File69 星空と亀裂
夜道を駆ける少女の頭に先ほどの言葉が反響する。
『僕は寂しくなんかない……!』
それはひどく切羽詰まった声だった。
認めれば何かが崩壊してしまう。
そんな危機感を存分に孕んだ声だった。
少女はすぐに謝ろうと口を開いた。
けれどその口から出たか細い声は、少年の怒声でかき消されてしまった。
『誰も必要ない! こんな糞みたいな世界なんて消えればいい!』
その後に聞こえた言葉を忘れてしまいたかった。
けれど忘れられそうにない。
その言葉が今も鼓膜を震わせ続けていたし、胸を締めつけ続けている。
「うっ……ぐぅ……」
少女の口から、意図せず嗚咽が漏れた。
その声がトリガーになって、視界が滲む。
それを慌てて袖で拭って、少女は足を速めた。
「うぅ……う……うぅぅ……!」
再び嗚咽が口を突いた。
そのせいで、また涙が溢れてくる。
「どうして言っちゃったんだろう……どうして言っちゃったんだろう……⁉ 言わなきゃ良かった……言わなきゃ良かったあ……」
誰もいない住宅街の夜道で、少女は独り声を上げた。
けれどその声は温かい光に満ちたどの家にも届きはしなかった。
談笑やテレビの声に、いともたやすく呑まれて消えてしまう。
その時鼓膜に焼き付いた声が、悲鳴にも似た少年の声が、再び木霊する。
『お前のことだって必要じゃない……!』
胃が鉛のように重くなる。
思わずさっきの肉を吐き出しそうになって、少女は地面に屈み込んだ。
「大丈夫……大丈夫……空野の言葉は防衛反応……本心じゃない……大丈夫……大丈夫」
少女は小さな体を抱きしめて言い聞かせるように何度もつぶやいた。
それでも震えは収まらず、不吉な想像が膨らんでいく。
世界にヒビが入ったような気がした。
見上げると冬の夜空にバリバリとヒビがが入るのが見えた。
冬の大三角形を真っ二つに引き裂いて、漆黒の亀裂が星空を駆ける。
それはやがて空中に広がって、次元の向こう側から更なる不吉を運んでくる。
二度と会えなくなかったらどうしよう……?
そうしたら、また独りぼっちになってしまう……
「ピーピーピ、ピピー、ピーピーピピーピ……」
少女は今にも消えてしまいそうなか細い声でつぶやいた。
うずくまりながら頭に手を当てて。
けれどその声に応える者は現れない。
「帰らないと……」
少女が鼻を啜って立ち上がったその時だった。
「にゃぁぁお……にゃぁぁお……」
甘ったるい猫の声がした。
声の方に目を向けると、そこにはあの日の黒い猫が佇んでいた。
「あなたは何者……?」
少女が尋ねると猫はにやりと口角を上げて笑った。
「気ヲツケロ。ソラガ割レタ。ディンギルノ鐘ノ音ガ響グググググググ」
ググググググググググ
グググググググググ
ググググググ
まるで壊れた機械のように首を震わせて猫が言う。
少女が近づこうと足を踏み出すと、猫は「フシャァァアア」と声を上げて走り去ってしまった。
行かないで……
そう言いかけて、少女は言葉に詰まった。
背中を向けて去ってしまった自分に、それを言う資格はないように思えた。
足を引きずるようにして、少女は自分の居場所に、母が待つボロアパートに帰って行った。




