを食べるのはナンセンス。でも……」

 

 星崎はそう言って歩き出すと、振り返りざまにこう言った。

 

「誘ってくれてありがとう。今日は家に帰らないといけない。一度くらいならポンタッキーに付き合ってもいい!」

  

「情緒の立ち位置がややこしい!」

 

 僕がそう言うと星崎はフッ……と笑って改札を潜り抜けていった。

 

 僕はポンタッキーの前に立たされた怪しげな老人のオブジェを見ながら、たしかにそういう研究をしていても不思議じゃないなと妙に納得してしまう。

 

 結局僕は弁当屋でチキン南蛮弁当を買って、その日は家に帰ることにした。

 

 商店街のあちらこちらでは洗脳処女のあの歌が流れている。

 

 カン……

 

 遠くで小さく警告音が聞こえたような気がした。

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